第四章 ある少女の今の日常

 今朝私は珍しく、目覚ましや妹の襲撃に起こされる前に自然と目を覚ました。

 いつものようにベッドを出て、パジャマのままガラス戸のカーテンを開けると夏の強い日差しが部屋一杯に飛び込んでくる。


 以前住んでいた街では毎年記録的猛暑、記録的猛暑と騒いでいたが、この世界ではそこまでの暑さは感じない。

 これも人間がいなくなり、化石燃料を使わなくなったので大気中の二酸化炭素が減り、温室効果が抑えられているせいかもしれない。


 制服に着替えて一階に下りると弟とすれ違った。


「一人で起きるとは珍しい」


 嫌みとはいえ珍しく明宏の方から話しかけてきた。

 洗面台で顔を洗い、自分とにらめっこをしたあと、寝ている間はほどいている髪によく櫛を入れてから、若干の格闘の末三つ編みに結び直した。


 リビングに入るといつも通り、私以外の皆がそろってテーブルの前の椅子に座っている。

 相変わらず父は何も入っていないマグカップに時々口をつけては、何も書かれていない白い大きな紙をめくっている。

 ロボットしかいないこの街では事件は起きないため新聞に書くことがない。テレビ自体はあるものの、放送するべきものが彼らには作れない。

 本屋にコンビニにスーパーもある。あるのはお店だけで商品自体は置かれていない。本屋には中身がない小説や漫画が棚に並んでいる。新聞屋さんも何も書かれていない白い紙を、毎日せっせと郵便受けに放り込んでいく。


 この街には漫画もない小説もないテレビもない、いま弟が食卓に持ち込んでにらめっこしている携帯ゲーム機にもソフト自体は入っていない。私は毎日時間が有り余るので勉強するか、マンガを書くことで時間を潰している。だが勉強したところで受験はない。漫画を書いたところで読む人はいない。

 由夏ちゃんは私が書いた漫画を読んではくれる。だが「すごく面白い」以外の感想を言ってはくれない。


「新聞、何が書いてあるの?」


 私は席に着きながら真っ白い紙を広げる父に話しかけた。するとすぐに母が食事を運んできて私の目の前のテーブルに置いた。今日の朝食はプレーンオムレツのようだ。


「ん? くだらないことだよ。毎日、あそこで事件が起きたとかここで事件が起きたとか。たまには良いことでも書いてないかな」


 そう言いながら父は白い紙を次のページをめくった。


「お父さん、毎日どこ行ってるの?」

「ん? 会社だよ、行かなくて良いなら家でゴロゴロしてるんだけどな」


 そういうと母が珍しく父をにらみつけ、父は首をすくめ新聞という名の白い紙で顔を隠した。


「二人とも学校は楽しい?」


 明宏と華加に聞いた。


「うん楽しい!」

「別に」


華加はいつも通り元気よく、明宏は珍しく「あー」「うー」以外の返事をした。


「お姉ちゃんは学校、楽しくないの?」


 明るかった彼女の表情が少し曇った。


「ううん、退屈はしてないよ」


 私は慌てて否定した。


「だったら良いんだけど」


 彼女は笑顔になった。


「おしゃべりはその辺にして早く食べちゃいなさい」


 母は私たちを注意した。母の料理は若干薄味だがメニューは凝っていて美味しい。今この街にある食材は全て私のためだけに作られている。


 本当に時間が無いので、急いで食べた。遅刻したらどんなペナルティがあるか、わからない。おそらく、虐待と言われるようなペナルティを受けることはないだろうが試す気は無い。


 いつものようにタロウの頭を一撫でしてから家の門を出て、二人と交差点で合流する。


「おはよー」

「うっす」

「おはようございます」


 いつものように三者三様の挨拶を交わす。私が来ないと二人ともいつまでもここで待っているだろう。


「もうすぐ夏休みだよな」

「その前に期末テストね」

「早く来ないかなー」

「その前に期末テストね」

「毎日お昼ぐらいまで寝てやるぜ」

「その前に期末テストね」

「だー! そんなに期末テスト期末テスト言わなくたってわーてるよ」

「本気で忘れてるんじゃないかと心配してるのよ」


 今日も絶好調な二人の漫才を聞きながらいつものように学校までの道を歩く。

 学校につき、上履きに履き替えると、風もないのにスカートがふわりとめくれ上がった。「やーい」と言いながら男子が遠ざかっていく。彼が私のスカートをめくっていったのだった。

