人間がいない世界
彼の後をついてエレベーターに乗り、屋上へと上がり外へ出ると、暖房の効いている屋内とは違う、自然の二月らしい冷たい空気が私を包んだ。
格子状の手すり近くまで来ると街の夜景が見おろせた。この街はこの病院ほど高い建物が少ないので街の灯が遠くまで続いているのがわかる。上を見るとたくさんの星が見え、父の実家に行ったときに見た星空を思い出した。
「君がすんでいた街のことは知らないが、どうだねこの世界は」
先生が後ろから尋ねた。
「ええ、私の町にそっくりで良いところです。ちょっと住んでいる人は変なことするけど。わたしの住んでいる街がどこにあるかわからないと言われたけど、ここは日本なんですよね」
「ああ、そうだ。だが君の知っている日本ではないだろう」
風が吹き抜けた、ちょっと冷たいが、お腹いっぱい食べたばかりで火照った私の体にはちょうど良い。
「ああ、風が気持ちいい」
「風が気持ちいい、か。私には理解不能なことをいうね」
おじいちゃん・・・・・・院長先生がつぶやいた。
「理解不能?」
確かにちょっと寒いけど私はそんな変なことを言っただろうか。
「「風が気持ちいい」「寒い」「お腹がすいた」データーとしてその言葉はあるが、実際に我々はそんなことを感じたりしないんだ」
先生は言い直した。
「データー? 感じない?」
先生のいっている意味がわからない。
「キミが食べた食事はいざというときに備えて用意してあったレトルトなんだが、気に入ってもらえたようで良かった」
先生は話題を変えた。
「いざというときって、災害かなんかに備えて用意していたものなんですか?」
「災害時というより、君みたいなお客様がいらしたときのために用意してあったんだ」
「お客様? この病院では患者のことをお客様と呼ぶんですか?」
「広い意味ではそういうことになる。何しろこの病院に君みたいな患者が来るのは初めての事なんだから。君が食べたものは我々には必要ないものなんだ」
彼はわけのわからない事ばかり私に言う。
「そうそれです。ここにいる人達ってみんなご飯食べないんですか、だからトイレにも行かないのですか」
「いや、厳密には食事はするよ。ただエネルギーの補給方法が違う。私は製造されてからかなり経つが、君のように動物や植物を口から取り込み消化吸収したりしない。 君を保護した家族も私も食事はするが口から食べるんじゃない。この街はあちこちにマイクロウエーブ発信器があって我々は全身から電気エネルギーを受診している、つまり常に食事しているようなものだ。故障さえしなければこの街にいる間は二四時間動くことができる」
私は院長先生の全身を見回した。どこにも不自然なところはない。
「製造とか食事をしたことがないとかエネルギーが電気とか、それじゃまるでロボットみたいです」
「そうだ。君の言うロボットという概念が一番近い。我々はヒューマノイド、人間がいなくなった世界でいつ人間が帰ってきても良いように街を作り守っている存在だ」
私は一瞬思考が停止した。
「人間がいないってどういうことですか、ここは日本じゃないんですか」
「確かにここはかつて日本と呼ばれた土地ではある。しかし今は国、国境という概念が存在しない。なにしろそれを作った人間が一人もいないのだから」
「冗談ですよね。そんなこと信じられない、さっき病室を見たら私以外にもたくさんの入院患者がいましたよ。人間だから、病気だからここに居るんじゃ無いのですか」
「この病院には疾患を持っているものは1人もいない。彼らは入院患者と言う役割を与えられそれを演じているにすぎない。我々はいつ人間が現れても良いように街を作り、かりそめの生活をしている。実際君は見たはずだ」
院長は母親を見た。
「彼らはずっと家族ごっこをしている。父親がいて母親がいて子供がいる。父親は父親の役割を演じ母親は母親の役割を演じ、一日三度の食事の用意をして子供達の世話をしている。昔は本当に食卓に食べ物を並べていたが、我々は食べないので全てゴミになる。それは無駄だという理由で今は調理している振り、食べている振りをして一家団欒を演じていると言うわけだ。学校もちゃんとあり、勉強をする必要も無いのに子供達は毎日通う。彼らは永久に進級しない、年を取らないのだから。 そして学校だけでは無く警察もある、犯罪が起きないにもかかわらず。それはこの街が出来てから続いている。私も見てくれは60代男性だが、これは年をとってそうなったわけでは無い。作られた当初からこの姿なんだ」
「この世界に人間は私だけ・・・・・・」
私は話の大きさについて行けなかった。屋上の手すりに掴まりもう一度街を見下ろすと暗闇の中にたくさんの灯がともっているのが見える。あれは全て人間が必要であるために発生させているのものでは無く、ただロボット達が人間がそうしていたからという理由で灯している物なんだろうか。犯罪が無いのだとしたら防犯のために街灯をつける必要は無い。
「この病院には人間用の食事が備蓄してある。しばらくここで寝泊まりすると良いだろう。後日我々のマザーコンピューターのところへ行って詳しい話を聞きなさい。今後のことを話し合うといいだろう」
院長先生の話はにわかには信じられなかったが、詳しい話は彼らのえらい人がするらしい。さっき食事をしたのとは違う別の部屋を用意され、母親とそこで別れた。
部屋のベッドに腰掛け、しばらくは何も考えられずただ時間だけが過ぎていった。私に与えられた部屋は大きな個室で部屋の中にベッドが一つ、冷蔵庫とテレビが設置されており、トイレとシャワーもある。試しにリモコンでテレビのスイッチを入れてみたが、作動を知らせるランプは点いたのにモニターは何も映し出さない。次々とチャンネルを変えて見たが全て同じだった。
テレビのスイッチを消し、ドアを開けて廊下に出た。他の病室をのぞいてみたがやはり人はいる。多くは四人部屋六人部屋でそのほとんどを老若男女、様々な年齢の人でベッドは埋まっている。まだ夜も更けていないので起きている人が大半だ。 病室を抜けだし休憩室で将棋をしている人もいれば、雑談に興じている人もいる。皆、病院着を着ているからここの入院患者だろう。私は観察を止め思い切って話しかけてみた。
「あの、どこが悪いんですか?」
将棋をしていた老人が顔を上げて私を見た。
「どこも悪くないよ」
「それじゃ、なんでここに居るんですか?」
「わしにはそういう役割が与えられているからいるんじゃ」
「役割ってなんです? いつからここに居るんですか?」
「わしはここに居るために作られた。だから生まれてからずっとここに居る」
この人も生まれたときから老人だったというのだろうか、さらにお話をしようとしたら部屋の電気が消え常夜灯に切り替わった。廊下の電気も最低限の灯りだけを残して消えた。休憩室の人達はそれぞれの病室へと戻っていく。将棋をしていたおじいさん達もそれを片付け、病室へと入っていく。
私も病院の探検は諦め、病室へと戻った。もうすることも無いのでベッドに入る。
私はどうしてこの世界に入り込んでしまったのか、どうやったら戻れるのか、それだけが頭の中をまわり、なかなか寝付く事ができなかった。
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