食事のない食事会
お風呂からでたあと、私は子供達に遊びに誘われた。
「さぁ、おやつにしましょう」
「「わーい」」
そう言ってお盆を持ってリビングに入ってきた母親に、私と一緒にババ抜きをしていた子供達が歓声を上げた。私も昨日のお昼から口に入れたのはコーヒーと水だけだ、思わず一緒に歓声を上げるところだった。
お盆の上にはマグカップが四つ、中央に木目調の蓋付きのお菓子入れがのっている。彼女はそれらをガラステーブルの上に手で移した。私達も一旦ゲームは休止し、ガラステーブルの周りに座った。
「ココアだ、いいにおーい」
やはり子供達は甘いものが好きなようだ。私もココアは大好きだ。今日みたいな寒い日には体が温まって特にうれしい。
しかし、私には子供達が言うココアがどこにあるか見つからない。辺りにはあの甘いチョコレートの香りも漂っていない。
「遠慮しなくて良いのよ、真央ちゃん。冷めないうちに召し上がれ」
そう言って母親はお菓子入れの蓋を開けた、がそこには何もはいっていない。入れてくるのを忘れたのだろうか。それにしては彼女は失敗に慌てた様子もなく、子供達も大事なおやつがお預けになりそうなことに抗議しない。
子供達はマグカップを手に取り、その縁をフーフーと念入りに吹いた。しかしそんなまるで熱いものを飲むような用心をする必要は無い。だって中には何も入っていないのだから。
子供達はフーフーを止めマグカップに口をつけ、傾けた。
「あまーい」
口を離し子供達は笑顔を浮かべる。
次にお菓子入れに手を伸ばし、人差し指と親指で挟んだものを口に運ぶ。ちゃんと咀嚼しているが何も口に入っていない。
この人達何をしているんだろう。
お風呂の時も思ったがこのうちは、子供におやつを出すのを渋る程のケチなのか。
だったら何も出さなければいいのに。子供達に食べてるフリなんて強要してまるっきり児童虐待だ。子供達が演技に見えないいい笑顔を浮かべるのが見てて悲しい。彼らはそれを私に見られていることをなんとも思ってないのだろうか。
「あら、食べないの?」
母親も口を動かしながらお菓子入れを私の方に勧めた。
「ええ、ちょっとダイエット中で」
「駄目ね、あなたぐらいの歳は成長期なんだからしっかり食べた方が良いのよ」
「じゃあ、お姉ちゃんの分もらい!」
男の子がまた空のお菓子入れに手を伸ばす。
「ずるーい、私も」
続いて女の子も手を伸ばした。
「コラ、意地汚いことするんじゃありません。ほら、お姉ちゃん笑ってるわよ」
母親はやんわりと注意した。
洗面台で水を飲んで飢えをしのぐ。もったいないから水を飲むな、と言われるのにビクビクして見つからないようこそこそ飲んだ。
「あの~トイレ貸してください。どこにあるのでしょうか?」
しかし、飲むものを飲んだら私の体は余分なものを排出しようとする機能が働く。
「トイレ? トイレに何しに行くの?」
母親に場所を聞くと訝しげな顔をされた。まさか水がもったいないからトイレに行くなと言うんだろうか。
「トイレなら廊下に出て階段の下にあるけど、そんなところで何をするのかしら?」
「そりゃ大とか小とか・・・・・・とにかくお借りします」
私はそれ以上何か言われる前に、教えられた場所のトイレに駆け込んだ。
母親は連絡したと言うけれど事情聴取、私の身元引き取りに警察などは来ない。
私は空腹を紛らわすかのように子供達と遊んでいた。
だがお腹は私の意思に反して空腹の抗議の声を上げた。慌てて私はお腹を押さえたが、時すでに遅し、結構大きい音だったのでそれを聞いた子供達は辺りを見回した。
「なんかお姉ちゃんのお腹から変な音がした、どこか調子悪いの?」
「ううん、ちょっとお腹が空いているだけ」
男の子に指摘され、私は正直に言った。
「あらあら大変、少し早いけどお夕飯にしましょう」
私達の会話を聞いた母親は、洗濯物を畳み終えると、そう言って立ち上がった。
「私も手伝います」
私の迎えは来ない。まだ当分この家にお世話になるのだろう。ただご飯を食べるだけでは申し訳ないので私も立ち上がり、母親に続いてリビングの横にあるキッチンに入った。
「真央ちゃん、カレーはお好き?」
冷蔵庫に頭を突っ込みながら彼女は私に尋ねる。今日の夕飯はカレーのようだ。
「ええ、大好きです」
「でもね、うちは子供がまだ小さいから甘口なのよ」
「ええ、それなら大丈夫です」
辛くない分には問題は無い。
母親は冷蔵庫から何かをとり出し、キッチンテーブルの上に次々と並べる・・・・・・仕草をするだけでその上には何も置かれていない。
彼女はシンクの前に移動して、ピーラーをとりだしそれを何度も手のひらの上で往復させた。次にそれをまな板の上に置き、包丁でトントンと叩く。
「何をしてるんですか?」
「ジャガイモの皮を剥いて切ってるのよ、真央ちゃんのおうちはカレーにジャガイモを入れない主義なの?」
「・・・・・・もちろん入れます」
甘くなるのを嫌ってカレーにジャガイモを入れない人がいる、という話は聞いたことがある。
「そうよね。ジャガイモの入ってないカレーなんて信じられないわ。真央ちゃん、お米は洗える?」
手伝います、と言っておきながらただ黙ってその作業をみている私に母親は言った。
「はい、できます」
見ていても仕方が無いので炊飯器からお釜だけを取り出した。それはまるでいままで使われたことが無いように新しい。
