Unnamed Memory/番外短編「馴致の毎日」

Unnamed Memory/番外短編「馴致の毎日」



 これは歴史を変える二人が、まだ出会った頃の話だ。


              ※


「――よし、ついたぞ。ここがファルサス城だ」


 城門をくぐったところでオスカーは馬をとめる。

 彼の前に座っているのは、黒髪の小柄な少女だ。彼女は美しい顔でオスカーを振り返った。


「知ってますよ。前とあんまり変わってないですね」

「そんなものか」


 この城の王太子であるオスカーは先に鞍から降りると、少女に手を伸ばした。彼女の細い腰を支えて下ろす。少女は体重がないような軽さでふわりと地面に降りた。

 従者であるラザルが、自分と主君の馬を馬丁に預けるとぼやく。


「殿下、私は先に行って皆に話をしておきますね……黙って城を抜け出したんで皆、心配しているでしょうから……いえ、いつものことなんですけどね……」

「なんで無事に帰って来たのに沈痛な顔してるんだお前は」

「心労がたたってまして……」


 溜息を吐いてラザルが駆け去ると、魔女の闇色の瞳がふっと辺りを見回した。


「七十年前とほとんど同じですよ。平和の証拠じゃないですか?」


 そう言う彼女は、本当は少女ではない――永きを生きる大陸最強の魔女だ。

 青き月の魔女ティナーシャ、その試練を突破して彼女の契約者となったオスカーは苦笑する。


「平和は平和なんだ。俺以外は」

「後継ができない呪いですか。私が守護者になった以上、何とかはするつもりですけどね」

「俺と結婚する気になったか?」

「みじんもー」


 あっさりと言う彼女は、一年間この城で暮らす契約になっている。

 その間に別の魔女がかけた呪詛についてなんとかしてくれるつもりらしいが、オスカーとしては呪いが効かない彼女が妻になってくれれば特に問題はない。二十年間彼の枷となってきたこの呪いは、既に「どう解決するか」の問題で、解決自体は決まっている、はずだ。多分。


 オスカーは小柄な魔女を見下ろした。少し考えると、先ほど鞍上から下ろしたように、腰を掴んでひょいと持ち上げてみる。

 だが彼女は少し怪訝そうな顔になっただけだ。


「なんですか。持ち運ばなくても自分で歩けますよ」

「馬に乗せてた時から思ってたが、お前、触られるのをあんまり気にしない方だな」

「ええー?」


 永く生きてきたせいか、塔で引きこもっているせいか、この魔女はどことなく自身への頓着なさを感じる。一年かけて求婚していく以上、何がよくて何が嫌か、彼女の無意識の線引きは知っておきたい。

