35.電脳世界〈僕の中の不確かな個人〉21時〜

 僕は、彼女に昼間あったことをなるべく包み隠さずに話した。

 武器を売っていたのは、ハリスンだったこと。僕だけが〈ブレード・ガンナー〉であること。僕は、このユートピアの中のシステムの一部に過ぎないこと。僕に現実の記憶があるのは、現実にいる人間の脳に埋め込まれた装置によって抽出された記憶が、僕に埋め込まれているからだということ。そして、その僕の記憶の持ち主は友人であるディックだったということ。

 僕は、頭の中で昼間したハリスンとの会話を思い出しながら話したが、それだって僕の記憶ではないのだ。それはとても不思議な感覚だった。僕の記憶なのに、僕の記憶ではないのだ。そんな経験をしたことがあるのは、おそらく世界中探しても僕だけなのではないだろうか?

「あなたしか〈ブレード・ガンナー〉がいないから、私のプログラムに同じ反応が一つもなかった。そして、あなたは現実の人間から記憶を移されたAIだった。全てはハリスンが暗躍してた。にわかには信じ難いけれど、あなたが嘘つく人間じゃないことくらい知っているし、あなたが疑っていないのなら、そうなのでしょうね。でも、信じたくないわね、正直」

「僕だって信じたくないさ」

 僕はそう言って見せたが、実際はかなり落ち着いていた。あぁ、そうだったのか。おれは人間じゃないし、いままでの記憶は全部他人の記憶だったのか。その程度にしか思わなかった。何故だろう?

「じゃあ、〈ユダ〉に援助をしたのもハリスンね?」

「おそらく」と僕は言った。

「だからドアがなかったのね。そりゃあ彼ならそこに最初から仕込むことも可能でしょうね。何故ならこの世界の創造主なんだから。もしかしたら、その時点で彼を疑うべきだったのね。それなら、もう少し準備ができたのに」

「過ぎたことは仕方ないよ。時間は戻せないんだ。僕らがいくら時計の針を逆に回しても、時間が巻き戻ってくれるわけじゃない。時間は未来への一方通行なんだから」

「警察はおそらく明日にでも攻撃を仕掛けてくるのでしょう?」

「多分ね。僕を殺しにくるのはディックだと思うけれど。何故なら、彼は僕でもあるんだ。僕が裏をかけるわけがない。多分、僕の元に辿り着くのは彼だと思う。彼からはおそらく逃げきれない。いいや、あるいはハリスンが僕の所在地くらい掴めるのかもしれない。きっと、ハリスンは彼にだけ僕の場所を教えるだろう。これもおそらくだけれど、警察は僕と同じような銃を装備すると思う。僕を殺すためにね。殺されれば僕は消えるし、僕が彼を、つまりディックを殺せば、記憶の源泉を失って、消えるかもしれない。僕が彼を殺さず、彼もまた僕を殺さなかったとしても、その場合は彼がハリスンに消されるだろう。そしたら、その場合でも僕は記憶の源泉を失う。はっきり言って、もう僕に道はないような気がする」

 極めて絶望的な状況なのに、僕はひどく客観的に、そして冷静に分析していた。僕はターゲットを目の前にした、その道30年のヒットマンのように冷静だった。あるいは、心が乾き切ってしまったのかもしれない、と僕は思った。もちろん、僕に心があるならばの話だ。それすらも、今の僕には不確かなものだった。

 そもそも、僕は存在すると定義していいものなのだろうか? つまり、影に実体なんてあるのだろうか? いつかのハリスン氏が僕に(正確に言えば彼に)対して言った、「君たちが追いかけてるのは、あるいは実体のない幽霊なのかもしれない」という言葉も、きっとそういう意味だったのだ。ヒントは少しずつ与えられていたのだ。

 現実世界では、影のない光というのはあり得ない。しかし、この世界にあっては、。僕という影がこの世に存在しなくてはならない、という道理もまた無いということだ。

 ディックという光の存在があり、僕という影が出来た。しかし、この世界の住人全てを見ても影ができたのはディックにだけで、その影というのはあくまで例外的なものだ。

 例外的なものは排除される。この世界の基本的なルールだ。子供だって、知らないうちにそのルールを採用しているのだ。そもそも、異質なものがあればそこに少なからず警戒心を抱くのは、脆い生き物である人間に与えられた、一つの機能なのだ。

