家族
「行ったな」
私達は蟹型ロボットが去ると岩陰から顔を出した。
私達のために犠牲になったのはこの長い旅を共に過ごした四WDの車だった。
「あいつには悪いことしたな」
「車さん、ごめんなさい」
自動運転装置の付いたそれは形こそ違えロボットであり、明宏や華加の仲間だった。私達は彼がおとりになり犠牲になる様子をただ影で隠れて見ていた。
「こんなことぐらいじゃごまかせない。また見つかる前に早くここを立ち去ろう」
感傷にふける間もなく私達はその場を後にした。
敵のロボットに見つからないよう、山の中を三人と一匹で西へ西へと進む。
タロウにも光学かく乱装置が付いているので宇宙にある偵察衛星からの監視は妨害できるらしい。
そういえば私が生理現象などで車のそばを離れることが度々あったが、そのときもタロウがちゃんと付いてきていた。
山道を歩く上で私達にある問題が降りかかった。
小回りがきいて車が走れないところを移動できる反面スピードが圧倒的に遅いということと、激しい運動のせいで車での移動で減退していた食欲が私に出てきたということだ。
食料はわずかであるが車を脱出した時に持ち出せた。それを三人で分担してリュックに入れて背負い運んでいる。
食べるのは私だけなのに、重い食料と水を幼い弟と妹に背負わせている。
「お姉ちゃん、お水」
大きな石を椅子代わりに座って休んでいる私に、華加は抱えていた大きな二リットルの水の入ったペットボトルを差し出した。
私はそれを受け取らず、頭を軽く振って不要の態度を示す。
そしてもう一つの問題、私はあまり激しい運動を継続できない。休憩が度々必要で、それが移動の速度を落とすもう一つの要因となっている。
「やせ我慢せずに、飲めよ」
立ったまま周囲の警戒の目を緩めないでいる明宏が、私を見下ろして言った
「ううん大丈夫。タカマツまで結構かかるから節約しなくちゃ」
「我慢だって限度があるだろ、倒れられたらこっちがこまる。華加も荷物が軽くなってちょうどいい、飲んでやれよ」
そう言って明宏は華加の手からペットボトルをとり、キャップを回して開けるとそれを私に押しつけた。
私は仕方なく受け取るとそれに口をつけた。
傾けると水が口と喉を通り抜ける。それは常温で生ぬるいが心地良かった。
ほんの少しだけ口を湿らせるつもりだったのに、気がついたら結構な量の水を喉を鳴らして飲んでいた。
「水や食料はなくなった後に考えれば良い。まず考えるのは生き残ること、先に進むことだ」
人心地ついた私を見て明宏は言った。
日の出ている間はタロウを先導に西へと向かう。いまは夏なので日の出ている時間は長い。
華加は小さい体全身を使って、その小さい手で私の手を引いてくれる。
道の途中で小さい赤い実をつけたたくさんの草を見つけた。これは確かヘビイチゴとか言われている実で食べられるはずだ。
しゃがんで人差し指と親指でつまみとり、恐る恐る鼻のそばまで持っていき、匂いを嗅いでみた。微かだが甘い香りがする。思い切って口の中に放り込み噛んでみると、甘酸っぱい味が広がる。
「あ、美味しい」
ぼそぼその携帯食ばかり食べていた私には、久々に甘味のある食べ物だった。
「へぇ、人間って便利だな。それでエネルギー補給が出来るんだから」
明宏が感心したように言う。
私はその十個程あった小さい実を全部その場で食べた。
私達はゆっくりだが先を急ぐ。食料や水よりもっと大事なものが切れるからだ。 それはヘビイチゴでは補えない。
だが残念ながらそれは訪れた。
彼の言うとおり私たちが四WDの車を失ってから三日目だった。
「姉ちゃんごめん。俺のポンコツコンピューターじゃ他のマザーコンピュータとの知恵比べに勝てるはずが無かった」
私達は雨と強い日をよけるため、壁からせり出した岩の下にいた。そこに明宏と華加が横たわっていて、私は二人の前に座っている。
明宏は手足を動かすことはできないが、かろうじてまだしゃべることができた。
華加は一時間前に動かなくなった。彼女の最後の言葉は「お姉ちゃん大好き」だった。
「ううん、そんなことない。明宏はよくやってくれたよ」
「この後、姉ちゃん1人じゃ心配だ。すぐ泣くし、すぐ腹減ったーって騒ぐし、すぐ疲れたーってへたりこむし」
「泣かないよ。お姉ちゃん騒いだりへこたれたりするけど、泣いたことなんて一度もないよ」
「嘘つけ、いまだって泣いてるし」
私の視界はあふれ出す何かのせいでゆがみ、それが次から次へと頬を伝い顎の先から地面へとしたたり落ちる。
「これ涙じゃないもん」
「そうか、違うのか・・・・・・ただの故障か」
私はわかりやすい嘘を言い、彼のいつもの嫌みや罵詈雑言を待ったがそれは来なかった。
「明宏ごめん」
「何をだ。謝られる理由が多すぎて何のことだかわからない」
私は彼の嫌みがうれしくて笑った。だがこぼれ落ちる涙は依然止まっていない。
「あのとき殴ったりして、お姉ちゃんどうかしていた」
