37.電脳世界〈僕ならばどうするのだろう?〉13時〜

 僕はモノレールに乗った。昼間とはいえ、モノレールにはいつも通り沢山の人間が乗っていた。昼間にここにいる人間は、夜にいる人間よりもいくらか健やかな顔をしていた。あるいはそれは、夜の魔力が彼らに疲れた表情を与えているに過ぎないのかもしれない。夜の魔力というのは本当に存在するものだ。それは人に漠然とした不安を与える。大切なものを失う不安、死の不安...そしてそれは大抵、昼間には姿を現さない幻影なのだ。

 僕の向かいに座っていた女の子がチラッと僕の顔を見て、それからすぐに逸らした。見てはいけないものを見てしまったかのような目の動きだった。その目の逸らした方は明らかに不自然で人為的なものだった。人から目を逸らされたら、案外その人にはわかってしまうものだ。

 何故だろう? と僕は考える。そして、それはすぐに思い当たった。僕はこれから、曲がりなりにも人を殺しに行くのだ。そういう狂気を宿した目つきというのは案外人に伝わってしまうものなのかもしれない。あるいは、彼女もまた現実に人を殺したばかりで、同じものを感じ取ったのかもしれない。もちろんそれは、ただ単に僕のことを生理的に嫌悪しただけという可能性だってあるが。

 しかし、僕が他人に表情から狂気を悟られているようなら、それは戒めなくてはならない。僕は(それが例え不本意なものだとしても)今から人を(人と表現すべきかは議論の余地があるが)殺すのだ。

 まるで「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のデッカードみたいだ、と僕は思った。しかし、僕が今から狩る相手もまたデッカードと似た立ち位置だ。僕たちはそういう意味でも、影とその本体という関係なのだ、と思った。

 僕は、客の表情はいくらか健やかであるとは言え、そこの奥底には改善しようのない疲れが宿っていることが見受けられた。表面的には疲れ切っているようには見えないが、奥底には蓄積された疲れがあるように見えた。そのような様子を見ていると、このモノレールは多くの人間を冥府へと運ぶ巨大な棺のように思えた。揺れのない静かな走行が、その雰囲気に拍車をかけている。

 窓の外で無機質的な景色が流れていくのを見ていると、僕は不思議な感覚に陥った。無機質であるが故にそれに流動が生じると、感覚に違和感が生まれた。まるで樹海の中でコンパスの磁石が狂い、ここがどこであるのかわからなくなってしまうような、そんな感覚だった。

 僕はどこへ向かっているのだろう(それは言うまでもなく、ハリスンが示した座標の位置だが、その時の僕の心はどこに向かっているのかを見失っていた)?

 このままあてもなくモノレールの静寂に身を委ねようか、と思った。しかし、その考えはすぐに僕の理性が否定した。僕にはやらなくちゃいけないことがあるのだ。

 オーウェルとあてもなくモノレールに揺られながら、話をしたら本を読んだりしたのを思い出した。それはとんでもなく懐かしく感じられた。まるで、物置からほこりのかかったアルバムを開いたような、そんな感じだった。そこそこ最近の出来事なのに、そこには時間のベールがかかっていた。

 そのベールは何を意味するだろう? あるいはそれは、失われたものだということを表しているのかもしれない。何を失ったのか? 日常か、あるいは。

 そこで考えるのをやめた。これ以上考えるのは良くないと反応が告げた。まるで霊感の強い女の子(何故か霊感は女の子の方が待っていることが多い気がする)が、本能的にそこを危険だと告げるかのように。

 何が失われたにせよ、後戻りはできない。既に巨大な棺は僕をそこへと運ぼうとしているのだ。

 僕は何回、決心が揺らいで、その度に決心を固め直すという作業を繰り返すのだろう? しかし、それも仕方ないことではないか。人を殺すというのは、少なからず精神に負荷をかけるものだし、既にこの件で、一つの命が失われている(手袋をした彼だ)のだ。それは僕の認識できる範囲で一つ、ということであって、僕の見えないところではもっと多くの命が失われているのかもしれない。命のやりとりが伴うことに関して決心が揺らぐというのは、人間的なことだ。間違ったことではないはずだ。多分。

 もしかしたら、今から僕が相手する人間は、半ばあきらめているかもしれない。僕の記憶をコピーしているのなら、僕がハリスンとした会話も覚えているはずだ。きっと、彼はもう自分が人間じゃないことに気づいている。

 僕ならばどうするだろう、と考える。自分ならば、という思考はとても大事だ。何故なら相手はある意味では僕自身だからだ。

 僕ならば...僕ならばどうするのだろう? 僕は自分自身がわからなかった。僕自身はこのような状況に陥ったことがないのだ。

 そうこう考えていると、座標で示されていたところにモノレールが到着した。僕はそこを改めて確認して気づいた。ここは、僕やオーウェルがよく利用するホテルがあるところだった。偶然だろうか?

 まあいい、どちらにせよ、やるべきことをやるだけだ。僕は足を進めた。それを裏付けるように、コツンコツンと、足音がなった。

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