朝
その日、毎日を規則正しく動いてきた街に大きな変化があった。
――シミュレーション終了
――反復プログラムを廃棄し、新規プログラム205,613,982をインストール
――昨日までの反復プログラムを廃棄して新規プログラムを実行せよ
――繰り返す。新規プログラムに従ってモデル2018年4月8日を開始せよ
私はやや緊張して男の先生の横と並んで教壇に立っていた。
教室の中で、おそろいの机おそろいの椅子に座って同じ方向を向いている36人の、合わせて72個の目玉が私を見ている。
先生は黒板に白いチョークで大きく縦に「唐沢真央」と書いてからまた皆の方にむき直した。
「進級してクラス替えをしたと言っても同じ学校の中の出来事だから、皆には顔なじみも多いと思う。だが彼女はこの春この中学へ転校してきた新入りさんだ。右も左もまだよくわかっていないだろうと思うので皆やさしく接して欲しい」
先生は目で私に合図を送った。私は一歩前に出て大きく息を吸ってかるく止めた。
「唐沢真央です。遠いところから来ました。好きなことはマンガを書いたり読んだりすることです。皆さんよろしくお願いします」
私は頭を下げた。
「席はあそこのあいているところへ」
この教室で空いている席は一つしかないのですぐにわかった。一番後ろの真ん中だ。私は背が低い方なので前の方に座らせられることが多かったので新鮮に感じる。座るとすぐに右隣の眼鏡をかけている女の子が話しかけてきた。彼女は背筋が伸び座っている姿勢もきれいで、髪も黒くて直毛できっちり整っている。
「私は大家千怜(おおやちさと)、よろしくね唐沢真央さん。このクラスの委員長をしているの。解らないことがあったら何でも聞いてね」
「はい、よろしくお願いします」
続いて左隣の人も話しかけてきた。彼女はやや髪が茶色かかっていて、ブラウスのボタンの一番上を開けていてだらしない印象を受ける。そして胸が大きい。
「オレは生越由夏(おごせゆか)、マンガを読むのは好きだぜ。書くのが趣味って言ってたけど今度読ましてくれ」
「いいですよ」
「その人と話すと馬鹿が移るわよ、気をつけてね」
大家さんが私に忠告した。
「うるせー、眼鏡馬鹿」
越生さんも対応して大家さんにアカンベーをした。
仲悪そうな二人の間に挟まれた席に座らせられて大変だ、とこのときは思ったがそうではないというのはすぐにわかった。二人は日常的に悪口を言い合える程仲が良かったのだ。
休み時間になると、みんなが周りに集まってきて私は質問攻めに遭った。みんなロボットだとは思えないほど自然な言動だ。マザークキは人格形成には友達も必要と結論を出し、家族だけではなく学校も用意してくれた。
集まってきた皆の質問はありきたりのものばかりだったが私は正直に答えた。やはり前はどこに住んでいたのか、という質問があったが、私は正直にタイムスリップしてきたと答えた。
一大事なはずなのに「へーそれは大変だね」と反応は素っ気ないものだった。頭がおかしい子と思われるよりはましだけど。
今日は一学期最初の日なので授業も無くお昼前に下校となった。
帰りのホームルームが終わるとほとんど何も入っていない鞄を取りだし、下校の支度を済ませ、クラスの生徒達に交じって教室から出てエントランスへと向かった。下校時間が重なったのかそこは他のクラスの生徒達もいて、混雑していた。上履きから下履きに履き替えようと前屈みになった私は、だれかとぶつかった。それは些細な衝突だったが、相手より体の小さい私の方がおおきくよろめいた。
「おっと危ない」
すんでの所でそのぶつかった相手に手をつかまれ転倒から免れた。
「ごめんごめんちょっとよそ見してた」
彼は私の手を握ったまま顔をのぞき込む。
「おや、君は初めて見る顔だね」
彼は私に爽やかな笑顔を向けた。
「ええ、そうです。私は唐沢真央、今日この学校に転校してきたました」
若干彼の笑顔に気圧されながら私は答えた。
