第一章 ある少女の日常

 昨日私は朝起きて皆におはようと言い、夜になったら皆におやすみと言って寝た。

 今日私は朝起きて皆におはようと言い、夜になったら皆におやすみと言って寝る。

 明日私は朝起きて皆におはようと言い、夜になったら皆におやすみと言って寝るだろう。


 そんな退屈な毎日が続くと私は漠然と思っていた。

 私のそばにいる人がある日突然いなくなったりはしない。

 友達は永遠に友達で、親は永遠に私を守ってくれると、固く信じていた。


 失って初めてわかる。

 それが努力して守らなくては簡単に壊れる、はかないものだったということを。

 しかし私一人がいくら頑張ったところで破壊を免れなかっただろう。

 ならばせめて存在する間だけでも大事にすれば良かった、と今では後悔している。



「お姉ちゃん朝だよー! いつまで寝てんのー! 起きろー!」


 廊下から私の部屋へとつながる扉が音を立てて勢いよく開き、その行為の主が声を私の部屋の中に響きわたらせた。

 その幼く高い声を聞いた途端、布団の中にあった私の体は本能が働いて手足が勝手に縮まり、頭をすっぽりと布団の中に隠して、これから加わる攻撃に備え防御態勢を取った。


 軽くて小さい足音が、部屋の入り口から私が寝ているベッドへと近づいた。止まったと思ったら私の体に上から布団越しに軽い衝撃が加わる。

 いつものように妹に馬乗りにされたようだ。


「お願い華加(はるか)、あと五分だけ寝かせて・・・・・・」


 私は布団の中に頭を隠したまま彼女に哀願した。


「だめー、起きなさーい、遅刻するぞー」


 彼女は容赦なく私の上で何度も飛び跳ねた。

 それでも布団の中で亀のように丸まっていた私に、妹は最終宣告をした。


「いいかげん起きないとー、おっぱい揉んじゃうぞー」


 妹はふとんの上から降りるとそれをめくり、中に頭を潜り込ませてきた。


「きゃー止めてー、揉む程無いから許してー」


 私は半笑いしながら両手で肩を抱き身をよじり、彼女の手からそのささやかな自分の胸の膨らみを守った。


「だまってやられてばかりでいるかー、反撃!」


 逆に私が妹の体中に手を這わせると、彼女のきゃっきゃっという嬌声が布団の中でくぐもる。 この襲撃のせいで私はすっかり目が覚めていた。


「はい、降参」


私は布団を跳ね上げ上半身を起こした。その勢いで潜り込んでいた布団の中から妹がベッドの外へと転げ落ちた。

 派手な音を立て手床の上に落ちたがダメージはなかったようで、彼女はすぐに起き上がり、「朝ごはんできてるよ、早く来ないと全部食べちゃうからねー」と言い残し、入ってきたときと同じように、ドアを後ろ手で勢いよく閉めて部屋から出て行った。


「ふう」


 私は下半身を布団で覆ったままで部屋から出て行く彼女を見送ると、ベッドの上で大きくため息をついた。

 目の前の視界を自分の縮れた前髪が邪魔をする。

 低血圧な私と違い、妹は朝に強い。

 彼女の襲撃に付き合って運動をしたせいで髪がくしゃくしゃになった。

 日中は頭の後ろで左右に二本にわけて、それぞれを三つ編みのおさげにしている髪も、夜寝るときはほどいて簡単に頭の後ろで一本に束ねている。

 それがほどけてバラバラになっていた。


 髪の乱れは取りあえず手でかき分けて視界を確保するだけにとどめ、布団から体を抜け出しベッドから降りると、前とは違って広くなった部屋の中を横切り窓のそばに立った。そこにかかっている私が自分で選んだお気に入りの色のカーテンを開けはなし、ガラス越しに朝の光を全身に浴びた。


