11. 並のクズじゃない

 すっかり可愛い表情になったジゼルは最後に軽く俺の手に触れてさらに顔を赤らめると(あいにく深い関係ではなかったらしい。良かったような残念なような)、いそいそと俺の部屋から出て行った。


 ドアが閉まるなり、俺は頭を抱えた。

 なんてこった。


 せっかくとんでもなく美味しいシチュをいただいたと思っていたのだが。

 どうやらこれから、先代勇者のの後始末をやる羽目になるらしい。


 俺はジゼルが部屋の近くにいなくなったことを確認すると、一人部屋を出てため息をつきながら廊下を歩き出した。とても部屋でぐうすか寝てなどいられない。

 夜風に当たって考え事を始める。


 俺が沈黙しているのを良いことに、ジゼルは心から楽しげに将来の話、今までの「俺」の優しさについて、さらに遡って、初めて「俺」が仲間に誘った時のことも話してくれた。


 俺のような男女関係について明るくない人間でも、純真な彼女が口先八丁でうまいことたらし込まれて仲間に引き込まれた、ということが容易に理解できた。


 勇者殿こと「俺」は、表向きには「素晴らしい剣の腕前を持つジゼルなら魔王を討伐できる」と言いつつ、人目を忍んでは彼女が喜びそうな、「本当は愛らしい人だ」だの「誰も気づいていないが美しい女性だ」だのという歯の浮くようなセリフを吹き込んで、無償で彼女がついてきてくれるように計らった様子だった。


 無論、ジゼル自身は何も気づいていない。


 魔法の力で口がきけなくて実際よかった。

 話せたら、別に俺が何をやったわけでもないのに「ごめんなさい」と謝ってしまっていたかもしれない。

 申し訳ない、というか、ジゼルが不憫で気の毒で。


 普段の硬派な剣士の時とは全く違う、中学生の女の子のような純粋な表情が、まぶたに残って離れなかった。


 俺が深々とため息を吐こうとして、口が塞がっていることを思い出して鼻から息を吐くと、その瞬間、背後から肩を叩かれた。


「イネル……?」


 振り返ると、いたのはココだった。彼女もローブのような寝間着を着込んでいる。どことなく、彼女も昼間と表情が違うような気がした。


 いや、そもそもたった今、突然ファーストネームで呼ばれたのだが。


「何してるの? 明日はあなたの村に立つのだから、早く寝ないとダメよ」


 昼間の緊張しがちでおどおどした小柄な少女の振る舞いから打って変わって、落ち着いた、穏やかな様子で俺の顔を覗き込んでいる。

 その姿は、外見は幼いながらも慈愛に満ちた母親のようでもあった。


 つまり、バブみがあった。


 微笑みながら彼女は続ける。


「眠れないの?」


 優しいながらも有無を言わさぬような迫力が彼女の言葉にはある。俺はとっさに頷いた。


「そう……」


 ココは眼を細めると、手振りで俺に軽くしゃがむよう促した。

 抵抗することもできず、俺は言われるがままにする。やたら背の高い俺の顔は、ようやく彼女の顔と同じ高さになった。


 ココはためらいなく俺に口づけした。


 あくまで軽く、しかし余裕のある身動きだった。

 彼女が離れた後も、俺はしゃがんだ姿勢のまま、固まっていた。(あまりにあっけない人生初キスに動揺していたこともあるが、)今の彼女の行動の意味するところを、測りかねていたからだった。


 ココはくすりと笑った。


「今はここまで、ね。明日、あなたのお母様にお会いするのが楽しみだわ。まだのことは誰にも言えないけど……ジゼルやトリスタも、私たちの関係を知ったらさぞ、驚くでしょうね」


 ココはまた阿弥陀様のような静かな微笑を浮かべると、もうベッドに入ったほうがいいわ、とだけ言って、自分の部屋の方へ戻っていった。


 俺は彼女の後ろ姿を、当然黙ったまま見つめていた。


 ……三股確定。


 どんなクズ野郎だったんだよこの勇者様。


 姫とジゼルだけならともかく(いやよくないけど)、同じパーティ内でも二人に手を出してるって。正気の沙汰ではない。


 しかも今の話ぶりだと、ココはジゼルとの間のことはもちろん感づいていないようだった。

 隠し通したということだ。どんなテクを用いたのか。


 そして。俺はそんなクズが構築した人間関係を、そのまま引き継がないといけない。


 以前、会社で前任者が退職した後の業務を引きつがされたことがあった。

 その時も、前任者がやっていた失策やら、ついていた適当な嘘の後始末をさせられて死ぬほど苦労させられたことがあったが。


 今回はそれを超えるクソ前任者と言える。


 どうやって始末をつけたものかと俺が一人、廊下の窓際で頭を抱えていると、視界の隅で誰かが動いた。


 見れば、影に紛れるようにして立っていたのは、女遊び人にして盗賊、トリスタだった。俺はサーっと青ざめる。今のキスを見られたのか!?


 ニヤニヤしながらトリスタは、こちらに近づいてくる。彼女だけは、昼間と変わらないセクシーな薄い布を纏っていた。


 俺が冷や汗をかいていることを知ってか知らずか、鼻先二十センチまで接近してくると、トリスタは笑いながら言った。


「なぁに焦ってんのさ。別にあたしとあんたの間柄で、秘密でもなんでもあるまいに。全く……にしても、ジゼルもココも、姫様もかわいそうだよ。あんたにうまいこと弄ばれて……魔王討伐のためとはいえ、あの子にもこの子にも唾つけて」


 どうやら、先代の勇者はトリスタにだけは全てを明かしていたらしい。

 まあ、彼女だけは大人なので、男女関係についても清濁併せ呑んでくれるのかもしれない。


 となると、これからの問題解決についてはトリスタに相談するしかないのだろうか。


 俺がそんなことを考えていると、トリスタはおもむろに俺の身体へ手足を這わせ、それから少しだけ舌を出して、俺の首筋を舐めた。


「安心して。前も言った通り、あたしは二番目でも平気だから」


 ……最悪だ。

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