第三章 ある少女の変わった日常
街
どのくらいそうしていたのか時間の感覚が無い。
全てに絶望し、全身を弛緩し、うつ伏せで横たわっていた私は、自分にいつまでも死が訪れていない事に気がついた。といっても死んだことが無いので実はもう死んでいる可能性がある。
想像していた死はもっと暴力的で苦しくて残酷な物だと思っていたが、実は風の無い湖面のように優しくて静かなものだったのかも知れない。
自分がもう死んでいるとしたら、初めて知った事だがこれが最後でもある。
わずかだが手足は動くし、力を込めると体も動く。全身に感覚があり呼吸も出来る。うつ伏せになっていた私は、体と下の地面の隙間に空気があったようだ。
私はまだ生きている。確信を持った私は最後の力を振り絞って全身に力を込めた。腕立て伏せの要領で膝を支点に背筋に力を込め、手のひらで前を突いた。
頭を上げるのに土砂の抵抗はなく、起き上がった私の顔に日差しと風を感じる。ゆっくりと目を開けた私ははっきりと明るさを感じ、頭の上に積もっていたであろう砂が目の前を落ちるのが見えた。
私の体は思った程深く埋まってはいなかったようだ。体の上に乗った土砂は少なかったらしく、さらに上半身に力を込め全身を這い出すことに成功した。
明るい日差しが私の顔を照らす。大きく呼吸をしようとしたが頭の上から滑り落ちた土が口の中にはいり邪魔をした。大きく咳き込み、目に入った土で涙ぐみ、それを手で払いのけた。
下半身はまだ砂に埋まっている。私は誰もいない山の中を歩いていて土砂崩れに巻き込まれたから助けが来るのは絶望的だ。だがこの土砂崩れの騒ぎを聞きつけた人達がやってくるかも知れない。
土砂崩れは私の所為では無いのに怒られるのはきっと私なんだろうな。そんなところにいたおまえが悪い、と。
こんな危険な場所を放置していた、大人の方が糾弾されてしかるべきなのに、逆によってたかって私のことを責め立て、家出少女の言うことなんてだれも聞かないだろう。
世の中は理不尽だ。きっとますます家と学校にいる場所はなくなる。このまま埋もれたままの方が良かったのかもしれない。
「お姉ちゃん誰? そこで何してんの?」
脱出に必死になっている私に声がかけられる。いきなり話しかけられた私は声がした方に首を巡らすと年端もいかない少年少女がいた。
彼らはその大きくて純粋な瞳をぱちくりとさせてこちらを見ている。いま私に話しかけてきたのは男の子の方らしい。女の子はその背中に隠れ、半分だけ顔をのぞかせてこちらを見ている。小学校にあがる前ぐらいの年齢の彼らは、双子らしく容貌がよく似ている。
「崖崩れに遭って埋まっていたの。あなたたちは大丈夫だった?」
「崖崩れ?」
二人してキョロキョロと顔を動かす。
どうしてこんな小さな子供がこんなところに、彼らも私と同じ家出かそれとも迷子だろうか。
しかし、二人がいるのは一軒家のリビングと思われる部屋の中、その絨毯の上に座り、ガラス戸を半分開けてこちらを見ている。一緒に遊んでいたのだろうか、二人とほぼ同じ大きさの、毛並みがふさふさした茶色のゴールデンレトリーバーもこちらを見て尻尾を振っている。
私は違和感を感じた。まるで自分が狭いところに押し込まれた印象を受ける。
辺りを見回すと、いま自分がいるのは三方をブロック塀に囲まれた敷地内で、目の前には家がある、木も数本植えてあり、まるで民家の庭みたいだ。その民家の庭先の真ん中にある、地面にレンガで仕切りを作った花壇らしきところで私は半身を埋もれさせている。
土砂の津波の跡なんてどこにも無い。あれだけ大量の土砂があったらこの家など飲み込まれて木っ端みじんになっていただろう。サーフィンみたいに家屋敷が壊れることなく旨く波乗りした、なんてまるでギャグだ。それに塀の向こうにも家が見えるから、ここは住宅地の中の一軒で、山の中に建つ一軒家ではない。まさか家ごと土砂に流されて住宅地にきたわけではないだろう。
全身に力を込めると下半身もあっさりと地面から抜け出た。花壇の真ん中に、私が開けた大きな穴が残った。
二人ともびっくりして止まってしまっている。まるで時間が止まっているかのようだ。だが時間が止まっていない証拠に、犬の尻尾だけがメトロノームのように左右に揺れている。
「あ、ラルク!」
ゴールデンレトリーバーが男の子の静止を無視して庭に降り、私のそばまで寄ると尻尾を振りながら私の顔を舌でペロペロと舐めた。
何が何だかわからない。その大きくてざらざらした舌は力強く、私の頭がふらふらと動く程だった。
しかし、体にまとわりついた泥が崖崩れに巻き込まれていたことが夢ではなかったことを物語っている。
家の奥からその双子の母親らしき女性が出てきた。
「あらあらどうしたの。なんの騒ぎ?」
女性はリビングに座っている二人に問いかけた。男の子は黙って私を指さし、彼女はその視線の先を追い、そこにいる私の存在に気がついた。
「あら、あなたは誰? 今日はお客さんがくる予定はなかったはずなんだけど。それにしてもくるならいきなり庭にい入らず玄関から呼び鈴を押してちょうだい」
私がいるのは民家の庭先。崖崩れの痕跡は辺りに無く、なんの説明も無ければ見た感じは泥だらけの不法侵入者扱いだ。
「すいません、お邪魔しています」
我ながら間抜けなことを言ったしまった。
ゴールデンレトリーバーが私の頬を舐める作業を止め、家に上がりお母さんのところに行った。
「初めて見る顔ね。どこから来たの? 泥だらけになってそこで一体何してたの? あなた、誰? 製造番号は?」
彼女は寄ってきた犬の頭を屈んで撫でながら私に質問した。
え? 製造番号?
