その名は雲を霞と

 視線を、少佐へやりつつ、俺はベッドから降りた。部屋を出る前に頭を下げ、一応の挨拶をした。

 レグオルダ少佐はその場から動かず、表情も変えず、俺たちを見送った。

 太い柱が立ち並ぶ外廊下を歩きながら、前を行くサイズの背中を見上げる。自然と足が止まった。訊きたいことがありすぎて、迷っているうちに、俺は動けなくなっていた。


「アキさん」


 少し距離の空いたところで立ち止まったサイズが、すぐに引き返してくる。

 なにを訊くよりも早く、俺はその手を掴まえた。

 あったかい。

 本当はロボットなんじゃないかと、ちょっとだけ思っていたから、ほっとした。あの、人並み外れた運動神経は、もしかしたら、そういうことだったんじゃないかとも思った。


「変なやつが来た。サイズにそっくりなやつ」

「……」

「なにあれ。一体なんなんだよ。俺の首絞めやがるしっ。すげえ怖かった……っ」


 涙に邪魔されつつ、俺は声を振りしぼった。

 サイズは眉間にしわを寄せ、俺の首に触れてくる。絞められた跡が残っているのかもしれなかった。

 俺は、目の前に近づいたシャツを掴んだ。そこでも嗚咽をもらす。

 ……優しく、サイズが頭を撫でてくれる。

 手のひらが、行き来する。そこから安心が生まれ、やがて大きな安堵となった。

 その手が不意に止まった。

 後頭部の一点をなぞるように、指先だけが動く。


「これは……なんだ」


 嫌な予感を伴わせる低い呟きだった。

 サイズは、俺の頭を確かめるように体を動かした。


「うそだろ。なんでこんなもの──」


 サイズが力なく言う。

 なにごとかと思い、俺も後頭部へ手をやった。すると、豆つぶみたいな硬いものに触れた。


「サイズ……俺の頭に、なにかくっついてる……」

「レグオルダ……」


 忌々しげに、サイズは声を落とした。


「これさ……なんだよ」

「とにかく、ここを早く出ましょう」


 サイズから強く腕を引かれたとき、鋭い一声が頭に響き渡った。

──殺せ!

 気を失いそうになるほどの「言葉」だった。

 次に気づいたときには、俺は、見覚えのある剣を手にしていて、その刃先を、サイズの首筋へ当てていた。

 なにがなんだかわからない。

 いつの間にか、サイズから剣を奪っていた。

 サイズも目を見開いている。

 ……でも、すぐにいつもの顔へ戻した。

 自信にみちみちたまなざしで、自分にできないことはないと高を括ってかかっている表情だ。いつも俺を嫉妬まみれにして醜くさせる存在だ。

 この世からいなくなればいいのに。消えてしまえばいいのに。

 俺は、目を見張った。

 ……いま、なにを考えていた?

 頭を振る。剣を持つ手が震える。

 生唾を呑み込んだ。おかしな衝動にかられる。焦燥する。

 そんなことを思うはずがないのに、頭の中で響く声に抗えない。それどころか、心まで奪われそうになる。

 目の前の男が憎い。消えてしまえばいいを、頭の中の声は繰り返している。


「アキさん、僕の目を見てください」


 俺になにが起こっているのか理解できている様子で、サイズは冷静に声をかけてきた。

 俺は、首を横に振った。目をつむったら、サイズがすさまじい怒号を上げた。


「目を閉じるな。俺を見ろ。どこにも頭をやらないで、俺だけを見ろ」


 俺は深呼吸した。目を上げて、冷静に考える。

 サイズは、俺を助けてくれた人だ。二年間も、行方不明だった俺のことを案じてくれて、一生懸命捜してくれていた。

 そんな人を、俺が憎いと思うわけはないんだ。……ないんだ。

 俺はサイズの瞳から視線を離さず、それだけを考えるのに集中した。

 そのときだった。サイズの目が、一瞬、横へといった。


「スノー」


 サイズの側頭部に銃口が突きつけられた。

 あの少佐だった。しかも笑っている。

 その目が、ゆっくりと俺のほうを向いた。

 それに反応するかのように、俺の手が剣の刃先を最悪の展開へ進めようとする。


「アキ」


 俺は首を横に振った。涙が止まらない。


「いやだ。やだよ。なんで、こんなことすんだよ」


 あの少佐は本気なのか。

 ……なら、サイズを狙っていたのはあの人ってこと? ヒューマノイドを使って襲わせたのも。

 頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。気持ちが悪い。胃からなにかが出そうだった。

 異常なくらい、足と手はしっかりとしているのに、腹の中や頭はぐにゃぐにゃだ。意識もどこかへいきそう……。

 でも、このまま自分を見失ったら、俺がサイズをどうにかしちゃうんじゃないかって怖くなって、なんとか踏ん張った。

 銃の引き金にかかっているあの指からも目を離しちゃいけない。離したら、途端に引かれると思って、なんとか自分を保っていた。


「……」


 俺は目をしばたたいた。

 気づくと、周りの音がなにも聞こえなくなっていた。

 だけど、体はそのままだ。ぜんぜん動かせない。まるで時間が止まったかのようになにも感じなくなっていた。

 そんな中、ちらちらと見えるなにかがある。

 ……だれかの顔だ。

 どこかで見たことのあるシーンが、いくつも、いくつも頭をよぎっていく。

 真新しい望遠鏡。

 いつもの河原。

 たくさんの流れ星。スバルとホクトセイ。そして──。

 俺の口が、なにかに促されるようにして、勝手に動く。


「はるなり……」


 そこへ、耳をつんざく銃声が聞こえた。

 俺は我に返った。

 握っていた剣が奪われると、膝が真っ直ぐを保てなくなった。その場に崩折れながら見たのは、少佐の腕に噛みついてるインヘルノの姿。

 よかった……。インヘルノもちゃんと生きてた……。

 天を向く銃口と、その先の青い空を目に入れ、俺は胸に手を置いた。

 安心したからか、意識が朦朧としてきた。

 サイズの悲しげな顔がちらっと見えた。その口がなにかを言う。

 だけど、それを理解する間もなく、俺の意識はゆっくりと閉じられた。





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