初めての患者

 街の中心部にその病院はある。四階建てで個人病院としては大きい部類だ。

 ほとんどの医療関係の建物はそうであるように、壁は飾り気の無い白一色でその形は実用性だけを追求した箱型をしている。

 その屋根には、内側から灯をともすタイプの長方形の看板があり「アライ病院」と、この建物の名前が大きく書かれており、その名前の下に「内科 外科 皮膚科 整形外科 救急対応」と小さい文字で診療科目が並んでいる。


 真央は救急車でこの病院に運ばれた。救急対応でありながら、救急車により患者が運ばれてくるのは、この病院建設以来初めてのことであった。

病院には真央が若い女の子ということもあり、母親が付き添い救急車にも同乗した。子供がまだ小さいので両親とも家を空けるわけには行かず、父親は家に残っている。


 ここに救急車で運ばれた真央はストレッチャーで病院の処置室に移され、検査と治療が行われている。母親はその間彼女から離され、看護師に案内された別室で一人待たされた。今どうなっているのか気にはなったが、忙しく動き回る病院関係者の邪魔をするわけにも行かず、だれか状況の報告をしてくれるまでそこで待った。


 医師から話があります、とようやく若い女性看護師が母親を呼びに来たのは、真央がこの病院に運ばれてから二時間が過ぎた頃だった。

 女性看護師は母親をミーティングルームに案内したが、そこにはまだ医師は来ておらず、四畳程の広さの部屋にパソコンが載った細長いテーブルが一つと、折りたたみのパイプ椅子がそれを挟んで向かい合うように一脚ずつ、計四脚置いてあり、女性看護師は彼女にその椅子の一つに座るよう促すとまた部屋から出て行った。

 母親は女性看護師が、初老の男性を伴って戻ってくるまで、さらにその部屋で一人しばらく待たされた。


「大変お待たせしました、院長の新井です。このたびは大変でしたね」


 白衣を着た初老の男性は部屋に入ると、まず待たせたことを母親にわびた。彼はこの病院の院長だが、個人病院らしく自ら診察の現場で働いている。彼はテーブルを挟んで母親に向かい合うように椅子に座り、そのとなりのものに女性看護師は座った。


 医師はテーブルの上に検査結果の数値が並んだ紙を置き、パソコンを操作してモニターに白黒写真を映し出させた。それは人間の頭部の骨格で、今し方検査した真央のレントゲン写真だった。


「彼女が、真央ちゃんが倒れた原因はなんだったんでしょう。どこを故障しているんですか? 簡単に修理出来るんでしょうか?」


 長く待たされた母親はその時間を一気に取り戻すように、心配顔で医師の顔をのぞき込んでまくし立てた。


「大丈夫です、患者の意識ははっきりしていますよ。まぁ、落ち着いてこれをごらんください」


 医師は母親の質問に簡単に答え、パソコンのモニターを指さした。そしてキーボードを操作して白黒写真の次はCTによる人間の断面の写真に切り替えた。医師はそれを母親が見ているのを確認するとマウスで画面をクリックし、輪切り写真を頭のてっぺんから足の先まで順次移動させた。