「あなたはどうするの?」

「さぁ、どうだろう? でも、どちらにせよ君はもう僕と会わない方がいいと思う。君は僕に協力をしてしてくれた。一緒にいるのが見られたら殺されてしまうかもしれない」

「私がいれば、あるいは現状を打破する手段が生まれるかもしれないのに?」

「手段が存在するなら、あるいは君がそれを探し出すことはできるかもしれない。でも無いものは探せないだろう。もう、いいんだ」

 僕はそう言って、彼女の目を見た。

「僕のような存在はまだ生まれちゃダメだったんだ。人類はまだ僕のようなAIを完全にコントロールできる状態にないのに、僕のような感情を持つAIを生み出してしまった」

 僕がそう言うと、彼女は泣きそうな顔で言った。

「せめて、あなたを作り出したハリスンの悪事を告発しなきゃ」

「それを許せば、ディックは多分殺される」

 もう、裏では命のやりとりが行われている。あの執事のように。告発を止めれなかったディックを、彼が殺さないはずがないのだ。

「僕は事態の収束を自然に任せようと思う。自分が操縦する船が沈むなら、それは自分で見届けるべきだ」

「作った側にも責任があるわよ」

「それはどうだろう?」

 確かに作ったのは僕じゃなくとも、ここまで話を導いたのは結局のところ僕だったのだ。船長は僕なのだ。

「タイタニックは見たことがある?」

「あるけれど、かなり昔よ」

「タイタニックは、船長が船長下に残って、最後入り込んだ水で死んだんだ」

「でもそれはフィクションなんじゃないのかしら? 船長は実在の人物だったかもしれないけど、それは多少の脚色があってのことでしょう?」

「今の状況も、十分フィクションだと思うけれど。現にこれはハリスンの台本だし、僕の存在は現実リアルじゃない。フィクションと何が違うのだろう?」

 僕はタイタニックのラストを思い浮かべた(僕の心にそのラストが焼き付いているということは、おそらく彼がタイタニックを見て、余程感動したのだろう)。ジャックとローズが船の沈んだ後、海に投げ出されているシーンだ。タイタニックで、結局生き残ったのは2人のうちローズだけだった。しかしローズを結果的に救ったのはジャックだった。あらゆる意味で、ジャックはローズを救ったのだ。この部分が、唯一僕たちと違うところだった。僕は彼女を救ってなんかいない。

「どちらにせよ、僕はもう帰るよ。明日、きっと彼は僕の捜索を開始するだろうし」と僕は言った。「このままログアウトしたら僕の意識ごと消えてしまえばいいと思うけれど、仕方ない」

「闘うの?」

「どうだろう? 明日の僕にしかそれはわからないことなんだ。もしかしたら自分の頭を撃ち抜くことになるかもしれないし、ディックを撃つかもしれない。流石に君を撃つようなことはないと思うけれど」

 そう言って、僕はホテルの部屋を出た。そして、いろいろなことを考えた。改めて考えると苦しくなってくるようなことばかりだったが、考えずにはいられなかった。

 記憶の歪みはきっと、一つの人間からなる、そのことについて無自覚な別の人格というものの矛盾を解決するための機能だったのだろう。だから、僕は淡々と出来事を記憶していて、その細部は思い出せなかったのだ。ならば、どうして本の感動は覚えているのだろう? と思ったが、それは読んだ記憶を僕の人格がもう一度咀嚼しているからなのかもしれない。素晴らしい文章を思い返すことによって、僕は感動を思い出している錯覚に陥っているのかもしれない。

 僕はディックと、ディストピア文学について語り合ったことを思い出した。僕はオーウェルが好きだった。しかし、彼はもちろんディックが好きだった。これは、僕のパーソナリティなのかもしれなかった。僕は、そこにだけ自分の中にある個人を感じることができた。

 僕が影であるにせよ、その中には僕という個人は存在する。僕は銃を自分の胸に突きつけながら、そう思った。銃を突きつけると、自分の不確かな生も、ちゃんとここに実在するものなのだと感じることができた。

 僕はここに存在する。それが例え、アスファルトの上の陽炎のようにぼやけていて、不確かなものだとしても。

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