友達 1

こんこん――

 不意に鳴ったドアがノックされる音で私は目を覚ました。


『真央ちゃん、越生さんと大家さんがお見舞いに来てくださったわよ』


 母がドアの向こうから私に来客がある事を告げる。それはあの二人らしい。

 あれから空腹を抱えたまま、学校が終わる時間まで寝ていたようだ。


『真央ちゃん、真央ちゃん、起きてる?』


 私がどう応対しようか考えていると、再びノックの音と母の呼び声が聞こえた。


「起きてる! 二人には帰ってもらって!」


 こんなとげとげしい言葉が出るなんて自分でも驚く。


『そんな、せっかく来てくださったのに悪いわ』


 母の声から憔悴した様子がうかがえる。


「いいの、会えない」


 今の私は二人の顔をまともに見れない。それに今はパジャマのままだし、夕べはお風呂に入っていない。それどころか今日はまだ顔も洗ってさえいない。髪も昨日から結んだまま寝てしまって櫛も入れてないから酷い状態になっているだろう。


『そう、悪いけど、二人には謝っておくからね』


 ドアの向こうから母の気配が消えた。

 お母さんごめんなさい。私は悪い子だ、皆を心配させて。

 皆が心配してる? 果たして本当にそうだろうか。

 彼らが私のことを気遣う言動をしているのは、ただそういうプログラムにしたがっているだけではないだろうか。この街は今私中心に動いている。


 母が階下に去ってしばらくすると、今度は何者かが乱暴に階段を上ってくる音が聞こえる。弟にしては少し質量があるようだ。

 その音をたてる何者かは私の部屋の前で立ち止まった。 

 ドンドン。そして母とは違い少し乱暴にドアをノックする。


『真央、せっかく来たんだから顔見せてくれよ』


 乱暴な音をたててやってきたものの正体は由夏ちゃんのようだ。


『真央、学校来ないから二人で心配してたのよ』


 続いて千怜ちゃんの声が聞こえる。由夏ちゃんの立てる音に紛れて気がつかなかったが一緒に階段を上がってきてたようだ。


『お母さんに聞いたぞ。別に病気じゃないんだってな』

『悩みがあるのなら私たちに聞かせて』

「なんでもない、私のことは放っておいて!」


うるさいうるさい。その自分たちが私にとっての悩みの種なのに。


『放っておけるわけ無いだろう、オレたち友達じゃないか』

『何でも良いから話して、三人で話合えば解決するかも知れないわよ』

「うるさい! 帰れ!」


 私は顔を上げ、ベッドからドアに向かって大声を上げた。


『それじゃー仕方ない帰るとするか、なんていうと思ったかー。友達の顔を見るまで帰らんぞ』

『由夏の言う通り。私も友達の悩みを聞くまで帰りません』

「二人とも友達なんかじゃない!」


 私は二人がこれ以上何か言わないよう、言葉を吐き捨てた。

 言い過ぎた、と思ったが発した言葉を今更口の中に戻すことはできない。

 だが私の望みどおり静寂は訪れた。

 そのまましばらくドアを見つめていたが二人が立ち去った様子はない。


「真央、入るぞー」


 ドアが開き、慌てて私は頭から布団をかぶった。許可していないのに由夏ちゃんが入ってきた。部屋のドアには鍵がついていない。


「邪魔するぞ」

「お邪魔します」


 続いて千怜ちゃんも入ってきたようだ。


「お母さんに聞いたぞ真央。登校拒否なんだってな」

「お母さん、すごく困ってたわよ」


 二人の声が布団の中の私に投げかけられる。


「帰って、お願い」


 布団の中で私は声を震わせた。


「い・や・だ」

「い・や・よ」

「お見舞いだって買ってきたんだぞ。ほ~らドーナッツだぞ~。甘いもの大好きだろ、そんなところにこもってないで出てこいよ」

「高田屋のドーナッツよ、真央好きだったでしょう」


 高田屋は和菓子屋さんでありながら、ドーナッツが一番有名という設定の店だ。転校したときに二人に街を案内してもらい、初めて連れて行ってもらった。

 だがドーナッツが美味しいのは本当で、店頭のベンチに座って揚げたてでまだ湯気を立ててるそれを頬張ったときは本当に驚いた。こんなに美味しいのになぜ行列ができていないんだろう、売り切れになってないんだろうと疑問に思ったが、一緒にベンチに座ってはいるものの食べているふりだけをする二人を見てすぐにその理由がわかった。

