31.電脳世界〈須く映画は終わらなければいけない〉20時〜

 プログラムの完成はもう目前だった。今日完成させて、今日のうちにこれを使うことができるだろう。

 私たちのは、もう終わろうとしている。そしてその冒険の背後を蠢く影の輪郭も、今はもう見え始めている。

 この冒険が終わったとして、私たちの関係は今のままを保っていられるだろうか? 私たちは、常にギリギリの仕事をしてきた。命綱をつけない綱渡りのような仕事だった。そんな仕事だったから、私たちは手を繋いでいられた。しかし、その危機がさった時、私たちはただ純粋な意味で手を繋いでいられるだろうか?

 彼を信じていないわけじゃない。私たちは二つになれるはずなのだ。いや、彼らと言った方がいいのかもしれない。私は現に現実と電脳ここで、二人の人間と関わっている。軽い女ってわけじゃない。多分。

 彼らが同一人物だったら、と私は考える。それはとても素敵なことだ。それは私の人を好む感覚は一つの方向に向かっていた証明になるのだから。

 同一人物だったら、今度はこっちの彼として酒を飲みたい、と私は思った。ノンチルフィルタードのウィスキーなんてものを飲んでみるのもいいかもしれない。私は飲んだことがないが、彼ならきっとその美味しさと飲み方を教えてくれるはずだ。私の知る限り、ノンチルフィルタードのウィスキーが似合うような人間は彼だけだ。


 そして私は2時間ほどかけて、残る作業を終わらせた。私は許されるだけ時間を使い、作業をした。それは側から見れば、かたつむりの歩みのような作業スピードだった。しかし、実際はロマネコンティのコルクを抜くソムリエのような作業スピードという表現の方が正しい。何故なら、そこにはただ遅いというわけではなく、慎重に作業を行ったという意味合いがあるからだ。私が組むプログラムは、ワインで例えるならロマネコンティなのだ。そのくらい高貴なもの、というわけだ。

 しかし、厳密に言うならそのコルクを抜くのは私ではなく、彼だ。そういう意味では、私の作業をロマネコンティのコルク抜きに例えるのは適切じゃないのかもしれない。ならば醸造というべきか、と私は思った。


 そのようにして私は、醸造を終えた。味見するまではわからないが、おそらくは極上の味のはずである。なぜならロマネコンティなのだから。

 彼は喜ぶだろうか? 彼はどちらかというとウィスキーが似合う男な気がする。しかしまぁ、どちらでもいい。本当にワインを作ったわけじゃないし、私はそう思った。物事を何かに例えるという作業は、そこで完結するものだ。私はただプログラムの高貴さをロマネコンティに例えただけで、何もそこから先のことまでは例えているわけじゃない。比喩とは独立したものであるべきだ。

 私は彼にメッセージを送った。「今からいつもの部屋に来なさい」

 これで、私たちはいよいよこの物語の全体図を知ることができるのだ。それがどのような姿をしていても、私はそれを受け入れることができるだろうか? いや、するしかないのよ。でなければここまで進んだ意味が無いじゃない。そう思った。

 私にはそれを見届ける義務がある。ここまで関わってしまった、言わば罰だ。あるいは、これは終わらせるべきではないことなのかもしれないからだ。それに終わりをもたらしたのは、彼であり私だ。ならば、それがどれほど酷悪な表情をしていても、受け入れなければならない。義務とはそういうことだ。

 何かが失われるかもしれない。その予感は私の中にあった。あるいは、影がそう告げていた。そして、それは失ったら取り返せないものなのかもしれなかった。

 しかし、それはいずれ失われなければならないのかもしれない、とも思った。誰かが終わらせなければ、映画は続いたままだ。映画というものは、いつかは終わらなければいけない。終わるべきじゃなくとも、終わらなければならないのだ。

 さぁ、いきましょう。どんな結果でも、私は受け入れてやるわよ。終わらないものなんてないのよ。私の美貌だって、いつかは失われるんだから。そうでしょう? あなた方がどなたかは存じ上げないけれど、あなた方も終わりを迎えるのがフェアってもんじゃないかしら? 

「公平さを求めることは必ずしも良いことには結びつかない」と影は告げる。

 それはどういうことかしら?

「ソヴィエトは、共産主義を掲げて地図から消えた」

 それは暴力が介在したから。私たちはそのようなことはしない。

「既に君たちは暴力によってそれを成し遂げようとしている」

 あるいはそうかもしれない、と私は思った。私たちは既に、無駄な殺害を行った。

 でも、必要な暴力だったのよ。

「暴力は深い禍根を残す。人が未だに差別的な意識を深層で内包しているように」

 私たちの場合は違う。それは歴史が作り上げた時限爆弾のようなものとは別物なの。

「しかし、君たちの暴力もいずれは未来の人間の無意識的な記憶に刻まれるかもしれない。暴力の歴史というのは、そういうものだ」

 そうかもしれないけれど、私はそうは思わないわね。これは泡のように消えて無くなる種類の物なのよ。今に見てなさいよ。あなたも今は輪郭しかつかめないけれど、いずれはぶっ殺してやるんだから。

 私がそう告げると、その影は消えた。

 私たちはお前ら影になんか飲み込まれない。私はその堅く結ばれた決心を絶対に忘れまい、と思った。

 すると、ノックが聞こえた。彼が来たのだ。

 私はドア越しに彼に言った。

「全てをおわらせる決心は?」

 彼が深く息を吸うのがわかった。それは極めて静かだったが、私の耳にはそれが聞こえた。

「もちろん、できている」

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