「うーん」


 私は両手の指を組んでそれを上げ、うなり声とともに全身を伸ばした。その強い日差しは、今日も暑くなると予感させる。

 将来のことを考えると、そろそろ肌のトラブルについて心配した方が良いのかもしれない。母は日焼けに神経質で、常にどこに行くのも日傘を手放せないでいた。


 私の周りには日焼けによるシミ、ソバカスを気にしている人はいない。

 逆に女子でも日焼けによる肌の黒さを自慢している人がいるくらいだ。

 私もまだ肌のトラブルを真剣に考えたことはない。何しろまだ14歳なのだから。


 陽の光で気分をリセットした私は、部屋の角にある収納型のタンスの前に移動した。

 その観音開きの扉を両手で引くと、中に閉じ込められて圧縮された防虫剤の香りが私の全身に襲いかかってくる。若干そのにおいにむせたあと、着ていた上下のパジャマをその場で脱ぎすて、中から白い半袖のワイシャツを一枚取りだして袖を通しボタンを留め、紺のスカートをはき、セットになっている紺のベストを着た。


 扉の内側にある鏡に私のお子様体型の下着姿が写し出されたが、できるだけ見ないように着替えた。


 通っている中学校指定の制服に着替え終わると、階段を使って一階に下りた。この階段は角度に余裕をもたせ真ん中辺には踊り場もある。

 一階に降り、脱衣所兼洗面室にはいると今脱いだばかりのパジャマを洗濯籠の中に放り込み、洗面台で顔を洗う。顔を上げると、鏡のむこうに髪を乱してこちらをのぞき込む、幼い顔の女の子と目が合った。


 彼女を見るのは今日が初めてではない。いつ見ても地味な容姿をしている。丸顔で鼻が低くて背は小さく、中学生のはずなのに小学生で通用するくらい幼く見える。

 毎日鏡を通して彼女を見ているが独断昨日と変わったところは見えない。ちゃんと成長しているのかを疑う。身長はクラスでも前の方、胸はほとんど平らで、足は長くもなければ細くもない。


 14歳はまだ子供だと大人達は言う。だから今後に期待を持って良いのだろうか。しかし、同級生の中に同い年でありながら身長は高く、足もすらりと長く、胸も盛り上がり将来はモデルか芸能人に有望なスタイルな子なんてたくさんいる。

 産まれながらに家はお金持ちだったり、美人だったり、頭が良かったり、運動神経が良かったりと、持っている子と持っていない子がいて世の中は不公平にできている。

 そして残念ながら私は持っていない方だ。

 家はお金落ちではなく、美人でもなく、成績も良くない。

 全て悪い方と言うこともなく自分は普通だ普通だと思い込むことで自分を慰めている。


 それでもせめて何か一か所、人に自慢できるところがあれば良いのにな、とはいつも思っている。髪型を整えば地味な私でも少しはましに見えるだろうに。

 だが残念ながらそこが私最大のコンプレックスである。

 それは強いくせっ毛で、せめてきれいに波打っていればソバージュみたいでかっこいいが、私の場合波の方向がそろっていないので、束ねておかないと海の中で漂うわかめのような頭になってしまう。短髪にすれば良いのかもしれないが、それだと野球少年みたいな坊主にしなければこのくせっ毛は隠せない。


 いいかげん鏡の中の自分とのにらめっこを切り上げ、濡れて水滴がしたたる顔をタオルで拭き、続いて髪と格闘する。

 髪を何度も櫛ですくが引っかかってばかりでスムーズに進まない。


「いつまでも何してんの、真央。ご飯食べる時間がなくなるわよ」


 食卓に現れない私を心配して、母が洗面所まで様子を見に来た。


「ほら、貸してごらんなさい」


 母はひと目見て私が自分の髪をまとめるのに苦労しているのを理解し、私の手から櫛を受け取りそれを使って優しくくしけずった。


「もうこの髪、嫌い」


 母にされるがままになっている私がそう言い放つと、


「そんなこと言ったら髪がかわいそうよ。これもあなたの一部なのだから、この髪が嫌い、ということは自分自身が嫌いと言っているのと同じことよ」

「そう、私は自分のことが嫌い」

「あらそうなの? 私は好きよ、このくせっ毛だけではなく真央のことが全部好き。お願いだから私の好きな女の子の悪口を言わないで」


 そう話しながら母は私の髪の毛を難なく左右に二本に分け、それぞれを三つ編みにまとめ上げた。


「はい、できあがり」


 母は両手を優しく私の両肩にのせた。後ろに立つ彼女のまぶしい笑顔が、鏡越しに見える。

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