それを冷蔵庫横に置いてある計量器付きの米びつの下に置いた。それはボタンを押せば自動的に計量されたお米を上のタンクから下の受け口から落とすものだ。
一合と書かれたボタンを押すがボタンは軽く、奥まで押し切っても下の受け口からは何も出てこず、お釜の中にお米一粒入っていない。
蓋を開けて中を見ると空っぽだ。洗うお米が無い。それとも別のところにお米を置いてあるのだろうか。
「あの、お米はどこですか?」
「お米? うちにお米は置いてないわよ」
私は確かにお米を洗ってと言われたはずだ、馬鹿にされているんだろうか。こうなればとことん付き合ってやる。
お釜をシンクに移動させ、中に水を入れそれを手のひらでよくかき混ぜる。二回程その行為を繰り返した後、お釜に着いた水を布巾でよく拭き炊飯器にセットした。スイッチは入れなくても良いだろう。
「炊飯器用意できました、三合で良いですね」
「うん、ありがとう。じゃあ、次は野菜サラダをお願い」
彼女は切った野菜や肉をフライパンで炒めてるふうに、木べらで中をかき混ぜている。
次の作業を頼まれた私は、普通野菜を保存している冷蔵庫を開けた。だが想像したとおり中は空っぽだった。冷蔵室、冷凍室、野菜室、全て開けて確認したが調味料さえ入っていない。それどころかこの冷蔵庫は使われた形跡も無い。それでも私は中からものをとりだして一旦テーブルに並べ、戸棚からサラダボウルをとりだし、その中に冷蔵庫からとり出したものを入れる。レタスは手でちぎり、その上に包丁で八等分したトマトをのせた。
我ながら上手いパントマイムをキッチンで披露したと思う。なので五枚のサラダボウルには何ものっていない。
母親はそれを見てご苦労様と一言言った。せめて演技上手ね、とくらい言って欲しい。
玄関から音がする、誰か入ってきたようだ。呼び鈴を押さずに黙って入ってきたところを見るとこの家の住人だろう。
「ただいまー」
スーツを着た男性がキッチンに顔を出した。
「お帰りなさい」
母親は鍋を玉でかき混ぜながら応えた。子供達はその男性の足にまとわりつき、犬も主人の帰宅を喜び尻尾を振っている。
「ん~良い匂い、今日はカレーか」
「当たり~」
もちろん何も作ってないので何の臭いもしない。
「あれ、娘が一人増えている。いつこんな大きな子供を作ったかな? 全く覚えが無い」
「お客さんよ、他のシティから来たそうよ」
「初めまして唐沢真央です」
私はお辞儀をした。
「お客さんとは珍しいな。他のシティって、どこから来たんだい?」
「所沢です」
「トコロザワ? 聞いたことが無い名のシティだな。データーに無いけど最近できたシティかな」
「ええ、まぁ。そうかも知れません」
私が住んでいるのは新興住宅地ではあるが、所沢という地名は古くから存在してそこそこ有名だ。もっとも、知らない人がいても不思議では無い。
「お話しは食事の時にゆっくりしましょう。まずは着替えてきてくださいな」
妻は夫の話を遮った。
「そうだね。そうしよう」
夫は妻の言うことに賛成すると、子供達の頭を優しく一撫でしてからキッチンから出て行った。
「パパが着替えている間に夕飯の準備をしましょう」
母親は私と子供達に言った。子供達はわいわい言いながら夕飯の準備を手伝う。
父親が食卓にやってきたときには、ダイニングのテーブルの上に何ものっていないお皿と箸とスプーンが五人分並んでいた。これは母親が炊飯器からしゃもじを使ってお皿にご飯をよそい、鍋からお玉でカレーをすくってかけた、らしき動作をしたのを私達が運んだものだ。
「さぁいただきましょう」
「いただきます」
五人がテーブルに着くと、母親の号令で夕食が始まった。しかしテーブルの上には食器だけしかのっていない。しかし皆スプーンを使って美味しそうに食べ始める。自分だけに見えない何かがあるのかと思ったが本当に何もないようだ。
「皆、何をしているんですか?」
ゴールデンレトリーバーもテーブルの横で皆と一緒に何も入っていない餌皿の上で舌を動かしている。私は溜まらず聞いた。
「食事だよ。どうしたんだいそんなこと聞いて」
と父親は応えた。母親も食事の手を止め、子供達は気にせず食事みたいな動作を続けている。
「でもテーブルの上には食器があるだけで、食べ物は何ものっていないじゃありませんか」
「そりゃそうだろう、まさか君は実際に食事の時に皿の上に食料を並べようというのかい。なんてもったいない」
まさか、ここまでケチとは、いやここまで来るとケチという範疇を超えている。まるで彼らはいままで一切食事をしたことがないように聞こえる。調理の手伝いの時、実は食事の用意の別に用意してあるとか出前を取るとか考えていたが、本当に何も無いようだ。
私は椅子を鳴らして立ち上がり、さらに何か言おうとしたができなかった。
その途端、激しいめまいに襲われたからだ。
私の目にテーブルと椅子とみんなの足が見える。頬に感じる冷たい固い感触はダイニングの床だと理解するのに時間がかかった。手足を自分の意思で動かすことができず、自分が倒れたことにやっと気づく。
「あら、どうしたの!」
みんなの慌てる声が頭の中に響き、ぐるぐると回る。彼らが何を言っているのかわからない。その声も次第に遠く聞こえなくなり、最後に自分のお腹が大きく鳴り響く音だけははっきりと聞こえた。
そういえば昨日から何も食べていないな、水を飲んだだけだ。あ、コーヒーを一本飲んだっけ。
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