「名前は唐沢真央、誕生日は五月八日です、製造番号というのは特にありません。クラスの出席番号なら五番です」
ふむ、とお母さんは少し考えた。彼女の視線が上を向く。
「聞いたことがないわね。私の記憶バンクにもないし、来客があるというプログラムはなかったはず。イレギュラーの発生なんて珍しいわ。あなた何をしていたか知らないけど泥だらけね」
私は立ち上がって体についた泥を払った。
「当局に照合を頼んだから、今後のスケジュールがわかるまでうちに滞在していると良いわ。とにかくそんなところにいつまでもいないで、うちに入ってシャワーを浴びなさい」
私は迷子の扱いらしい。それでも不審人物であるこの私をこの人は受け入れてくれるみたいだ。そんなそぶりは見せなかったが、当局に連絡したと言ったから警察を呼んだのだろう。仕方ないので観念して警察が迎えに来るまでこの家で待っていよう。
家に入れられる前に彼女に念入りに服をはたかれ、泥を落とされた。
「ちょっと大きいけど着替えはこれを使ってちょうだい」
ようやく許しが出て、家の中にあげられ脱衣所へと通された私は、お母さんにバスタオルと着替えを手渡された。
お母さんが出て行くと服を脱いでお湯室に入りシャワーのコックをひねる、がいつまでたってもお湯はでない、冷たい水のままだ。この冬のさなかに水のシャワーを浴びたら凍え死んでしまう。今私は裸だ、風呂場は寒い。ちょっと手足に水をかけたが凍る程に冷たい。
一旦コックを閉め、ガラス戸を少し開けて頭だけを外に出して叫んだ。
「すいません、給湯器のスイッチが入っていないようなんですが」
よく聞こえなかったのか、おかあさんがやってきて浴室のドアの向こうから語りかける。
「お水、出なかったかしら?」
「水は出ますけど、いつまでたってもお湯になりません」
「お湯? 汚れなら水だけで落ちると思うけど」
お湯を沸かす電気代がもったいなくてケチっているのか。この二月の冬のさなかに水のシャワーなんか浴びたら死んでしまう。
「できればお湯を使わせてもらえませんか」
下手に出て頼んでみた。
「ちょっと待ってちょうだい」
彼女の口から罵詈雑言が飛ぶと思って首をすくめたが、案外すんなりと私の願いは通った。
「いま、ボイラーのスイッチをいれたから、しばらく待てばお湯がでるわ」
再びシャワーのコックをひねりしばらく待つと湯煙が出る。触ってみると熱い。お風呂場にもうもうと湯気がこもる。
お湯と水のコックをひねり温度をちょうどよく混ぜると、温度を手のひらで確認すると体に浴びせた。体の表面を滑り落ちるお湯の感触が心地よい。体が温まると全身が弛緩して今後の心配が頭をよぎる。警察が来て引き取られて家に帰されたらすごく怒られるだろうな。
「変わった服を着てるわね」
洗面台の鏡を見ながらドライヤーで髪を乾かしている私の裏で、母親は泥だらけの私の制服を手に取って言った。
「これは東陽南中学校の制服です」
「東陽南中学校? 聞いたこと無いわ、このシティにそんな中学校あったかしら」
そう言って私の制服を洗濯機に放り込んだ
「ひょっとして他のシティから来たの? 道理で見たこと無いはずだわ」
シティとかしゃれた言い方をする人だな。
「ここはなんていう街なんですか?」
「クキシティよ」
「クキシティ?」
クキってひょっとして埼玉県の久喜市のこと? そうだとすると、私が住んでいた所沢からとんでもなく遠くまで歩いてきてしまった。
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