Unnamed Memory/このラノ2021ランクイン記念SS

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 生きる意味と理由は、生まれた時から決まっていた。



「殿下! また勝手に城下に抜け出されて!」


 城の通用門をくぐるなり悲鳴じみた幼馴染の苦言をぶつけられ、オスカーは笑った。


「城都の外にまで出てないからマシだろう? ちょっと陳情の実態を見に行ってただけだ」

「そういうことをご自身でなさらないでください!」

「後は、呪い破りの短剣が売られているという噂があって見に行ってきた」

「……ああ」


 ラザルの声が曇る。明らかなその変化に若き王太子は苦笑した。



 ――魔女にかけられた後継断絶の呪い。

 それが彼の人生に重い影を落としているのは確かだ。場合によっては彼が、血によってしか受け継げない王剣の最後の主人になるかもしれない。さすがにそれは避けたいと思うのだが、今のところ手立てが見つからない。当の魔女に解かせようにも所在も分からないのだ。


 だが、今のところオスカーはさほど気にしてはいない。重大な問題だが、それに押しつぶされる気はない。もともと王太子として生まれた彼は、民のために生きることが決まっている。公私の別、などとは言うが、オスカーに「私」の部分はほとんどない。国のために生きて国のために死ぬ人間だ。

 その代わりに彼には恵まれた環境が与えられているのであって、公人として生きることを「窮屈だ」と言うことも傲慢だろう。全ては生まれた時から常に傍にある責務で、そういうものだと思っている。そんな下ろせない重荷に呪いのことが加わっただけだ。



 裏庭を行きながら、オスカーは軽く笑う。


「別に気にするな。いつも通りはずれだ」

「……気にしますよ」

「俺は気にしてないぞ。まだ二十歳になったばかりだ」


 まだ王位も継いでいないくらいだ。気に病み過ぎてもよくない。

 普段通りの主人に、ラザルは複雑な視線を向ける。オスカーにとって唯一の「私」ともいえる幼馴染は、何かを言いかけて、けれどそれをのみこんだ。代わりに他愛もないことを口にする。


「殿下は、もし呪いが解けたならどのようなお妃様をお迎えになられたいですか?」

「妃か。特に希望はないな」


 それは「公」の範囲で、これと言って望むものはない。お互いが不利益にならず、そこそこつつがなく暮らせればいいと思っている。極端な話、誰でもいいのだ。

 ただもし呪いが解けないのだとしたら、妃となる人間には賢明さがなければならない。王剣の継承を自分たちの代で途絶えさせねばならないのだ。オスカーは、これに関しては自分以外の人間に重荷を課さなければならないのは、申し訳ないと思っていた。


 けれどそれもまだ先の話だ。できるなら、何の害もない人間を妃に選べるようにしたい。

 そんなことを考えるオスカーに、ラザルはまた何か言いたげな目を向けた。

 友人として、選択肢のない一生を送るオスカーに向ける彼のまなざしは気の毒げなものだ。

 だからオスカーは、ささやかで、けれど代わりのない温かさを覚える。


「大丈夫だ。お前が知っててくれる」

「殿下……」

「あと割と好きに抜け出してる。いい気晴らしになるしな」

「本当おやめください……せめて私もお連れください……」

「引き際はちゃんと見極めてるから安心しろ」


 物心ついた時から友人が一人いて、自分のことを分かってくれている。それは得難い幸運だ。

 オスカーはそんな風に、己にまつわる全てを理解していた。



                 ※



『理論上は魔力に強い女性を母体にすれば、出産に耐えられるかもしれません』


 隣国であるトゥルダールに呪いのことを打ち明けたのは、今の状況を考えて、父王に相談した上でのことだ。魔法大国のトゥルダールにとって、絶対魔法抵抗の王剣アカーシアは、目障りとも言える存在だ。それが継げない可能性があるなどと知られれば、要らぬ野心を呼び起こしかねない。

 ただ、呪いに関して一番知識があるのもおそらくトゥルダールだ。

 だから十五年間手立てが見つからなかった今、次の対策に手を出さねばならない。そう考えてのオスカーの提案に、父王も「仕方ないね。そろそろ相談してみよう」と同意してくれた。


 事態を一つ先の段階に上げる、賭けとも言える一手。

 それに返ってきたものは、トゥルダール国王の真摯な対応だ。

『魔力に強い女であれば耐えられるかもしれない』という情報。それに加えて、地下の不思議な通路に通された。これは、トゥルダールは妃候補の情報があるということだろうか。

