29.現実世界〈追跡者・ベレッタ・影〉9時〜

 車は至って静かに進行しているが、そこにはいくらか死の重みがあるように感じた。実際に銃をトランクに乗せたのは僕だから、それを感じてるのは僕のみなのかもしれない。他の人間は、特にそんな様子は見受けられなかった。

 しかし、死の重みを感じているようではなくとも、彼らはそこそこに緊張しているように見えた。

 僕らがこれから足を踏み入れるのは、誰もが知っているような一流企業だ。そこにこの世の真実が隠されているかもしれないから調べに行くぞ、と言われ緊張しない人物なんておそらくいない。あるいはいるかもしれないが、そういう人間は多分今の警察のような職業は選ばない。

「君は狙撃銃を扱えると聞いている。対岸のビルの屋上から見張っていて欲しいんだけど、大丈夫かな」

 僕がそう尋ねると、彼は生真面目そうな表情を崩して、微笑んで見せた。

「ええ、構いません。撃つことも躊躇いません。僕は中東の方で民族解放戦線の狙撃兵をやっていたことがあります。そこで何人か現地の政府軍兵士を撃ち殺しました。その時に使った狙撃銃も一応ドラグノフ狙撃銃でしたが、それはいくらか近代化モデルとして採用されていたものでした。しかし、古いモデルのものでも問題はないでしょう」

 そういう経歴があったから、今や官僚のようなものと化した警察が彼を雇ったのかもしれない、と僕は思った。彼はおそらく道徳でものを考える人間じゃないはずだ。おそらく、本当に人を撃ち殺してきたのだろう。そういう人間特有の黒目の深みがあることを、僕は知っている。底に死体が幾つも沈んでいる湖のような黒目だ。それがある種の死を予感させるのだ。


 会社に着き、僕はあえて駐車場ではなく、入り口の正面に止めた。トランクには銃がある。銃はいざという時に手元になければ何も役に立たない。

 空は晴れ渡っていて、その先を暗喩するものを感じられなかった。しかし、僕はそれがかえって不安になった。例えば、暗く重い鈍色の雲が空にのし掛かっていたとしたら、僕はそれに対していくらか心して臨む形になっただろう。だが、何も感じさせない晴れ渡った空は、先を予見できない漠然な不安を僕に感じさせた。最近は色々と先を予感させるものが僕の周りを囲んでいたのに、今日はそれがない。それはいよいよ結末が近づいていることを意味するのではないか? それが良い方向であろうと、なかろうと。

 狙撃銃を持った彼は、対岸のビルの屋上へと行った。狙撃銃を入れたバッグは、なんだかテニスのラケットバッグのように見えた。あるいはゴルフのクラブを入れるバッグのように見えた。どちらにせよ、そこに狙撃銃が入っていると思う人は居ないだろう。


 僕たちは入り口からその会社へと入ろうとしたが、何故だか僕は嫌な予感がした。何かに追っかけられているような感じだ。そして、それは時間ではない。

 すると、僕の隣にいた眼鏡をかけた捜査官が僕に耳打ちした。

「どうやら、先ほどから私たちをつけている者がいるらしいです。10分前くらいから2つほど車を挟んで、同じ道を通っている車がありました。なんでもない黒のセダンです。思い違いでなければ、やつらは確実に私たちを追っかけています。そういうを感じました」

 まさか、それが警察に武器を売った組織のものなのだろうか? そうに違いない、と僕は思った。もしかしたら、僕らが真実に近づくことは、彼らにとって都合が悪いのかもしれない。それが何故かはわからない。しかし、何にせよ彼らは僕たちを邪魔しにきたのではないか? 

 僕は無線を起動した。そして、狙撃銃の彼に繋いだ。

「聞こえるかな、僕だ。僕らを着けている人間がいるかもしれない。黒のセダンに乗っているやつだ。狙撃銃で狙いをつけておいて欲しい。殺しはしたくない。だから、僕が君の端末に連絡を入れたら、足元を撃って威嚇をして欲しい。絶対当てたらダメだ。殺す手立てと覚悟はあるのだ、とだけ伝えるんだ。発砲許可はある」

 僕は自然とベレッタを握った。そして、トランクを意識した。彼らはおそらく、捜査を活性化させるために武器を警察に売りつけた。きっと〈暗殺者〉の破滅が彼らに必要なのだ。しかし、その行動がやつらには裏目に出たのかもしれない。僕たちには彼らを殺す手立てがあるのだ。

 僕たちが入り口に入ろうとした時、その追跡者は正体を現した。僕は少なからず、それに驚いた。隠密に行動するわけではなく、そいつは僕たちと交渉をしようとしているのだ。それは、交渉を成立させるだけの力があることを示している。警察に武器を売るほどだから、ある程度大きな組織であることは覚悟していた。しかし、表立って行動できる存在だろうか?