「そうなんだ。3組に転校生が来たとは聞いていたけど君のことだったんだね。僕の名前は毛呂凪杜(もろなぎと)と言うんだ。よろしく」
「よ、よろしく」
私はぎこちない笑顔で答える。
「で、いつまで手を掴んでいるんだこの変態モロー」
いつの間にか私の背後に立っていた越生さんが、まだ彼が握っている私の手を強引に振りほどいた。
「そうよ、変な病気がうつったらどうする気よ」
大家さんがハンカチを取りだし、彼に掴まれた私の手のひらを念入りに拭いた。
「そんな人をばい菌みたいに扱わないでくれよ」
彼は抗議しながらも笑顔は崩さない。
「早速何も知らない転校生をたぶらかそうとしやがって。気をつけろ、こいつに近寄ると妊娠するぞ」
「止めてくれよ、越生さん。人聞きが悪いじゃないか」
「妊娠まではないけど、泣かされた女の子は実際に多いです。あなたは風紀を乱すと問題になっています」
「勘弁してよ大家さん。彼女たちにはただおつきあいできないって、はっきりお断りしただけなのに」
「ささ、向こうに行こうぜ」
まだ何か言おうとしている彼を残し、私は二人にその場を強制的に移動させられる。その流れで一緒に帰ることになった。
「あいつは、学校全部の女子の顔と名前を覚えているんだよ。ほんとまめだよなー」
「だからといって特別成績はいいと言うわけでもないのよね」
「スポーツが得意とも聞いてないし、ま、顔だけの男だな」
私を間に挟んで三人で歩く。学校の敷地をでても二人の口からはさっき会った一見爽やかイケメン風な男子の悪口が続いている。
「二人とも彼にいい寄られたことがあるんですか?」
私は聞いた。
「言い寄られた、ていうか妙になれなれしいんだよな、あいつ」
「私も勉強教えてくれって言われたことならあるわね、二人っきりで」
「二人ともモテそうですから」
大家さんは姿勢が良く、足はカモシカのようにすらりとしていて、つやのある黒い髪と大きな黒い瞳、はっきり通っている声を持つ。越生さんは柔らかそうな栗毛の髪と切れ長の目、身長は高く、なんて言っても胸が大きい。二人とも私が欲しいものを持っている。 二人ともタイプは正反対だが美人の部類に入ると思う。
「唐沢さん。その敬語はやめないか。オレたち同い年で同級生なんだから」
「そうよ、気を遣うことなんか無いわ、唐沢さん」
「じゃあ、二人とも「唐沢さん」は止めて欲しいな」
「じゃあ、なんて呼ぶ? 唐沢?」
「前の学校じゃなんて呼ばれてたのかしら?」
「だいたいまーちゃんって呼ばれてた事が多いかな」
「まーちゃん・・・・・・か、ちょっと子供っぽいな。真央で良いだろ、な、ちーちゃん」
「だれがちーちゃんよ、ゆーちゃん。そんなふうに呼んだことなんてないくせに」
「二人は顔なじみなんです・・・・・・なの?」
「そのとおり、幼なじみだよ」
「といってもみんな同じところに住んでいるから、学校のたいていの人と幼なじみといえるわ、さっきの毛呂君も含めてね」
「それよりこいつ登録しようぜ」
由夏ちゃんがスマートフォンを制服のポケットから取りだし左右に振った。
「いいわね」
千怜ちゃんも鞄からスマートフォンを取り出した。
「どうした? もしかしたらまだ持っていないのか?」
由夏ちゃんが訝しげな表情を浮かべる。
「ううん」
私は大事に仕舞ってあった新品のスマートフォンを鞄から取り出した。実は入手してから使うのは初めてだ。あれだけ欲しかったスマートフォンだが、電話をかける相手もラインをする相手もまだいなかった。
スマートフォンで初めての友達登録をして、明日も一緒に登校する約束をして二人とは交差点で別れた。
「唐沢」と表札がかかっている門の白い鉄の扉を開き中に入った。
玄関横にチェーンで繋がれている白い大きな犬が私の姿を見て吠える。
「ただいま、タロウ」
頭をなでてあげるとタロウは尻尾を扇風機のように振り回して喜んだ。
「お帰りなさい」