 そんなことを考えながらオスカーは、秘された庭園で……彼女に出会った。



                 ※



 夢に描いたように美しい女だった。

 腹立たしいくらい行動が読めない女だった。

 子供のようにふるまいながら、時折ひどく冷徹になる。

 不安定で、だが揺るぎない。おかしな女だ。



「もしお前が俺の立場だったらどうする?」


 そんなことを聞いたのはただの気まぐれだ。

 ティナーシャはその時、城壁の上に浮かんで夜の街を見下ろしていた。

 オスカーは間断ない執務の中、少し散歩に出ようとしてティナーシャと出くわしたのだ。

 面倒だからそのまま連れてきて、今は二人で城壁の上でぼうっとしている。

 彼女は突然の問いに、不思議そうに首を傾げた。


「呪いを解きますけど」

「解く手立てが見つからなかったらどうする、という意味だ」


 他人にこの問いをぶつけるのは初めてだ。ティナーシャは闇色の瞳を丸くして、即答した。


「諦めて、次代の選定と教育に移ります」


 彼女は長い黒髪の一房を自分の指に絡める。オスカーはその答えに息を詰めた。


「そもそもファルサス直系が血を継がなければいけないのはアカーシアがあるからでしょうけど、アカーシアってそれだけあっても国同士の力関係を揺るがすほどの力はないんですよね。他国の国宝に対してこう言ってはなんですけど、あくまで剣の一振りですし。それがあるからって戦争に勝てるわけじゃないでしょう?」


 暗黒時代に女王であった女は、そう苦笑する。


「アカーシアが本当に強みを持つのは対個人や対物であって、だから本来は王位とそう相性がいいとは思えないんです。だって国王が使い手なら、そういう局所的な要素のために戦闘に出るってことまずないじゃないですか。そんなことしても万が一の時の損害の方がずっと大きいですし。むしろ王剣として玉座に縛られていることで、アカーシアは本来の意味を半ば失ってると思うんです。魔女が天敵とも言えるアカーシアを葬りにこないのも、これが理由じゃないですか?」


 さらさらと返される答えに、オスカーは何の反論も挟まない。

 それは彼自身が昔から密かに考えていることと同じだからだ。


 ――魔法士殺しの剣。だが、魔法士を殺すためだけに王が前線に出てくることなどありえない。

 王剣は王剣であるがゆえに、実戦に用いられることがまずないのだ。

 そして用いられたとしても、剣であるがゆえに大戦の結果を左右するような力は持ちえない。


「そりゃ、大規模魔法とかを相手にする時には意味がありますけどね。それでも結局、戦の勝敗を決めるのは、普通の兵力です。そんなことは貴方も承知の上でしょう?」

「まあ、そうだな」

「だから現時点でアカーシアが意味を持っているのは、『王の血統を証明する』という副効果の方です。でもそれはアカーシアの本来の使われ方とは違うでしょうし、王に必要なのは血統じゃなくて能力ですから。王剣は封印して、潔く次代の教育に注力します。少なくとも四百年前はトゥルダールもそうでしたよ」


 オスカーは、痺れるような感覚を味わう。

 アカーシアを諦め、次代を教育する。彼女の答えは、ほぼ彼自身の考えと同じだ。


 ――おそらくこの大陸で、唯一自分と同じものを見ているのが、彼女なのだろう。

 国の頂点に在るもの。今を守り、先へと繋いでいく意志。

 そのために生まれ、そのために生きてきた。

 だから選択に迷いがない。最善が届かないなら次善を。即座に選び直せる。


 ティナーシャは黙りこんだままの彼に、少しだけ不安そうな顔になる。


「え、なんで何も言わないんですか。ちょっと率直に言い過ぎました……?」

「いや……」

「や、やっぱりアカーシア大事ですよね。解呪がんばりますよ。駄目でも子供は生みますし」


 ばつの悪い子供のような目で、ティナーシャは彼を見つめる。

 あけすけで、けれど私欲に狂うことはない女。

 彼女はきっと自分の感情など、いくらでも後回しにできるのだろう。彼自身と同じだ。どれほど「欲しい」と思っても、その手を伸ばすことはしない。己が役目のために諦められる。

 一番彼に近くて、だから一番遠い女だ。決して交わらない。

 それを欠乏だと思う、この感情は果たして公人のものなのだろうか。


「……お前、女王やめないか?」

「突然の内政干渉!? なんですか急に……外交的に不安があります? 別にアカーシアがなくなっても攻めこんだりしませんよ」

「あってもなくても攻めこむな。というか呪いは何とかすると言っただろうが」

「言いましたけど……貴方の反応が不穏なので」


 ティナーシャは下りてくると彼を見上げる。不思議そうな表情にオスカーは目を細める。

 ――女王でなければ惹かれなかった。だが、女王であるがゆえに彼女と共に生きることはない。

 オスカーは城壁に肘をついて彼女を見つめる。

 ティナーシャはその視線に気づかず愛しげに街の灯を眺めた。暗黒時代に玉座に在った頃はどんな景色を見てきたのか、オスカーはそれを知りたいと思っている自分に気づくとかぶりを振った。


「なるほど、こういう感じか」

「何がですか?」

「私的な感情というものが。あまり縁がなかったからな」

「感情って全部私的なものじゃないですか?」

「そうかもな」


 そして自分たちは、それを切り離すことに慣れているというだけだ。

 オスカーは小柄な女から視線を外して踵を返す。


「さて、じゃあ執務室に戻るか」

「はーい」


 共に生きることがなくても、彼女の存在を知れたことは幸運だろう。

 この痛みでさえも得難く思う。オスカーはそんな気分で城壁を後にする。



 魔法大国に女王が即位するまで、あと僅か。

 その日にもう一度自分の選択が変わることを、オスカーはまだ知らない。

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