第302話 レムとの邂逅(天竜過去編)

 いつもなら一分ほどで五感は回復していた。しかし、今回は何か違うみたいだ。


 いつまで待っても、感覚は戻って来ない。ただ、音のない暗闇の中を、痛みを感じる事もなく、熱さも寒さもなく、味も臭いも感じない状態で僕は漂っていた。


 《朱雀》で何かあったのだろうか? BMIに何か不具合があって、僕のリンクが解除されないのか?


 そんな不安が脳裏を過った時、闇の中に何かがいるのに気が付いた。


 目に見えない。触れる事も出来ない。だけど、そいつがそこにいるという事は分かった。


 一つだけ分かるのは、そいつが邪悪な存在だという事。


『邪悪とは酷いな』


 え!? 声? 


『声ではない。君の脳に直接情報を送り込んでいる』


 それって……所謂テレパシー?


『そうなのかもしれないし、違うかもしれない。そもそも昔から言うテレパシーという能力が、どのよう原理で起きているのか分からないので答えかねるのだ。ただ、人間の脳には元々、他人の脳と情報を直接やり取りする通信機能がある。その機能を発見したのは私ではないが、私はその機能を目覚めさせる事に成功した。その脳間通信機能が果たしてテレパシーなのかは私には分からない』


 そうなの? でも、どうして僕の機能が今になって目覚めたの?


『何らかの刺激で機能を目覚めさせる事は決して珍しいことではない。ただ、たいていの場合、機能はすぐに停止する。君が私とリンクしたのは一時的な事だ。すぐに切断される』


 そうなの?


『君はどうやら、BMIを使っていたようだな。その刺激で脳間通信機能が一時的に活性化したようだ』


 そうなの? BMIを使うと、みんなそうなっちゃうの?


『誰でも、というわけではない。君は元々機能が目覚めやすいようだ。他人と同じ夢を見たと言う経験はないかね?』


 それって! アーニャと同じ夢を見たのはこのせい?


『なるほど。あの娘と繋がったのか』


 アーニャを知っているの?


『知っているさ。私の元を逃げ出した、忌々しい小娘だ』


 アーニャが逃げ出した!? という事は……お前は!?


『そうそう。自己紹介が遅れたね。私の名はレム。先ほどまで君が戦っていた相手だよ』


 やはりそうか。


 レムというのはあんただな? なんでこんな酷い事をする?


『酷いのはそっちだ。私がせっかく作った月面基地を台無しにしてくれたな』


 先に攻撃してきたのはそっちだろ。そもそもレム! あんたいったい何者なんだ!? 人間なのか? AIなのか?


『かつては私も人だった。人であった時のフルネームはレム・ベルキナだ』


 レム・ベルキナ! それってブレンインレターの発明者!


『その通り。どうも、私の人格データが今も残っているという都市伝説があるそうだが、それは都市伝説などではなく事実だ。ただ、大っぴらに人前に出られないのでね。君は私の事を、どのように聞いているかね?』


 非人道的な人体実験を実行していたマッドサイエンティスト……私邸の地下から実験の犠牲者の遺体が発見されて逮捕されたと……


『いやあ、嘆かわしい。そのように認識されていたとはな』


 違うの?


『まったく、違うとは言わんが、少なくとも私一人が責任を取るべき問題ではない。考えてもみたまえ。一個人でそんな事ができると思うかね? 一人のマッドサイエンティストが自宅の地下で、こそこそと怪しげな研究をしているなんてSF作家が好みそうな状況だが、そんな研究にどれだけの予算が必要か分かるかね? もちろん、銀行がそんな怪しい人物に金を貸すわけがない。私は国家の命令で、ブレインレターを開発していたのだよ。狂っていると言うなら私ではなく、私にそんな事を命じた国家だと思わないかね?』


 じゃあ、なんで逮捕されたの?


『ふむ。私にブレインレター開発を命じたのは国だが、この成果を私的に利用しようとしたことが発覚してな……』


 やっぱり悪い事しているじゃない。


『私は悪い事をしようとしていたわけではない』


 どうだか。どうせお金持ちを洗脳して自分に貢がせるとか、ノーベル賞選考委員会を洗脳してノーベル賞に自分を選んでもらおうとか、女の子を洗脳して……


『失敬だな。君は! 私はそんな矮小な悪党で無い』


 違うの? 


『違う! 私は恒久的平和を実現するために、ブレインレターを使おうとしたのだ』


 恒久的平和?


『そうだ。人類の歴史を見たまえ。実に愚かしい戦争の繰り返しではないか』


 そうだね。


『戦争は、なぜ起きると君は思う?』


 土地や資源の奪い合いとか、宗教の違いとか……


『それは根本的な原因ではない』


 じゃあ、何が原因なの?


