家族

 母と一緒にリビングに入ると、食卓には私と母以外の家族3人が、すでにテーブルの前の椅子に座っていた。私を待たずして朝食は始まっていたようだ。

 父は二つ折りの白い大きな紙を広げながら、何も入っていないマグカップに口につけている。

 妹は私の姿を認めると「お姉ちゃんやっと来た」と口をもぐもぐさせながら私を指さした。

 弟は携帯ゲーム機を食卓に持ち込んでそのプレイに熱中している。


「鏡なんかいくら見ても代わり映えしないのに」


 と弟がゲーム機のモニターから目を離さずに言うがその画面には何も表示されていない。

 私は弟の頭を軽くはたいてから自分の席に着いた。彼は頭のはたかれたところを押さえ私を恨めしそうに見たが無視をした。


 白い食卓用テーブルの上には合計で4枚の皿、4枚のサラダボウル、4つの味噌汁椀、4つのご飯茶碗があるがいずれも空っぽだった。先に食事を始めていた三人の前のお皿とサラダボウルの上には何もない。


「ご飯のときくらいゲームは止めなさい」


 と母が弟に言いながらテーブルの上に5枚目の皿、サラダボウル、味噌汁椀、ご飯茶碗を加え、私の前に置いた。

 その皿の上には目玉焼きとパリッと焼かれた3本のウインナーがのっている。

 サラダボウルの中には緑まぶしい野菜達とミニトマトが数個、木のお椀の中には具は豆腐とわかめの湯気を立たせている味噌汁が、お茶碗には白いご飯がやや少なめに入っていた。


「頂きます」


 と母に言ってから私は箸を取り食事を始めた。

 他の4人の前にある皿は食べ終わったので空になっているわけではない。

 最初から何ものってはおらず、これらの食器はただ並べてあるにすぎない。


 父は何も書かれていない広くて白いただの紙で視界を遮っている。妹は箸を皿から茶碗と自分の口へと忙しく動かし、何も入っていない口を咀嚼させている。


「また、夜遅くまでマンガを書いていたのか」


 父が胸から上を隠すほど大きな白紙をめくりながら、私が食卓に遅く現れたことをとがめる。


「勉強もちゃんとしてるよ」


 朝からお小言を聞きたくない私はやや強く言った。


「いや、勉強なんかしなくても、売れっ子漫画家になって我々両親に楽をさせてくれるならそれでいい」


 娘の若干の反抗を父は気にした様子はなく白い紙から目線を外さない。


「成功するのはほんの一握りの人だけだよ」


 私はサラダボールの中のミニトマトを一個箸でつまみ、口に放り込んだ。


「だったら大金持ちの男を捕まえて嫁いでくれ」


 父は新聞から片手だけ離し、何も入っていない白いマグカップを手に取り口につけ、それを少し傾ける。


「朝から馬鹿なことを言うのはやめてくださいな、結婚なんてまだまだ先ですよ」


 テーブルを挟んで父の向かいの席に座っている母は父をにらむ。


「金持ちどころか姉ちゃんをもらってくれる人自体いねーよ」


 私は座ったままテーブルの下の憎まれ口を叩く弟の足を蹴った。


「暴力女」


 弟は私に舌を出した。


「私だって告白された事くらいありますー」


私も弟に向かって顔をしかめ、舌を出し返した。


「うそつけ、それって人間か?」


 弟はあまり興味なさそうに顔を再びゲーム機のモニターへと向けた。


「ほらほら二人とも、早く食べないと遅刻するわよ」


 母が私と弟に注意をする。


「いけね」


 時計を見た弟がゲーム機をテーブルに置き、空の茶碗を手にするとあわてて箸を動かし口にかき込む。箸は何も掴むものがないのでただ空を切る。


「ほらあなたも、いつまでも新聞読んでいないでいい加減会社に遅れますよ」

「コーヒーもういっぱいおかわり」


 母は肩をすくめると黙って立ち上がりポットを手にすると、父が差し出したマグカップに向かってそれを傾けた。ポットはカラなのでマグカップには何も注ぎ込まれていないが、受け取った父はそれにを口をつけた。


 朝食を終えるといつものように洗面所で歯を磨き、トイレを済ませた。他の家族とトイレや洗面台の取り合いになることは無い。

 夕べのうちに用意を済ませてある鞄を持って妹と弟と一緒に玄関を出た。

 外に出ると玄関横に繋がれた大きな白い犬が、首輪に繋がれた鉄のチェーンをじゃらじゃらと鳴らし、構って欲しくてワンワンと吠える。ブンブンと音が出るほど尻尾を左右に大きく振っている。


「タロウ、帰ってきたら散歩に行こうね」


 頭をなでてやると言われたことを理解できたのか、タロウはクーンと一声鳴きおとなしくなった。


 家の門をでると道路に面している塀にはめられた表札が目に入り私はそこで立ち止まった。

 それには名字だけでなく、住所と家族全員の名前が黒い石のプレートに白い文字で彫り込んである。毎日見ているものだがなんとなく私はそれに指を這わせた。

 指先から全身に、それの冷たいつるりとした感触が広がる。


 唐沢明孝、これは父の名前。サラリーマンをしているらしいが詳しいことは知らない。ほとんど毎日定時に帰ってくる、出世にはあまり興味ないらしい。

 唐沢華代、これは母の名前。専業主婦をしている。明るくて料理上手で何をするにも鼻歌を欠かさない

 唐沢真央、これは私の名前。明孝と華代の間に産まれた長女ということになっている。中学二年生で抜群に成績が良いと言うこともなく運動ができるわけでも無く、これといった特技もない。あえて言うなら漫画を書くことが好き。身長はクラスでは前の方。幼児体型で強度のくせっ毛に悩まされている。

 唐沢明宏、これは弟の名前。小学5年生、生意気盛りで姉を姉とも思わない。普段あまり会話がない。

 唐沢華加、これは妹の名前。弟と同じ小学校の二年生、とても明るくて元気が良い。


 これに大きくて白い犬のタロウを加えたのが私の今の家族である。


 小学校と中学校は所在する場所が違うため、出る時間は同じだが弟と妹とは家の前で左右にと別れる。父は一足先に家を出て駅の方に向かっている。

 家の前で二人と別れるときに妹はいつも元気よく私に手を振ってくれるので、私も元気に振り返す。それに対して弟は私達のやりとりを興味なさそうに横目で見ながら黙っていってしまう。


 家の庭先の横切ると鼻歌を歌いながら洗濯物を干している母が見えたので「行ってきます」と声をかける。すると母は一旦洗濯物から目を離し「行ってらっしゃい車に気をつけて」と私の方を見て返事をした。そしてすぐに鼻歌を歌いながら洗濯物を干す作業に戻った。今の鼻歌はベートーベンの第九らしい。


 毎朝の慣習を終え、家を後にし、昨日と同じ代わり映えのない通っている中学への路を歩く。

 道には多くの車が行き交い、私のような学生服に身を包んだ男女や背広の男の人やスーツの女性も歩いている。彼らも私のように住んでいる場所があり、そこからそれぞれの理由でそれぞれの場所へと毎朝向かっている。

 私も中学校で勉強を習うという目的で家を出て、毎日そこへと通っている。


 この道を歩く作業はこの春から始まった。私はこの春この地の中学校に転校してきたからだ。それ以前は別の中学校へ通うために別の道を歩いていた。

 今の中学校へと向かう最初の交差点にさしかかると、そこに私と同じ中学校の制服を着た女の子が二人立っていた。

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