32.電脳世界〈パンドーラーの箱〉23時〜
「もちろん、できている」と僕は言った。そこに嘘偽りは一切なかった。例え終わりにどんな真実が浮き彫りとなろうと、僕は受け入れなければならない。それが彼女を巻き込んだことに対しての、最低限の礼儀だと僕は思う。
「あるいはそれは、開けちゃいけない箱かもしれない。パンドーラーの箱なのかもしれないのよ」
僕はパンドーラーの箱の話を思い出した。確かその話では、ゼウスは男性しかいなく災厄がなかった時代に、原初の女性であるパンドーラーにこの世の災厄が詰まった箱を渡した。しかし、パンドーラーは興味本位でそれを開けてしまい、災厄を解放してしまう。しかし、話はそれだけじゃなかったはずだ。
「確か、パンドーラーの箱は彼女が慌てて閉めて、最後に希望だけが残ったんじゃなかったかな。この話は寓話的な要素が多分に含まれているけど、これはつまり、物事を良い方向に向かわせるにはある種の痛みはつきまとうということなんじゃないかな。だから、これがパンドーラーの箱だとしても...あるいは最後には希望が残るかもしれない」
「そうならいいけれど」と彼女が言った。「後に残るものが、例えどんなものでも、私たちは変わらずにいられると思う?」
「もちろん。それは不変の真理なんだ。太陽は東から昇るし、水は100度で沸騰する。同じさ。僕たちは変わらずにいられる」
「いつかは太陽が西から昇るかもしれない。永遠なんてないから」
「僕たちの場合は永遠なんだ。これは論理で片づけられないことなんだ。どうだろう、違うかな」
「いいえ」と彼女が言った。「そう言ってくれることを信じていたの。私も同感よ。私たちは変わらない。太陽は昇る位置を変えても、私たちは変わらない」
「水がもう少し低温で沸騰したとしても」
「もちろん」
僕は彼女とこの会話をしていることを不思議に思った。彼女とはもう何年もの付き合いをしているんじゃないか、とさえ思った。あるいはしているのかもしれない。それは僕の記憶の歪みのうちに埋まっているのかもしれないのだ。
「さぁ、やるべきことをやりましょう。エンディングはなんの曲がいいかしらね」
彼女はそう言ってから、何個かビートルズの曲を挙げた。しかし、僕はどれもしっくりこなかった。
僕は頭の中でパッと思いついた曲を言った。
「木星。ホルストの木星がいい」
「どうして?」
君とセックスをしたときにこの曲を頭の中で流したからだ。しかし、もちろんそんなことは言わない。
「好きなんだよ、この曲が」
「これはあなたの話だからね。あなたの好きな曲で終わらせるのが筋かもね」
「どうもありがとう」と僕は言った。
彼女はモニターに作ったプログラムを表示させ、僕の銃と繋いだ。
「これで、あなたの仲間を探せる。きっと、それで私たちは一歩前進できる」
「まるで不可視の存在を見えるようになったような気持ちだ」
「あるいはそのようなものなのかもしれないわよ」
「それだと困る」
「確かに」と彼女が言った。
彼女は何かしら準備をしていた。僕にはその作業がどのように作用するかわからないが、とにかく必要な作業であるということは理解できた。
僕はその間、仲間を見つけてからの自分が取るべき行動について考えた。情報を交換して-もしかしたら〈ユダ〉のことなどの情報も手に入れられるかもしれない-それから、警察と対決することになればその準備、やるべきことはたくさんある。しかし、ここから先は案外道なりに進んでいけば結末に辿り着けるような気がした。もちろん根拠などないが、僕は今まで直感で物事を然るべきところに収めてきた。これからもそうなるはずだ、と僕は思った。
「さあ、私がこれを起動させればあなたの仲間をサーチできるわよ」
「やってくれ」と僕は言った。
彼女はそれを起動させた。繋がれた銃が一瞬光った。それは雷を思わせたが、後から音は追っかけてこなかった。
「結果が出たわ」
彼女はそう言って、モニターに表示されたユートピアの地図を広げた。
やがて、彼女の顔が青ざめた。何かよくないことが起こったのだ。しかし僕はというと、箱を開けたパンドーラーも、あるいはそういう顔をしていたのかもしれない、なんてことをぼんやりと考えていた。何故僕はこんなにも客観的でいられるのだろう?
「どうしたの?」
僕は自分から離反していた関心を取り戻し、彼女にそう尋ねた。
「ない...」
「ない?」
彼女の怯えた表情は、思春期の心と身体の変化に動揺している少女のようにも見えた。初潮を迎え、胸が膨らみ始め、陰毛が生え始め、父親とお風呂に入るのが嫌になる、そういう時期の見知らぬ変化への怯えだ。それは単純な恐怖より、幾分不安を煽らせるものがある。
彼女はしばらく息を整えていたが(この世界にあっては呼吸は僕らが普段一般的に営んでいる行動として、半ば無自覚的に行われるものであって、意味はそこまでない)、やがて落ち着いたのか口を開いた。
「あなた以外に、〈ブレード・ガンナー〉が居ないのよ....」
彼女の言葉が僕の中で異国の言語のように響いた。それは解釈しようのないものだった。僕はただその意味を求めて、言葉を咀嚼し続けていた。
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