18. 勇者の約束
「約束……?」
必死に動揺を隠している俺が言うと、魔王と名乗る少女はその黒い瞳をこちらへ向けた。
「忘れたとは言わせんぞ」
「……もちろん」
俺はそう答えるので精一杯だった。いや、そう言わなければ殺される、とすら感じる迫力が、幼いその身体から放たれていたのだ。
約束。
一体、それは何だ。
少女はふぅ、と息をつくとともに、風に靡く草地に再び降り立った。来た時と変わらぬ様子でごく当たり前のように、その場で俺を見つめている。
けれどもう永遠に、俺にとって平穏は帰ってきそうになかった。
「しばらくは、鳴りを潜めよう。まだ人間どもには幸福な時間が必要だ。しかしその先のことは、今のうちから支度を始めねばならない。いざ事が始まれば、忙しくなる」
少女は近寄ってくると、俺の服の袖を掴み、甘えた愛らしい声でこう言った。
「頼むぞ。兄様」
そして、踵を返すと静かにその場を去った。
俺はしばらく、一人で立ち尽くしていた。何かの間違いだと思いたかった。
一つ間違いがなさそうなのは、勇者の中身が入れ替わっているということに魔王も気づいていない、知らない、ということだ。俺の中身が先代のままだと本気で思って、話しかけていたことはわかった。
けれど、確証を持てるのはそれぐらいだった。
今までクズだクズだと思っていたのは、女にだらしないとか女にだらしないとか、まああと口先だけで肝心なところになると逃げ出してしまうような上っ面だけのイケメンだとか、そういう浅いところばかりだった。
なんだかんだで微笑ましい程度の話だ。
だが、今度のは違う。
先代勇者は、魔王と繋がっていたのだ。
魔王と、なにがしかの契約を交わし、魔王を倒したかのように見せかける工作を行った。
魔王の手の内の者だったのだ。
あの勇者の剣に、すでになんらかの細工が施されていたのかもしれない。
振り下ろしたところで全く効果がなくなるだとか。
あるいは、回避の仕方をあらかじめ魔王に伝えていたのかもしれない。
魔王城で行われたのは、ジゼルたちパーティの面々を証人にした八百長……いや、スポーツじゃないのだから。
むしろ一種の偽装工作だった、ということになる。
勇者が魔王を倒したのだ、と世界中の人々を騙すための。
勇者は、そして逃げたのだ。
肝心の一振りを、俺に任せて。
おそらく、自分が手を下すのが嫌だったから。
全世界の人を騙すのが、怖かったから。
『端的に言えば、私自身にはもはやどうすることもできなかった。だから、跡を引き継いでくれる有能な誰かに全てを託そう、と決心する以外に手段がなかったのだ』
そんな、勇者の手紙の一文を思い出す。
何を立派そうに語っているのだ。
何がどうすることもできなかった、だ。
悪者になるのが怖かったから、逃げ出しただけじゃないか。
俺は膝から力が抜けて、ゆるゆるとその場に両手をついた。
「くっそ……ふざけんなよ」
ロクでもない前任者から仕事を引き継いだことなんて、数え切れないほどあった。でもこれは、最悪だ。考えられる限りで、最低で最悪だ。
明日から、一体どんな顔してみんなと向き合えばいいんだ。
俺は力なく草を握りしめながら、ゆっくりと息をついた。
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