 それ以来三人でよくその店に行くようになったが、例によって食べているのはいつも私だけだ。


「そんなものいらない」


 ドーナッツを持ってきたのは本当らしい。布団の中にいる私にも甘い香りが漂ってくる。

 その香りを嗅いだ途端、今朝から何も入れられていないことを思い出した胃袋が動き出して抗議の声を鳴り響かせた。

 私は慌てて両手で押さえたが音は布団の外にも漏れてしまっただろう。


「ドーナッツ旨いぞー、一緒に食べよう」

「放っておくと由夏が全部食べちゃうわよー」

「いい加減にして! 二人とも私の友人という役割を与えられているからここに来てるんでしょ! そもそもドーナッツが食べられない、味もわからない機械人形のくせに人間の友達面しないでよ!」


 言った。

 ついに言ってしまった。

 私は自分が発した恐ろしい言葉に布団の中で震えた。


 再び静寂が訪れる。

 それは私の言葉が原因だ。私が全てを拒否する言葉を吐いたためだ。

 人間は私しかいないこの世界で孤独を感じずに済んだのは、家族や由夏ちゃんや千怜ちゃん達のおかげだった。


 今年の冬、わけがわからずこの世界に迷い込んだ私に、この街の人は優しく接してくれた。多少非常識で芝居じみた行動をとるとはいえ、この三ヶ月は楽しくあっという間に過ぎた。

 それでも完全に孤独を払拭出来ない私は、今悲劇のヒロインを気取って周りに当たり散らしている。二人のことを機械人形と言っておきながら一番心がない言動をしているのは私に思える。


 二人は今どんな顔をしているだろう。

 自分が作った沈黙に耐えきれずに私は二人の様子をうかがうため、恐る恐る布団から顔を出した。


 二人は学校帰りに直接うちに寄ったのだろう、中学の制服を着たまま相向かいに座っていた。

 由夏ちゃんはスカートなのにあぐらをかき、中が見えるのもお構いなしだ。それに対して千怜ちゃんは背筋をピンと伸ばし膝をきれいにそろえて正座している。


 二人の間には高田屋のロゴが入った箱があり、その蓋は開いていて中にはドーナッツが並んでいるのが見える。六個入りの箱には二個分のスペースが空いていた。


その空白の部分にあったはずのドーナッツは二人の手の中だった。


 二人はそれを口に運んでいる。

 由夏ちゃんは右手でドーナッツを持ち大口を開けて頬張っている。千怜ちゃんは食べかすで服や床を汚さないように膝の上にハンカチを広げて、両手で持ち少しずつ口に運んでいる。 


 私はそれを見てあっけにとられた。


「二人とも何してんの!」


 私は叫ぶと同時に立ち上がった。


「お、やっと出てきたな。さぁ、一緒に食べようぜ、旨いぞ~」


 と由夏ちゃんは言いつつも、彼女は豪快にドーナッツを口に運ぶ手を止めない。


「初めて食べるけど、なかなか美味しいわね」


 千怜ちゃんは黙々とそれを食べ進め、彼女の持つドーナッツも半分くらいまで消えて無くなっている。


「やめて! 止めてよ!」


 二人がものを食べているところを見るのは初めてだ。と言うより私の家族を始め、この街の人の人達がものを食べているのを見たことがない。食べられるなら最初からそうしていたはずだ。彼らはいつも私と食卓を囲み時間を共有し、団らんを演じるために空の皿を目の前に置き、食べているふりをするだけだった。


 食べ物が食べられるように作られているはずもない、彼らがものを食べたらどうなってしまうんだろう。私のように消化吸収するわけではない。食べた物は体の中で何を起こすのだろう。

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