家族
「ごちそうさま」
そう言って私は夕飯の食卓を立った。
「今日の料理美味しくなかった?」
私が残した皿の上の食事を見て母が困った表情を見せた。
「そんなことはないよ」
味については問題無い。ただロボットが作ってくれたご飯だと思うと食べ物がのどを通らなかったのだ。つい昨日までは平気で食べられたのに。
「ダイエットでもしてるんだろ、姉ちゃんちびなんだからもっと食べないと大きくなれないぞ」
「大きくならないあんたに何がわかる!」
私の右の手のひらに大きな衝撃が走った。
いつもの明宏の憎まれ口を私は受け流すことができず、つい手が出てしまったのだ。
頭をかなり強く叩いてしまったので彼は椅子から転げ落ちた。
「真央! なにしてるの!」
音を立てて食卓の椅子から立ち上がり、珍しく母は大声を出して私を咎めた。
明宏を殴った手がすごく痛む。中の方までじんじんする。
「わーん」
華加が私と母の剣幕に驚いて声を上げて泣き出した。
私は痛む右手を左手でさすり、ただ黙って横たわる明宏と母を交互に見ていた。
「痛いなぁ、何すんだよ」
ゆっくりと明宏は文句を言いながら起き上がった。
「さあ、真央、明宏に謝りなさい」
先ほどよりも若干優しく、だが強い口調で母は言った。
「どうせ、痛いなんて感じていないくせに!」
私は痛む手を押さえながらリビングを後にした。リビングからはまだ妹の泣き声と、明宏を気遣う母の声が聞こえる。
階段を飛び上がるように登って二階にある自分の部屋のドアを開けて飛び込んだ。世界の全てを遮断するようにドアを勢いよく閉めると、ベッドに飛び乗りの布団の中に潜り込む。
私どうしちゃったんだろう。
私は布団にくるまりその中で、外界から身を守るカメのように手足を縮こめた。
口から嗚咽が漏れ、涙があふれる。
やがて耐えきれず嗚咽では無く、泣き声と変わった。
コンコン。部屋のドアをノックする音がする。
布団から首を出し外をうかがうと、部屋の中にはカーテンの隙間から漏れ出た優しい陽の光が満ちている。いつの間にか夜が明けていたようだ。
私は夕べからあのままずっと布団の中にこもっていたものの、ほとんど眠れていない。
『真央ちゃん、朝よ』
ドアの外から母が私を呼ぶ声がする。
いつもなら部屋の中に入ってきて直接声をかけるか、布団の上から体を叩いて起こすのに私を気遣っているようだ。
『真央ちゃん、入るわよ』
母の声に続いてドアが開く音がして、私はあわててまた頭を布団の中に引っ込めた。
スリッパの足音が私のいるベッドへと近づいてくる。
「真央ちゃん、そろそろ起きないと遅刻しちゃうわよ」
再び母の優しい声が聞こえる。
「入ってこないで!」
私は布団の中で叫んだ。
「でも学校が」
「行かない!」
「学校・・・・・・行かないの? お友達が待ってるわよ」
「友達なんかいないもん!」
「そんな事言ったら越生さんや大家さんが悲しむわよ」
「二人とも友達なんかじゃ無いもん!」
「・・・・・・それじゃあ、学校に行かなくてもいいから、朝ご飯だけでも食べなさい」
「食べない! 食べたくない!」
投げかけられる母の優しい言葉を拒絶するたびに、私の胸はチクチクと痛む。
自分の言葉がナイフのように自分の心を傷つける。
「真央、一体どうしたというんだ。お母さんに酷いこと言ったりして」
年頃の娘に遠慮してか、普段は私の部屋に近づいてこない父の声も聞こえる。声が少し遠い。廊下から声をかけてるんだろうか。
「お父さんは入ってこないで!」
おそらく部屋に入っていないであろう父のことを、私は見えてないのを良いことに濡れ衣を着せて大声であしらう。もちろん父がでたらめを言われても、年頃の娘に荒事はしないだろうという計算を入れてのうえでだ。
母の足音が部屋の外へと向かったあと、しばらく間があった。
「それじゃ今日はお休みしますって学校に連絡入れておきますからね」
母のその言葉の後、部屋のドアが閉まった。
『本当にほうっておいていいの?』
『今は何も聞く耳を持っていない。頭が冷えるまでしばらくほうっておくしか無いな』
『学校で何かあったのかしら』
外の音に集中していた私には、二人がドアの向こうの廊下でしている会話がバッチリと聞こえた。
二人の足音が階下に消えると私は強く布団を引き寄せ、手足を縮込ませて丸くなった。
そのまま布団の中にこもること数時間たった。あれ以来部屋には誰も来ない。
母も出掛けたのだろうか、家の中が静かになると私は布団からでた。
空腹は我慢出来てもトイレはどうしても我慢出来ないからだ。
この家にはトイレが一階と二階に一つずつある。両方とも私しか使わないので使用中だったことは一度も無い。だから私が鍵をかけないで中にいても他の人に開けられる、といったことはこの家に来てから一度も無かった。
そっと音を立て無いようにドアを開け、頭だけを外に出し誰もいないことを確認して廊下に出た。二階のトイレは階段の降り口の横にある。そこまでも抜き足差し足で極力音を立てずに歩いた。用を済ませコックをひねると、流れる水の音にドキリとしたが、母が二階に上ってくることは無かった。
来るときと同じように音を立てずに自分の部屋へ戻るとドアの前に、何かが置いてあるのに気がついた。
皿の上にラップのかかったおにぎりが二個置いてある。部屋をでるときには他の人がいないかにだけ気をとられていた所為か下には注意を払っていなかった。
それが何かがわかった瞬間お腹がグーと鳴った。思わずそれに手が伸びかけたが、手をぐっと握り、逃げるように音を立てるのもかまわずドアを開け部屋の中に入り、ベッドのうえに飛びのり再び布団の中に潜る。
布団の中で必死に両手でお腹を押さえる。どんなときでもお腹は空く。
私は何をしているんだろう。母の優しさを拒絶して。
この優しさは所詮プログラミングされた動きをしているだけだ。でもそれが私にとって何が不都合であるというんだろうか。
私が食べないとあのおにぎりはただのゴミとなってしまう。この世界であのおにぎりを必要としているのは私だけだ。罪の意識を少し感じた。
心の中でなにかにごめんと謝った。
おにぎりに対してか、母に対してか、もっと別の何かか。
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