奇術師がやってきたぞ、という話

舞島由宇二

奇術師と炭酸水

 その日は突然にやってきた。

 奇術師が、その日を突然に連れてきた。


 気がつくと、校庭の真ん中に黒い衣服を身にまとった奇術師が立っていた。奇術師の手には黒いステッキが握られている。花盛りの桜の枝を折って作ったもので、だからこそこんなにも黒く硬くそれでいて、な出来になるのだと、奇術師は言った。高く透き通る美しい声だった。


 私は足元の花壇の花に目をやる。奇術師に気を取られ、水をやりすぎた。

 充足し過ぎて、花は今にも死にそうだ。

 顔を上げると、奇術師がこちらを見ていた。ステッキでもって、校舎を指し示す。校舎の中へ行け、という奇術師なりの意思表示。

 昇降口に入る直前、私は振り返る。奇術師はステッキで地面を三回叩いた。


 自分の教室に到着し、窓の外を見ると既にそこは水の中だった。

 薄桃色の水で、小さな泡がいくつも上へ昇っていく。

(奇術師という人種は真水を嫌い、炭酸水を好むのだ。)

 イルカの背に腰掛けた奇術師が視界を右から左へと過ぎていく。


 街全体がこの桃色の炭酸水で満たされている、私は直感的にそう思う。

 教室にはジュリがいた。ジュリもまた窓の外を眺めている。

 学校という場所はこんな日が来たときのために私が作った方舟はこぶねである、とジュリは言う。

「でも、浮くものだと思っていたけどね、まさか潜るとは自分でも想定していなかったよ。」

 ジュリのその言葉を聞いて、私は少し笑う。


 鉄棒もサッカーゴールも校庭の木々も白い花も、今では薄桃色の中、弛緩しかんしきった顔で揺れていた。この街にかけた奇術は当分解かれることはないというその事実に、何か大事なことを隠せた気になった私は、安心をした。





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奇術師がやってきたぞ、という話 舞島由宇二 @yu-maijima

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