30.現実世界〈交渉の余地などなく、一瞬で〉16時〜
私は狙撃銃で威嚇された後、ハリスン邸へと素直に戻った。側から見れば私はただ任務を遂行できなかった無能なのかもしれない。もちろん、それは間違いとは言えないし、少なからず私にも足りないところがあったはずだ。
しかし、私は何もただ諦めて帰ってきたわけではない。私は今回の件を彼らに託してもいいと判断したのだ。根拠は? と尋ねられると少々困るが、その辺の感覚には私は自信があった。つまり、物事を然るべきところに着地させることに関して、という意味だ。
鳥は囀らなかった。何故かハリスン邸の敷地内に住み着くその鳥は中々囀らないのだ。私はその鳥に勝手に「フギン」と名付けていた。確か思考という意味だったはずだが、その鳥はいかにも「思考している」といった顔をしていた。少なくとも彼は、しっかりと思考を凝らし、これ以上森の深くに行けば鳥撃ちの標的になることをよく理解しているようだった。
建物内に入り、私はハリスンの部屋へと向かった。トントントン、と三回ノックをし、私はそこに入った。
「おかえり、どうやら彼らは情報を得てしまったらしいね。何故君は彼らを通したのだろう?」
彼に怒っている様子は見受けられなかった。
「あなたの用意した台本通りに彼らを操るよりも、彼ら自身で動くようにした方が、最終的に良い結果へと帰結すると判断したからです。あなたの言葉を借りるなら、彼らはタフです。大丈夫です、彼ら...いや、彼と表現した方がいいでしょう。最終的に物事に決着をつけるのは彼でしょうから。彼はきっとやります。彼はちゃんと引き金を引けます」
「君がそういうのなら、そうなのだろう」と彼は言った。「しかし、途中の流れが予測できなくなってしまった。僕の選択によっては、物事は悪い方向へと転がるかもしれない」
「あるいはそうかもしれません」と私は言った。「しかし、それはある意味では良い終着点なのかもしれません。つまり私たちに悪い方向でも、それは公共の利益という観点から見るならそれは良い方向なのかもしれない、という意味です。もちろん、公共の利益というものさしで計った場合、ということですが」
これは楽観的すぎるのだろうか? しかし、私の感覚がそう告げていたのだ。それとも、これは私の立場を守るための自己防衛的な機能なのだろうか?
だが、現実として彼はとても賢明に見えた。屋上から狙撃銃の護衛を事前に配置しておくような人間なら、あるいは....私はそう考えたのだ。
「君がそう思うのなら、そうなのかもしれない」と彼が言った。彼は私に信頼を置いてくれているのだ。
「どちらにせよ、終わりは近づいています。事態は着実に収束に向かっています。おそらくですが、明日彼はここを訪ねるでしょう。私は手袋を付けていました。彼なら私であることに気付いて、ここに来るでしょう」
「手袋ははずなかったのかい」
「この手袋が私の手から離れるのは、私が火葬される時かここを去る時だけです」
私がそう言うと、彼は納得したようだった。そういった信条を厳格に守ることが、ある種仕事に大事な場合があることを、彼は理解しているのだ。何せ、ユートピアを作り上げたような人間だ。踏んできた場数が違う。
「それでは失礼します」
私はハリスンの部屋を出た。ドアがガチャリと重厚な音を立てる。いつも通りの音だ。しかし、何かが私の鼻先をかすめた。何だろう? この感じは。
私は部屋を出て廊下を曲がり、その違和感にようやく気づいた。そこには、拳銃をこちらに向けた人間が居た。違和感の正体は、息を潜めた人間のオーラだったのだ。
「なんのつもりでしょうか」
私は極めて冷静にそういった。こういう場合はまず落ち着かなければならない。落ち着いて、最適な選択をする。間違っても彼らに引き金を引かせるような選択肢は選んではいけない。冷静さを損なえば、私の脳天は飛ばされてしまう。そこには大した時間は要さない。タバコの火をつける方がまだ時間がかかる。この状況にあっては、私の生死はそれほどまでに軽いものなのだ。
「与えられた仕事をこなさない人間はいらない。ハリスン様はそう仰った」
なんだと? 与えられた仕事をこなさない? つまり私は彼らに情報を得られてしまったことを理由に、粛清されようとしているのか?
「冷静になって話し合いをしたい。誤解があるようです。誤解は解かなければいけない」
「いいや、そんな必要はない。誤っているとしても解答は出ている。必要なのは、どう責任を取るかだ」
見たところ、彼らは焦っているようだった。おそらく、人など殺したことないのだろう。まだ覚悟ができていないのだ。
自分だったら、と私は考える。私だったら、その引き金をすぐに引くだろう。交渉の余地などなく、一瞬で。もちろんそれは、「誤解を解く必要はなく、責任を取らせることが先決である」という考え方を私が持っていたと仮定しての話だ。
すぐに引かない時点で素人だ。私の方がよっぽど有能だ。しかし、その私が今彼らに遅れをとっている。私でも、大勢に拳銃を向けられては能力を発揮できない。
「でもまず、銃を下ろして欲しい。こんなところで銃を撃てば、ハリスン様の美しい邸宅が私の汚れた血で染められる」
「それは了承済みだ」
「つまり、ハリスン様は私を殺すことを認めている、と」
「そういうことだ」
やれやれ、と私は思った。私が何年彼に身を捧げたかわかっているのだろうか。今回だって、彼のために働いたのだ。それが彼の計画と少しズレていたからといって、何故殺されなければならない? それに、私は言ったはずだ。事態は最終的に良い方向へと帰結する、と。
「ならハリスン様と話させてくれ、話せばわかるはずなんだ」
「いいや、ダメだ」
拳銃を構えているやつの中で、リーダーシップをとっているであろう人間が声を荒げた。あっ、まずい ー 私はそう思った。
銃声が聞こえる。重々しい空気を貫く、残酷な音だ。しかし、私の意識はそんな音を丁寧に感じる間もなく途絶えた。視界に暗黒のカーテンがかかった。
私の生はそこで終わった。あっけなく、私らしいとも言えるのかもしれない、その一瞬で私はそのようなことも考えた。
そして、私の意識は暗黒の中でどろりと溶けていった。私が最後に考えたことは、ここでも手袋のことだった。
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