114. 崩壊

「ハッ」


 魔王は乾いた笑いを漏らし、玉座から腰を上げるとそのままゆっくり宙に浮かび上がった。


「ということは何か、お前は、王位継承の儀で我を裏切るためだけにイネルが生み出した人間、ということか。勇者の権威を失墜させるには、」


「……そういうことになる」


 謁見の間の中空に浮いている魔王は、底知れぬ笑みを浮かべていた。

 俺はそんな彼女から、目を逸さぬように話し続けた。


「イネルが出した結論が、それだった。『自分が自分でいる限り、魔王の野望を打ち砕けない』と。魔王を打ち倒すには、それ以外に方法がない、と。『勇者様』ではない、勇者にならなければならない、と」


「何を言っているのか意味がわからぬ」


 魔王はじりじりと、こちらへ近づいてきていた。


「それに……その弁が正しいなら、おかしなことが一つある。

 お前の過去も、記憶も、前の世界の存在そのものも、それならイネルが作り上げたということになる。

 何もかもが絵空事、ほら話ということだ。


 だがお前は砂漠の民の土地で、異世界からの転移者と語らっていたではないか。

 向こうの世界の記憶と一致していたのであろう。あれはどうなる。

 お前が、異世界からやってきた人間だという証左ではないのか」


 そう。だから俺も、気づけなかった。

 一人の人間が作り上げたフィクションにしては、あまりに強固な前世の記憶。嘘にしては明瞭すぎるディテール。


 俺は、一度ため息をついてから、口を開いた。


「ああ。だから俺の過去は……『前の世界』は、ただのほら話じゃない。イネルが、本物の転生者であるイネルの父親から聞かされた話を元に、作り上げたものなんだ」


   *    *


 三日前、その時は俺自身が、トリスタに今の魔王の問いをぶつけたのだ。

 必死に、追いすがるように。

 どうか、トリスタの仮説が真実でないことを祈りながら。


 そうしたらトリスタは、答えてくれた。


「私の故郷にあんたと一緒に行った時、私があんたを呼びにいくまで随分と間があっただろう?

 あの時、私は聞かされていたんだよ。病床にいたイネルのお父さんに、子供の頃のイネルとの思い出を。


 一年間、お父さんと旅したんだってね。二人きりで。

 そしてその時に、お父さんは、自分が異世界からの転生者であること、かつて勇者を目指していたこと、そして、前の世界での思い出を、旅路の間、ずっとイネルに聞かせていたと……そう言っていたよ。


 かつてどんな人生を歩んできたか、どんな仕事をしていたか、どんな物語に触れたか……私もその時、聞かせてもらった。

 それは……さっき、あんたが自分の過去だ、と言って語っていたのと、まるきり同じ内容だったよ。


 ぶらっくきぎょう、とかいう死ぬほど大変な仕事をしていて、とらっくとかいうものに轢かれて転生してきて、げえむとか、あにめとかいうものが好きで……って」


 俺は混乱と動揺で、視線が定まらなくなっていた。

 どういうことだ?


 俺が俺自身の記憶だと思っていた前の世界の記憶は、イネルが、イネルの父の語りを元に作り上げた虚構ということか?

 そんなバカな話があるか?

 じゃあ、俺は誰なんだ?

 何者なんだ?


 この俺の中にある記憶、生きていたはずの思い出は全て、イネルが植え付け、あの魔王城で目覚めた瞬間、同時に「本物」だと信じ込んだに過ぎない、ということか?

 まるで、ゲームのセーブデータに無理やり外部で作ったデータを上書き保存したように?


 そんな……。

 そんな酷い話があるか?


 俺はその場に座り込みそうになった。よろめく俺を、ジゼルが支えてくれる。

 ココはショックを受けているのか、口を押さえて黙りこくっていた。

 でも、一番ショックなのは俺だ。


 今、「お前は作り物だ」と告げられているのだから。


 けれど、そう考えれば納得がいくことがあるのだ。

 トリスタは、出来るだけ優しい口調で俺に話した。


「あんた、さっき私に前の世界の話をする時、思い出せないことがたくさんあるって言ってたろう? 正確に言や、前の世界のことを思い出そうとしても、あるところから先がはっきりと思い出せなくなる、って。


 私はあの時、あんたの話を聞いていて、まるで誰かの又聞きの話を聞いているみたいだと思ったよ。

 誰かに聞いた話を話しているから、わざわざ喋るほどでもない細かい部分を深掘りして聞いても、そこはあんたは知らないんだ」


 確かに。

 それなら、納得のいく話だった。


 俺が、小学校の頃のクラスメートの名前や、中学の頃ハマっていたアニメのキャストや、高校の頃遊んでいた格闘ゲームの技のコマンドや、大学時代にやっていたバイトの仕事の内容、就職してからの通勤経路にある駅名を思い出せないのは。


 そもそも、イネルの父が語っていないからなのだ。


 ゆっくりと俺は、地面に座り込んだ。俯いて、誰の顔も見られなくなった。

 存在していると信じていた「自分」が崩壊した瞬間だった。

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