 ティナーシャは細い首を傾げた。


「まったく気にしないわけじゃないですけど、貴方、私を物を運ぶみたいに持ち上げますからね」

「物」

「いや、丁寧なんですけど、私心がないというか、子供に対するみたいというか。だからあんまり気にならないんじゃないですか」

「……なるほど」


 他人事のように言う魔女は、気まぐれな猫のようだ。彼女は両手を上げて伸びをする。


「それで、とりあえずどうします? 宮廷魔法士として城に入るってことでいいですか?」

「俺の婚約者として入るという手もあるぞ」

「ないよ!? それだけは絶対ない!」


 オスカーは、魔女の脇の下を持ってひょいと持ち上げる。

 ティナーシャは突然二足歩行にされた猫のように、大きな目をまん丸にした。

 彼女は地面に戻されると白い目でオスカーを見上げる。


「なんなんですか……」

「いや、本当にお前面白いな。俺と結婚しないか? 一生退屈しなそう」

「そんな理由で結婚はしませんし、私に利が何一つありません」

「それはそうだな」


 オスカーは彼女と結婚できればおおよそが解決できるし楽しいが、ティナーシャはほぼ不可能がない魔女だ。人から与えられるものを必要としていない。

 そしてその中には、人との繋がりも入っているのだろう。

 永きを生きる魔女にとって、人間はすぐに枯れ果てる草花と大差ない。今までにも無数の人間を見送って来たはずだ。そうやって七十年前、この城を去っていったように。


 オスカーはぽん、と小柄な魔女の頭に手を置く。半ば反応を見るためにやったようなものだが、彼女は不快な様子もなく平然と彼を見上げた。


「だからなんですか」

「いや、もう少し早かったら、お前を知ってる人間が残ってたのかもな」

「会えたって微妙な反応されるだけです。魔女なんですから。むしろ貴方の私に対するぞんざいさが異常です。魔女を何だと思ってるんですか」

「一晩で国一つ滅ぼせるって話だろう? ちゃんと知ってる」

「知っててこれですか。神経が太いにもほどがあります」

「お前の契約者だからな。これくらいでちょうどいいだろ」

「ちなみにその話、誇張じゃないですからね。史実です史実」


 二人は言いながら城の入口に辿り着く。開かれたままの扉の前には既に、彼の見知った顔が数人並んでいた。

 突然城を抜け出してどこかに行っていた王太子に苦言を呈したいのだろう面々。

 彼らに向けて、オスカーは無造作に言う。


「魔女の塔に行ってきた。こいつはそこで拾った。魔法士だそうだから城で雇ってやってくれ」

「……殿下」


 面々が疲れきった顔を向けてくるだけで驚かれない、ということは先にラザルの報告を聞いていたのだろう。

 これに関してはオスカーへの非難の目が強いため、魔女の塔から来たというティナーシャに対しても「ああ、もうなんでもいいかな……」という空気になっている。ティナーシャもそれを感じ取っているのか呆れた視線が彼の背に突き刺さったが、言葉としては何も言わずに彼女は微笑んだ。


「未熟者ですが、しばらくお世話になります。よろしくお願いいたします」


 花が咲くような微笑に、周囲の空気も若干和らぐ。

 嘘が凄まじい挨拶だが、さすがに見かけ通りの年齢ではないだけあって如才ないようだ。これなら一人にしても大丈夫だろう。オスカーは苦笑して手を振った。


「俺は仕事に戻る。何か困ったことがあったら言ってくれ」

「はい、殿下。ありがとうございます」


 軽く膝を折って礼をする魔女にオスカーは背を向ける。歩き出した時、澄んだ声が響いた。


「一年間、どうぞよろしくお願いいたします」


 それは、契約を告げる魔女の言葉だ。



              ※



「ティナーシャ、どこか気晴らしに行くか」

「行きませんー。大体、私忙しいですし」


 初めて会った時から半年、「ただの魔法士」として入城した彼女は、ある事件をきっかけにすっかり正体も知れた。おまけに外見年齢も少女姿から三年ほど成長して、すっかり若く美しい女のものになっている。

 これだけの間に城の生活に慣れきった魔女は、執務室の長椅子に寝そべって本を読んでいた。

 くつろぐ様子は既に家猫と大差ない。オスカーはペンを置いて立ち上がると、顔を上げない魔女に歩み寄った。細い体をひょいと小脇に抱える。


「よし、行くぞ。夜には帰ってこないとラザルがうるさいからな」

「ちょっ……揺れて読めない……! もっと持ち運び方があるでしょう!」

「ごろごろしといて忙しいとか言うな。結婚させるぞ」

「本読んでただけで結婚させられるの、理不尽が過ぎません!?」


 魔女の悲鳴じみた声が城の廊下に響き渡る。

 一つの時代が終わり、歴史が変わる前の日常。そんな毎日を二人は愛しんでいた。






★★『Babel』第二巻、9月17日発売★★

『Unnamed Memory』の世界観から300年後を描く新シリーズ、『Babel』が電撃の新文芸より大好評発売中!

『Babel Ⅱ 魔法大国からの断罪』は、2020年9月17日発売!

突如異世界に迷い込んでしまった女子大生・雫。魔法士エリクと共に旅をつづけ、ついに当初の目的地であった魔法大国ファルサスへと到着する。日本帰還への糸口を求め、ファルサス王ラルスとの謁見が実現するが――。

https://dengekibunko.jp/product/babel/322004000075.html



★★『Unnamed Memory』コミカライズ連載、9月27日よりスタート!★★

待望のコミカライズが「月刊コミック電撃大王」11月号(2020年9月27日発売)より連載スタート!



★★『Unnamed Memory』Ⅰ~Ⅴ、大好評発売中!★★

電撃の新文芸より、『Unnamed Memory』Ⅰ~Ⅴが発売中!

https://dengekibunko.jp/special/unnamed/

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る