「写真・・・・・・ですか?」


 しかし彼女にはそこに映し出されている白黒写真が重大な情報だとは理解出来ず、それを一瞥しただけですぐに視線を医師の顔に戻した。


「まず、彼女はこのシティの住人ではありません」


 医師は彼女が理解できなかったことを察知して、パソコンの操作を止め検査結果が書かれた分厚い紙の束をも開かずに、一つ一つ口頭で彼女に説明することにした。


「ええ、彼女は別のシティから来た、と言っていました。それが何か関係あるんでしょうか」


 真央の容体の説明せずに、いきなり世間話を始めた老医師を彼女は訝しんだ。


「彼女の話を聞いて詳しく調べてみたんですが、彼女が住んでいたというトコロザワと言うシティはこの世に存在しません」

「彼女が住んでいたシティが存在しない? それじゃ彼女はどこから来たというのでしょう? それが彼女の体調不良となんか関係があるんですか?」

「そこが問題です。検査の結果、彼女はどこにも異常が無いことがわかりました。倒れたのはエネルギーの不足による一時的な機能不全を起こしたせいだったんです」

「なんだ、そんなことだったんですか」


 老医師からようやく知りたい情報が聞けて母親は安堵した。


「それじゃしばらく休めば今夜にも帰れますね」

「残念ながらそれは無理ですね」


 医師は断言した。


「え、なぜです? まだなにか隠していることがあるんですか?」

「このままあなたのうちに帰すと、また彼女が機能不全を起こすからです」

「体調不良の原因は、うちにあるんですか?」


 彼女は考えたが思い当たる節は無い。そもそも自分たちは毎日不自由なく生活している。


「体調不良の原因はあなたの家を含めてこのクキシティ全体にあります。論より証拠、彼女に会いにいきましょう」


 医師は席を立ち、母親と看護師もそれに続いた。


「真央ちゃんに会えるんですか?」

「会うこと自体問題はありません」


 医師は先頭に立ち、歩きながら母親に説明した。


「彼女は倒れる前に機能不全を起こすサインを何度も送っていたはずですが、あなたたちはそれに気がつかなかった」

「サイン? サインって何ですか?」

「腹部から音が出る、とか」

「ああ、それなら私も聞きました。変わった機能を持っていますね、わざわざお腹から音を出してエネルギー不足を周りに知らせるなんて。他のシティではああいう機能をつけているんですかね。私たちにはあんな機能はありません。でもその事は彼女は何でも無いと言っていましたよ。故障とは関係無いのじゃ無いですか」

「それこそが体がエネルギーを欲する警告音だったんです。彼女たちは産まれたときからあの機能を備えている。でもその警告音を出すことは彼女にとって恥ずかしい事らしいので隠していたのでしょう」


 エレベーターを使い三人で上の階にあがり、廊下を進み角を何度も曲がり大きな金属製のドアの前で医師は止まった。


「ここです」


 彼がそのドアについているボタンを押すと、ドアは静かに左右に開いた。

 中に入るとその部屋には医療用の器材や資料が積まれた机がならび、仕事をしている看護師もいる。彼女たちは老医師の姿を認めると仕事の手を止め、彼に向かってお辞儀をした。彼は片手をあげて制すると彼女たちはまた無言で作業に戻った。 そのまま機材をよけながら部屋を通り抜けると壁の前に来た。その壁は腰から上がガラスになっており隣の部屋が見えるようになっていて、医療関係者が作業しながらそこにいる入院患者に気を配れるようになっていた。その病室はカーテンで仕切られたベッドが三つ並び、真ん中のものに真央がいた。他の二つには誰もいない。


「真央ちゃん、元気そうでよかった。え?」


 ベッドの上に起き上がっている真央の姿を見た母親は安堵した。青い入院着を着せられている真央は横になっておらず、上半身だけをベッドの上に起こし何かを一生懸命していた。ベッドの上には簡易テーブルがありその上には銀色の食器が乗っており、その中の食べ物、肉じゃが、ほうれん草のおひたし、具は卵とタマネギのコンソメスープ、コッペパンに、半透明なカップに入ったプリン、ストローが刺された四角い紙製の箱に入った牛乳、を彼女は次々と口に運んでいた。


「彼女は一体何をしているんですか? あんなものを次々と口に押し込んで、また壊れたりしませんか」


 並んで隣の部屋をのぞいている医師に母親は聞いた。

 ガラスの壁はマジックミラーになっているわけではないが、彼女はこちらに気がつかない程その作業に夢中になっている。


「彼女はエネルギー不足による機能不全に陥ったと先ほど説明しましたね、なのでそれを改善すべくエネルギーの補給をしてもらっています」

「エネルギーの補給と言えばマイクロウェーブによる電気の供給でしょう、彼女にはその受信能力が無いのですか」

「ありません。あれは食事、と言われる行為なんです。彼女は有機物を体内に取り込み、それを消化吸収して活動に必要なエネルギーに変換しているんです。取り込めなかったものは体外に排出します」

「そんな効率の悪いエネルギーの摂取方法・・・・・・まるで動物のようですね」

「まるで、ではありません。検査の結果驚くべき事がわかりました。彼女は動物です。そしてデーターバンクにアクセスして情報を照合させたところ「人間」という生物であることがわかりました」

「ええ! 真央ちゃんは「人間」なんですか!」 


 母親は目の前で大変なことが起きていたことを理解し、驚いた表情でまた真央を見た。


「あれが人間・・・・・・初めて見ました」

「ええ、私も初めてです。あやうく彼女を検査のためにバラバラに分解するところでした」


 二人は真央の食事姿を、それが終わるまでガラス越しに見ていた。

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