17. 正体
「……は?」
言葉の意味が飲み込めず、俺はしばらく「妹」の黒い、闇の色をしたまなこを凝視した。
その目は、まっすぐに俺を見上げていた。
「だから、今言った通り。
噛んで含めるかのごとく、彼女は言った。愉快そうに肩を揺らしながら。
海中で揺らぐ水草のように波打つ豊かな髪が、その小さな身体を取り巻き、夜風に吹かれている。
「沈黙魔法、今解いてやったから喋れるようになっただろう? 全く、我に魔法をかけられて口を開けなくなったと? 下民どもに話しかけられるのが面倒だからといって言い訳がひどいのではないか?」
最前まで「妹」だった少女は、今は薄い笑いを口元に浮かべるばかりだった。
不意に、彼女はふわりと身体を浮かび上がらせる。なんの力を借りることなく、風に吹かれるような姿勢で彼女は宙に舞っていた。
月明かりの中、空中で揺れている少女は、美しかった。
「昼日中に魔力を使うわけにいかぬからな。退屈じゃ」
そう言って微笑む彼女の眼差し、そして、そこから発せられる異様な力は……確かにあのとき、魔王を倒す寸前、俺が見た眼のそれと同じだった。
俺は必死になって頭を回転させる。
何が起きている? どういうことだ?
魔王は確かに、俺の目の前で死んだ。俺が、この手で倒した。
「姿をひそめる先は迷ったが、お前の近くにいられる家族の一員というのは悪くなかろう。しかし……実家に帰ってきたら突然見ず知らずの『妹』がいるのだから、もう少し反応してみせたらどうだ。せっかく、お前を驚かすために広域の呪文をかけて、村の一員として入り込んでいても村人が誰も違和感を覚えないよう、全員の記憶を改竄してやったというのに。お前ときたら無反応を押し通すのだからな。つまらん」
記憶を? 改竄?
ということは、目の前にいる「これ」は、本来存在しなかった「勇者の妹」という存在をわざわざ作り出して、この村に侵入し、俺の実家で待ち受けていたということか?
俺は思わず呟く。
「妹の部屋なんてあるわけない……」
「それはそうだ。妹なんかはじめからいないんだから。せっかく笑いのネタを語っているのに、お前が黙っていたら我が阿呆みたいだろう」
魔王は目を細めている。俺はまだ、何が起きているのかわからない。
魔王という存在がいかに恐ろしかったかは、昨日と今日の祝宴で、いろんな人から聞かされた。
魔王の手によってどれだけ多くの人々が死に、世界に地獄が広がったか。
この世に魔物を蔓延させ、力で世界の全てを自身のものにしようとした魔王。
封印から解き放たれ、自身に従わない地を次々に掌握していった。
魔王方に寝返り権勢を願った人間も、少なからずいたという。
祝宴の席も、そんな過去を語るときは怒りと悲しみに包まれていた。
そして、それから解放されたからこそ、今は希望に満ち溢れている、と皆が言っていた。
だから、魔王を倒した「勇者」に、誰もが感謝していた。
俺はそんな一方的に向けられる感謝の言葉を、ぼんやりと聞いていただけだった。
けれど、よくわからないなりに幸せな気持ちを共有できているつもりだった。
それなのに。
一体この存在は、何をやろうとしている。
全身に緊張感をみなぎらせた俺が、なんとか口を開き質問をしようとしたその瞬間。
魔王は言った。
「さて。勇者イネルよ。例の約束の件じゃが」
俺が口を閉じ、生唾を飲むと、彼女は眉をひそめた。
「まさかなかったことにするなどと言うまいな? あのときも言うたじゃろう。『忘れるな』と」
宙に浮いたまま、少女は俺の眼前までその小さく美しい顔を近寄せてきた。
「一度交わした約束は、守ってもらうぞ。勇者様」
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