と、タロウじゃない誰かが私の背中に声をかけた。
「ただいま、おかあさん」
私はふり向いて言った。そこには両手に買い物用の半透明のビニール袋を持った母がいた。
「半分持つよ」
私は片方の袋を受け取り玄関のドアを開け、母に道を譲った。
「ありがとう」
お礼を言って母は先に玄関に入った。私はとりあえず上がりかまちに鞄を置き、買い物袋を持ったまま母の後を追った。キッチンに入った母は、一旦買い物袋をテーブルの上に置いた。私もその横に買い物袋を置いた。
「どうだった学校は。お友達できた?」
母は冷蔵庫を開け、そこに買ってきたものを入れながら私に聞く。
「うん、大家千怜ちゃんに越生由夏ちゃん、連絡先も携帯に登録した」
「そう、良かったわね」
友達百人できるっかな♪ と陽気に小声で歌う母の声を聞きながら私はキッチンを後にした。
私は一旦玄関に戻りそこに置いてきた鞄をとってから二階の自分の部屋へと入った。
部屋の正面の南側に大きなガラス戸、東側には小さな窓がある。それぞれに私が選んだお気に入りの色のカーテンがかかっており、いまそれは開け放たれている。ガラス戸からはベランダにでられる。私は鞄を学習机の上に置くとガラス戸を開けてベランダに出て、そこで大きく伸びをして深呼吸した。
春の柔らかい日差しとまだ冬の気配の残る風を全身に感じる。
この世界には人間の生活による空気の汚染がないので空気が美味しい。見あげれば青空が広がり、下を見ると広い庭が見える。物干し竿には白いシーツが何枚も風にはためいている。
制服から普段着に着替え、リビングに降りると弟と妹がいた。二人とも私より先に学校から帰っていたようだ。妹は革張りのソファに座り砂嵐しか映っていないテレビを見ていて、弟は直接床の絨毯の上に腹ばいになって何も表示されていない携帯ゲーム機とにらめっこしている。
「お姉ちゃんお帰り~」
妹の名前は唐沢華加小学二年生、母に似て元気が良く、私の遊び相手にもなってくれる。
弟の名前は唐沢明宏小学5年生、思春期真っ盛りで私とは目を合わせようともしない。何を話しかけても「うー」とか「あー」と言う返事しか返ってこない。弟が欲しいと言ったけど変なところがリアルにできている。でも顔は私好みでちょっぴり可愛い。
父と母は優しく二人とも仲は良い。母は料理上手で明るい。父は何の仕事をしているか知らないが毎日朝どこかへ出かけ、夕方になると定時で家に帰ってくる。
「ご飯よー」
母が呼ぶ。お昼ご飯の時間になったようだ。
「はーい」
私と妹は母に返事をした。弟はのっそりと無言で起き上がる。
食卓に着くときちんと父をのぞいた人数分のお皿やお茶碗がテーブルに並んでいる。しかし、食事がのっているのは私一人分だけだ。母と妹と私が頂きますと言ってご飯を食べ始める、と言っても実際に食べているのは私だけである。後の三人は食べている振りだけだ。妹はにこやかに弟は無言でこの作業をしている。この無益な行為はいつも私が食事を終えるまで続く。
私がいるいないにかかわらず、街にいる全てのロボットがこの作業をしているらしい。マザーに聞いたところによると昔は食卓に実際食べ物を並べていたらしい。しかし彼らには不必要で、いつしか食卓に並ばなくなったようだ。生産とゴミの処理が無駄になるためだ。
しかし今でもその名残で、時間になると皆食卓に集まり、食べ物のない食事会が催されている。ただし私一人の食事はどこに行っても用意されている。家族で外食したこともあるが、きちんと私の注文した分はウエイトレスが運んでくる。他の家族にはウエイトレスに伝えたにも関わらず空のお皿だけが運ばれてくる。まるでおままごとだ。
この街のある半径10キロメートルが私の住んでよいスペースだ、その外側にでては私一人では生きられないだろう。
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