ボーイフレンド

 帰りのホームルームが終わり、皆席を立つ。クラスの半分くらいがクラブ活動をやっていて、残り半分が帰宅部だ。私たち三人も帰宅部に所属している。


「帰りにクレープ屋に寄っていこうぜ」


 薄っぺらな鞄を手に持ち、席から立ち上がった由夏ちゃんは、いつものように私たち二人に買い食いを提案する。彼女は、教科書もノートも学校の机の中に置いていくので帰り支度も早い。


「そうそう、越生はこのあと職員室に来るように」

「げっ」


 職員室へ帰りかけた担任の先生が、頭だけを教室の中に戻し、由夏ちゃんに向かってそう一言言ってから廊下へと再び消えた。帰る気満々だった彼女は顔をしかめて固まった。


「由夏ちゃん何やったの?」


石像のようになった彼女に聞いた。


「それが心当たりがありすぎて何が何やらわかんねー。ひょっとしてすぐに終わんないかもしんないから先に帰っててくれ。悪い、クレープは二人で行ってくれ」

「あら、言っていなかったかしら? 私も今日、委員会があるから帰りは遅くなるわよ」


 そういって千怜ちゃんは、鞄を持たず机の中からレポート用紙と筆箱を取り出す。

「そういえばそうだった。わるい真央、クレープは1人で行ってくれ」

「じゃあ、クレープはまた今度だね、悪いけど今日は一人で先に帰るね」


 まるでこれから判決を受ける囚人のように、足取りを重くして教室を出て行く由夏ちゃんを二人で見送る。先生に職員室に呼ばれたからといって、それが必ずしもお説教のためとは限らないのだが、彼女の落ち込む姿が面白かったので黙っていた。


「それじゃあね、千怜ちゃん」

「ええ、また明日。いつものところでね」


 千怜ちゃんとはそのまま教室で別れ、1人で鞄を持ちエントランスに向かった。


 下足室で下履きに履き替え、一人でエントランスをでて校門までの道を歩く。

 体の両脇が風通しがよすぎてスースーする。いつも一緒にいた二人が両脇にいないとなんか落ち着かない。

 1人で学校から帰るのは久しぶりだ、というか転入してから初めてなのではないだろうか。あの二人とは転校初日にお友達になり、休日にもよく三人で出かけた。洋服の趣味も映画の好みもバラバラで、よくその前で言い争いになったものだ。


 感慨にふけながら、校門にさしかかり外に出ようとすると、その前には一人の男子を中心にした女の子の集団があった。

 男子は壁にもたれてその爽やかな笑顔で女の子達に対応している。彼はこちらに気がつくと輪を抜け、手を振りながら私のそばにやって来た。


「こんにちは唐沢さん」


 彼は唇の隙間から白い歯を見せた。


「こんにちは、毛呂くん。ではさようなら」


 軽く会釈してそのまま通り過ぎようとしたが、彼は正面に立ち私の進路を塞いだ。


「そんな邪険にしないでくれよ。一緒に帰ろうよ、君を待っていたんだ」

「一緒に帰ってくれる人には困ってないでしょう? 私なんかほうっておいてあの子達と帰った方がいいんじゃないかな?」


 私は口を固く結び、こちらに怒りの目を向けている女の子の集団に視線を送った。


「いいんだよ、彼女たちとは特に約束していたわけじゃない」


 彼は女の子の集団の方に振り返った。


「みんなさようなら、また明日」


 と笑顔で手を振る。

 彼女たちの中の数人が、ぎこちなくこちらに手を振り返した。


「さあ、行こう」


 彼は今度は私の気安く私の肩に手を回し先を促す。

 私も彼と一緒に帰るのを約束した覚えは無いが、女の子の集団からむけられる目が怖いので促されるまま学校を後にした。

 私は肩に掛かる彼の手の重みを気にしながら、


「一緒に帰るのは良いけど、何もしない?」


 と聞いた。


「え? 何かしちゃだめなの?」

「さようなら毛呂君、一人で帰ります」


 私はようやく彼の手を肩から払いのけることが出来た。


「ごめんごめん冗談だよ、何もしないよ」


 小走りで先を行く私を彼が謝りながら追いかけてきた。


「お詫びになんかおごるからさ、ちょっとそこの公園に寄っていかないか」


 と、彼は私をナチュラルに下校デートに誘う。私は男子が苦手だが、その中でも特にこういう気安い男子は理解不能だ。いつもは千怜ちゃんや由夏ちゃんが一緒にいて私を守ってくれていたけど今日は私一人、自分だけの力で断らなくてはならない。