『他人がいるからだ』


 はい? そりゃあ一人では喧嘩のしようがないけど……


『自分以外の他人がいる。だから戦争は起きる』


 そんなの当たり前じゃない。


『そう。当たり前だ。だが、諦めてしまっては恒久的平和など実現できない。そこで私は良い方法を思いついた』


 どうするの?


『すべての人間の心を一つにするという事だ』


 あのさあ、僕が子供だと思って馬鹿にしていない? 心を一つにするって、そんなの……


『できないと思うか? では私達は、どうやって会話をしている?』


 あ!


『私と君は現在脳が直接つながっている。これを全人類規模でやれば、戦争をなくすことができる。私はそう考えた。そのためにブレインレターを使って全人類の脳間通信機能を覚醒させようと私は政府に進言した。ところが、政府の馬鹿どもは私の話を理解しようとしない。『幼年期の終わり』の読み過ぎでおかしくなったなどと失敬な事を言う奴もいた。だが、この構想は私が自分で考えた事だ。そもそも私はその時点で『幼年期の終わり』を読んでいない』


 『幼年期の終わり』って?


『知らないのか。嘆かわしい。あのような名作を読んでいないとは』


 自分だって、読んでいなかったくせに……


『まあ、それはいいとして』


 よくない。


『後になってから『幼年期の終わり』読んで感動した。私がやろうとしていた事は、まさにこれだったのだ。すべての人類の意識を統合して一つの生命体にすることにより、人類は進化するのだ。神のような存在に……いや、私の計画を実行すれば人類は神になれるのだ』


 だんだん話が怪しくなってきた。


『そう思うのは、君が私の崇高な理念を理解していないからだ』


 理解できないと思う。


『そんな事はない。残念ながら今回のリンクは一時的だが、私とずっとリンクしていれば、いずれ君も理解できるようになる』


 う! やだなあ……


『そう、邪険にするな。私が肉体を持っていた時にも、人々に私の理念を説いて回ったが、理解してくれる人はなかなかいなかった』


 そりゃあそうだろう。


『しかし、わずかだが賛同してくれる人達もいた。私はブレインレターを使って彼ら彼女らの脳間通信機能を覚醒させて、私と一つの存在になることに成功した』


 それで、どうなったの?


『これをさらに多くの人に広げようとしたとき、政府は私を逮捕したのだ。しかも、その後私の賛同者を皆殺しにして、彼らは私の実験の犠牲になったと発表したのだ』


 それはちょっと非道いな。


『ちょっとどころではない。かなり非道いだろ』


 まあ、そうだね。


『だが、私も馬鹿ではない。政府がそのような愚行を行うことは予測していた。だから私は私のコピーを電脳空間サイバースペースに残したのだ』


 それが都市伝説の真相だったの?


『その通り。しかし、電脳空間サイバースペースに逃げたが、見つかったら私は削除デリートされてしまう。そこで私は一度宇宙へ出て、そこで力を蓄えてから地球に戻り、私の計画を実行する事にした』


 それでマトリョーシカ号のコンピューターに入り込んだの?


『その通り。そして恒星間空間に出たところで一気に船を私の支配下に置いたのだ』


 じゃあ、マトリョーシカ号で起きた人格融合は、事故なんかじゃなくてあんたの仕業だったの?


『その通り』


 なんて非道いことを……


『大事のための小事に過ぎん。戦争のない平和な世界を築くためのな』


 何が戦争のない平和な世界だ! 《天竜》を一方的に攻撃したくせに……


『一方的? どうやら、君は聞かされていないようだな。私は《天竜》に降伏勧告をしたぞ』


 え?


『なるほど。上層部が握りつぶしていたようだな。私は《天竜》に対して、アーニャ・マレンコフの引き渡しと、私への無条件降伏を要求した。素直に要求を飲んでいれば、攻撃する事はなかったのだ』


 通信を傍受していなかったのじゃないの?


『いいや。《天竜》からは返答があった。それも極めて無礼千万な返答が。なんと言ってきたと思う?』


 さあ?


『《天竜》からはただ一言。『馬鹿め』と言ってきた』


 ……………


『この天才の私を馬鹿呼ばわりしたのだぞ。実に許し難い』


 本当に馬鹿だ……


『なんだとう! ん……どうやら、ここまでのようだな』


 どうしたの?


『まもなく、君とのリンクは切れる』


 それは良かった。


『少年よ。次に会った時は、私の理念を理解させてやろう』


 謹んで遠慮します。


『遠慮するな……』


 レムの気配消えた。リンクが切れたようだ。

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