私はあの夕飯の時、明宏を殴った事をこの最後になってやっと謝ることができた。
「ああ、そのことか」
「やっぱり怒ってるよね」
「怒ってねーよ、というか言われるまで忘れてたよ。俺のコンピューターはできが悪いんだ」
「ねぇ怒ってよ」
「・・・・・・もうおまえなんて姉貴でも何でもねー、口も聞かねー。どうせ持つならもっと由夏姉ちゃんみたいにボンキュッボンか、千怜姉ちゃんみたいに清楚できれいでもの静かな姉貴が良かったのに、実際はちびでお子様体型でおさげで騒がしくて可愛い弟を全然大事にしない凶暴女だもの・・・・・・これでいいか?」
「酷い、それはちょっと言い過ぎだよ。あと、ませガキ」
「全く面倒くせーな」
でも彼の気持ちは判る。由夏ちゃん千怜ちゃん二人とも私の理想。彼女たちが友達ではなく私のお姉ちゃんだったら良かったのに。
「ねえ明宏、人間なんて死んだ方が良いって思う?」
「知らん」
ぶっきらぼうにそう一言言った後彼は言葉を続けた。
「そんな難しい事はわからない。だけど姉ちゃんには生きて欲しい。俺たちはあの街に縛られている人形だ。街がなくなったときに使命は終わった。俺達の使命は人間と共に生活すること。オレ達は姉ちゃんに出会うためにあの街で何百年も生活していたんだ」
「そう・・・・・・なんだ」
「姉ちゃんはこれから一人でタカツキまで逃げないといけない。姉ちゃんはどんくさいから心配だ。オレ達のことは心配ない、マザーさえ生きていればデーターは保存されている。ここに置いていってくれ」
「この先一人じゃ無理だよ」
「無理でもやるんだ。残念だがおしゃべりもそろそろ限界だ。これがいつも姉ちゃんが言っているお腹空いたってやつなんだな」
そう言うと彼は私から視線を外した。
「ああ、お腹がすいた。母さんの作ってくれたハンバーグが食べ」
彼は言葉を最後まで言い切ることなく動かなくなった。口はこれからまだ言葉を出すかのように開いて固まり、目も開いたままだ。
私は華加にしたように彼の目と口を指で閉じ、両手を胸の上で組ませた。
二人は静かに私の前に横たわっている。死んでいるわけではない、ただエネルギーの枯渇で止まっただけ。それはわかっているはずなのに永遠の別れを迎えたようで涙が止まらない。
「お姉ちゃん本当に泣き虫でごめんね」
横たわる二人に謝ったが当然返事は無い。
また私は家族も友達も失ってしまった。
『ここにとどまるのは危険です。早期の移動をおすすめします』
いつまでも二人の前で座り込み、放心している私の背中に何者かが警告の声を投げかけた。
私は声がした方向に顔を向けた。
そこには大きな体をふわふわな白い毛で覆い、座ったまま大きく口を開け舌を出し息をしている犬が一匹いる。彼は私に残された最後の旅のお供だ。
「タロウはいつまで私のそばにいられるの?」
私は涙を手の甲で拭い、尋ねた。
『私は彼らとは体の構造が違います。故障さえしなければほぼ無限に活動出来ます』
マザークキはこういう事態を予測して、タロウを私のそばに置いていたんだろう。
『タカツキシティーまでの残る道程は私がナビゲートします。すぐに出発することをおすすめします』
「わかったよ、タロウ」
彼の言うとおり、いつまでもここにとどまってはいられない。悲しんで座り込んでいれば二人が起きあがるわけでもない。
私は立ち上がって、荷物を確認した。
三人分のリュックを確認すると、残されていたのはブロック形の携帯保存食が三日分、水は二リットルのペットボトルが三本、そのうち1本は飲みかけで封が開いている。
荷物を少なくするため、封の開いているペットボトルの水を全部飲んだ。量が多かったので飲み過ぎて少し気持ち悪くなった。
だが水分を補給してももう涙はでない。これで残された水は合計四リットルだ。人間は一日二リットル水が必要と聞いたことがあるのであと残り二日分だ。それは純粋に水を取る以外に食べ物からの水分を合計した数字だが携帯食はほとんど水分は無い。
「一人でも必ずタカツキに行く、そしてきっと二人を迎えに来るからね」
私は直立し二人に向きうつむいて目をつぶった。
「タロウ、タカツキまでどのくらいかかる?」
『あなたの歩行ペースだと推定10日です』
タロウは口を開け舌を出したままの体制で体の中から機械の合成音を出した。
水も食料も全然足りないので、旅の途中で調達するしか無い。しかし目の前には高い山がそびえ立っている。
「私にこの高い日本アルプス越えは無理、一旦太平洋側にでましょう」
日本海側にでるという選択もあるが、待ち受けている敵に出くわす可能性がある。
『しかし、そこはオカザキシティーのテリトリーです。危険です』
「だからこそよ。オカザキのマザーコンピューターもそう考えているはず。その裏をかきましょう」
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