116. 哀れ

 明確な証拠はない。

 この解釈が絶対に正しいという根拠もない。


 だが、全ての疑問点を解消してくれるのは確かだった。

 不器用で運動もしていなかったはずのブラック企業のサラリーマンだったはずの自分が、ドラゴンをあっけなく倒すことができ、魔法の力を使いこなして魔族を鎮めることなど、できるわけがないのだ。


 改めて思い出す。

 この世界で初めて、目を覚ましたときのことを。


 魔王城の中、魔王の間の直前で、床に座り込んでいた俺は、自分に何が起きたのかを考え込んでいた。

 ジゼルたちに話しかけられ、次第に「察した」……気になっていた。


 かつて読んだ(と思っていた)転生ものの物語を思い出し(たつもりになって)、自分は異世界に転生してきたのだと悟った(と信じた)。

 しかし実際は……「俺」の人生は、その瞬間から始まったに過ぎない。


 結局は、魔王の策略を打ち砕くための「道具」でしかなかったわけだ。


 虚しくて笑いがこみ上げてくる。


 前に、ジゼルやココやトリスタの、一見した印象とは異なった人柄の厚みについて考えたことがあったけれど。

 俺は彼女らとは逆に、紙に描いた絵のような薄っぺらな人間でしかなかった。


 森の木々に囲まれながら、俺は自分の膝を抱えて座り込み、ただ、静かに物思いに耽っていた。

 けれど、考えれば考えるほど、虚しさが募ってきた。


 そんな薄っぺらな人間が、何をしたところで価値なんかないんじゃないか?

 次第に自分が、吹けば飛んで消える灰の山になっていくような錯覚を覚えた。


   *    *


「なるほどな。お前は、ただの創り物というわけだ。そこにある彫像のようなものだ」


 宙に浮いた魔王は、すぐ俺の前にまで迫ってきている。

 まだなんの魔術も発していないというのに、魔力の波動が伝わってきて、自分の皮膚が震える感覚があった。


 少女の指差す先には、どういう人物なのか知らないが筋肉質で強そうな男の像があった。魔王少女はせせら笑う。


「創られたものというのは、現実の何かに似せてあるだけのいわば紛い物だ。例えばその像も、本当の伝説の偉人サイノスを連れてくることができないから、代わりに置いてあるに過ぎない。


 所詮は偽物。本物には付随している、重ねてきた人生の時間も、世界との繋がりも、何も存在しない。現実に憧れている、妙な形の土塊だ」


 お前とは旅までしたが、まさかそんな空虚なものだとは思いもしなかったぞ、と魔王少女は首を振った。


「哀れだな」


 俺は何も言わなかった。


「哀れはこちらの台詞だ」


 ジゼルが俺の背後で口を開く。


「あれだけ城の中で愛され、可愛がられていたのが魔王とは。威厳も何もなく、私から見れば随分楽しげに見えたが? 『妹』も悪くなかったのではないか、魔王よ」


「……ジゼルお姉ちゃん、か。ココお姉ちゃんに、トリスタお姉ちゃん。世話になったな。確かに、ひとときの戯れとしては悪くなかった」


 魔王は目を細める。


「それで……我の何が哀れだ」


「せっかく生き方を変える機会を得たのに、結局幾度も同じ『魔王』を繰り返しているだけであるのが哀れだ。魔王もまた、『魔王』から逃れられないのだな」


 ジゼルがずばりと言い切ると、わずかに魔王の眉間に皺が寄ったように見えた。


「我はそれを望んでいる。魔王でい続けることを、な。故にこの世界を支配するため、様々な手を尽くすだけのことだ。

 逃れる必要もない。逃れたのは、イネルの方だろう」


 魔王の背後に、黒い闇の力が滲み出て広がり始めている。

 それはうねる触手、あるいは蜘蛛の巣のようにも見えた。


 魔王は再び、俺を見据えた。

「イネルは、自死したのと変わりないのだから」

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