 彼は私が黙っているのを肯定と受け取ったのか、手をとり強引に公園へと連れて行った。

 二人で公園に入ると、彼は駐車場にいる営業中ののぼりを立てているアイスのワゴンカーを指さした。


「今日は暑いからちょうど良い、アイスでいい?」

「ただ程高い物はないって千怜ちゃんが言ってた」


 私は毅然とした態度で言った。


「いやいや、大丈夫。何の見返りも求めないって」


 両手の平を顔の前で振り、全身で否定する。だがその間も自然な笑顔を崩さない。

 彼は木の陰になっているベンチに私を座らせると、ワゴンカーに走った。

 いい女は男を奴隷のように扱うのは当たり前の権利だ、とも千怜ちゃんに聞いていたので私は遠慮無くチョコミントを注文した。私がいい女なのかどうかはさておく。


 彼はワゴンカーのおじさんと盛んにこちらを見ながら何かを話している。アイスを手渡したおじさんは彼に笑顔で右手の親指を立てた。

 アイスが溶けそうなくらいまぶしい笑顔で、彼が両手で握りこぶしを二つ作ってこちらにやってくる。その右手には三角のコーン入りのアイスを持ち、左手は握りこぶしだけだ。何も持っていない。


 彼はベンチに座っていた私のところに来ると、丁寧に紙ナプキンで包んで持ってきたアイスを手渡してくれた。私はお礼を言ってそれを受け取りさっそく一舐めした。

 口の中に冷気とミントの爽やかな香りが広がる。

「おいしい」と本心からそう言うと彼は満足そうに微笑みベンチの私の横に断りもなく座った。少し距離が近い。私は心持ち座っている位置を横に少しずらした。その間私に渡したアイスを持っていたのとは反対の手に作っていた握りこぶしを崩さない。


「あのおじさんに、可愛い彼女だねって言われたよ」


 と言った。あのおじさんというのはアイス売りの人のことだろう。


「おべっかじゃないの?」


 私は彼女と勘違いされたことには触れず素っ気なく言った。でも、可愛いといわれて悪い気はしない。


「そんなことはないよ、君は可愛い」

「おべっかでもうれしい、ありがとう」


 彼はその握りこぶしに口を近づけ舌をチロチロと出す。私はペロペロとアイスをなめる。私と彼はしばらくその作業に没頭した。

彼が不意にその作業を止めた。周りをキョロキョロと見回しそわそわし、不意に、


「え~と・・・・・・その・・・・・・考えてくれた?」

「うん、チョコミントも美味しいけどラムレーズンも捨てがたかったかな」


 彼は、大きなため息をしてがっくりと首をうなだれた。


「良ければもう一つそれもおごるけど・・・・・・ごめん、そういう話じゃないんだ」


 もちろん私は彼が何を聞こうとしているのかを知った上でとぼけたのだ。


「前に言われてた私とお付き合いしたいということ? ごめんなさい、私は男の人と付き合うってどういうことかわからないの」

「そんなに堅苦しく考えなくても良いんだ。みんな流行の服を着るように異性と付き合っているよ。交際っていったって今時そんなに真剣に考えている人はいないよ。時々二人っきりで一緒に遊びに出かけたり映画を見たりショッピングしてくれれば良いんだ」


 少し彼と一緒に過ごす時間のことを考えてみた。果たして私が彼と一緒にいるとき私は笑っているだろうか。彼は常にその爽やかな笑顔を絶やさないでいるが、彼に笑顔を向けている自分が想像できない。彼は今日会ってから私が笑っていないことに気がついているだろうか。


「ごめんなさい。やっぱり無理です」

「僕のこと嫌いってわけじゃないよね」


彼は笑顔を若干曇らせ、救いを求めるように私を見た。


「特に嫌いって事じゃないけど、こんな私なんかにこだわらなくても、あなたのことをものすごく好きっていう人がいくらでもいるじゃ無いの。例えば田中好恵さんとか」


 私は今日トイレの前で私を突き飛ばし、怒りと憎悪の目を向けたきつめの美少女の名前を口に出した。

彼は天を仰いだ。


「好恵はただの幼なじみだよ、親同士が仲が良いから一緒にいる時間が長いだけ。僕にとって妹みたいなもの、今更一人の女の子としてなんか見られないよ」

「彼女のことを大事にしてあげてください。今日付き合ったのはその話をはっきり断るためです、アイスクリームごちそうさま」


 私は立ち上がりアイスの包み紙と紙ナプキンをゴミ箱に入れると公園を出た。

 彼を公園に置いてけぼりにして一人で帰宅の途についたが追いかけてはこなかった。

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