 まただ、私はめくられたスカートを押さえず、独断反応しない。


「この野郎、待てー」

「いいの、由夏ちゃん」


 いつものように私のスカートをめくった男子を追いかけようとする由夏ちゃんを、私は止めた。


「いいのか、真央?」

「ほうっておくと調子のるわよ。ガツンと言ってやらないとだめよ」


 千怜ちゃんも言う。

 この街のロボットはマザーの命令で動いている。おそらく彼女は私が退屈しないよう適度の事件を作っているのだろう。しかしそんなに重大な事件は起こせない、私を命の危機に落とすなんてもってのほかだ。そのため毎日すごすうちにある程度パターン化されている。おさげ髪を引っ張られるのもスカートをめくられるのもこれで何十回目となるだろうか。

(それにどうせ見られているのはロボットだし)


「え、なんだって、真央?」

「ううん、何でも無いよ。由夏ちゃん」


 二人は不思議そうに顔を見合わせた。


「おはよう唐沢さん」


 教室の前に行くと別の男子が私を待ち受けていた。

 きちんと挨拶を返すつもりだったが、私とその男子の間に由夏ちゃんが立ちはだかりそのタイミングを逃した。


「こーらー! 聞いたぞ、真央をたぶらかしたんだってな、変態モロー。それもオレたちがいない時を狙いやがって」

「たぶらかしなんて人聞きの悪い、きちんと合意の下だったよ」

「振られたくせに待ち受けているなんて、まるっきりストーカーね」


 千怜ちゃんも由夏ちゃんの横に並んで私の壁になる。


「そんなストーカーなんて人聞きが悪い」

「良いか真央。嫌なら嫌って言っていいんだよ」


 由夏ちゃんが振り返って私に言う。


「ううんそんなことないよ、アイスクリーム美味しかった、ごちそうさま」


 私は二人が作った壁の隙間から、毛呂くんにお礼を言った。


「人が良すぎるぞ、真央」

「いえいえどういたしまして。あんなもので良ければいつでもどうぞ」


 片手を上げて毛呂くんは応える。


「真央を餌付けしてんじゃねー」

「そうね、どうせごちそうするならそんな安物じゃなくて、フレンチのフルコースくらいにするべきよね」

「いえ、まだ親からもらった小遣いでやりくりしている身なのでご勘弁を」

「しけてるな」


 由夏ちゃんが肩を大げさにすくめた


「しけてるわね」


 千怜ちゃんがゆっくりと顔を左右に振った。


「この男、出世の見込みはないな」

「将来性皆無ね、所詮顔だけの男よね」

「もうやめてあげてよ、かわいそうだよ」


 私は二人の前に出て振り返り、毛呂くんとの間に割って入った。


「優しいな真央は、こいつが夢中になるのは仕方が無い。だが残念ながら彼女にはオレという大事な人がいる」

「そうね、真央に免じてこのぐらいで勘弁してあげましょう。でもこれからは二人だけで会うのを禁止します」


 二人が私の左右に並び彼に圧力を加える。


「ではまた今度、唐沢さん」


 彼女たちの圧力に屈したのか、とりあえず許されたのを良いことにそそくさと毛呂くんはそこに後にする。その間爽やかな笑みを崩すことはなかった。


「もっとギューと締め上げてやった方が良かったんじゃないのか」


 教室に入り机に鞄を置くと由夏ちゃんが隣の席で言った。千怜ちゃんはいつも通り職員室に行っている。


「うん、いいの。彼は悪くない、ただそういう役割が与えられているだけなんだから」


 そうじゃなきゃ私に告白してくる男の子なんているはずが無い。


「ねぇ、由夏ちゃん」

「ん?」

「彼は私と付き合って何をするつもりなんだろう」


 彼女は腕を組んで視線を天井に向けた。


「そりゃ、ショッピングしたり映画を見たり、最後は暗い部屋で二人っきりでゴニョゴニョ・・・・・・言わせんなよ!」


 この街にも映画館はあるが同じものが何度も放映されている。


「ゴニョゴニョとか、そんな機能あるの?」

「まぁ、あいつも男だからな。見たことは無いけど」

「ねぇ由夏ちゃん。胸触っていい?」

「なんだよ唐突だな。別に良いけどよ優しく頼むよ」


 彼女は立ち上がった。

 私も立ち上がり彼女のそばによると、服の上からその胸にそっと手を置く。

 手のひら全体で押してみると弾力があり、しっかりと押し返してくる。風船のような中身が空気ではなく、しっかりとした何かが詰まっている。


「ちょっとくすぐったいな」


 彼女は体を少し揺すった。

 今度は両手で下から持ち上げてみると手のひら全体に重さがしっかり伝わってくる、下ろすと元の位置以上に下がらない。これだけの重さがあり、容易に形を変えるのに垂れ下がったりはしない。


 クラスの何人かの目に触れているはずなのに、だれもこの行為に興味を示さない。


「よくできてるね」


 私は彼女の胸から手を離した。


「人体の神秘というやつだな」


 千怜ちゃんが教室に戻ってきてチャイムが鳴った。

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