「何故僕たちを着けていた?」

 僕がそう尋ねると、彼は神経質そうに手袋をはめなおして言った。手袋? 手袋という単語が僕の頭を駆け巡った。ありきたりな表現をするのなら、電流のように。

「何故、と聞かれれば少し答えにくいことかも知れません。何故なら、私に語る権利が与えられていることはかなり限定されているからです。しかし、それでもとりあえずの便宜的な答えとして言うなら、貴方たちを止めに来ました」

 彼は自信に満ちた雰囲気を出しながら、そう言った。そこには、持つものの余裕も幾らか含まれているように感じた。そして、それを与えるような真似はしないぜ、とでも言うようなものも感じた。

「何故止めに来たんだろう?」

「貴方は私達が予期するより、早くここに辿り着いてしまったからです。要は、私達のプロットにズレが生じたから、それを是正しに来たのです」

 プロット、と彼は言った。それは、彼らがこのことを操っていたことを示唆していた。そして、それに僕たちがズレを生じさせた。つまり、彼らは僕たちがいずれここに辿り着くように仕向けたが、計画よりも早く僕らがここに辿り着いたので、それを止めに来た。

 やれやれ、と僕は思った。彼らが何者にせよ、今目の前にいるのはその組織の一員なのだ。

「でも、僕たちはそこにいかなくちゃいけない。その決心は揺るがない」

「そうはいきません」

 彼は、ポケットから拳銃を出した。彼はそれに指を掛けている。それに対抗し、僕もベレッタを出した。死の重みを指に感じた。そして僕は、端末をポケットの中で起動して、狙撃銃の彼に連絡を入れた。『今だ』

 すると、彼の足元にあったコンクリートのかけらを、狙撃銃の銃弾を撃ち抜いた。そのかけらが砕ける様子は果てのない無力を感じさせた。

「上から狙撃銃で狙いをつけてる。僕たちの方が上手だ」

 僕がそう言うと彼はため息をついて、拳銃をしまった。そして、首を振った。負けたよ、とでも言うように。

「わかりました。貴方達はどうせ進むのでしょう。主人にはそう告げておきます」

 主人、その言葉を僕は反芻した。あぁ、そうか、彼は....

 彼は車に戻り、そして帰った。

「行こう」と僕は言った。


 会社に入り、僕は警察であることを受付の女の子に示した。

「上の人を呼びますか?」

「社長を呼んで欲しい」

「社長ですか?」

 僕が社長を呼べと言うと、彼女は明らかに狼狽した。おそらく、そこまでの権限はないのだろう。派遣か何かの社員なのかもしれない。

「すみません、僕たちは警察です。権利があります」

 僕がそう言うと、彼女は「今上に通してみます」と言った。

 僕の心は少なからず痛んでいた。関係ない彼女を脅すような真似は避けるべきだったのだ。しかし、ああ言うしか無かったのだ。時間はないし、僕の心にも余裕はなかった。

 僕の手にはまだベレッタを握った感触が残っていた。もしかしたら、一生残るかもしれない。拳銃を持つだけならまだしも、人に向けることなど普通はないからだ。


 数分後、先程の女の子が戻ってきた。

「社長室に案内します。ついてきてください」

 僕たちは彼女について行った。

 彼女はエレベーターに案内した。そのエレベーターは社長室に直接つながっていて、社長室に行く目的だけのために作られたものらしかった。その証拠に、豪華な装飾が施されていて、重厚なイメージを僕たちに与えた。

 チン、と音がして社長室に着いた。エレベーターのドアは威圧的に開いた。

 開いた先の社長室の椅子には、テレビでも時々見かける社長が座っていた。

「どうぞ、そこに掛けてください」

 彼はそう言って、社長の椅子の前に置かれたソファを指した。

「失礼します」と僕たちは言って座った。ソファは柔らかく、そこにかけられた金額が尻から伝わった。

「どう言う用件ですか?」

 彼は心配そうな顔をして尋ねた。今にも死にそうな顔だった。それはまるで、顔からあらゆる色素を奪ったようだった。

「ユートピアを作ったのはあなた方ですね?」

 僕がそう言うと、彼はさっきの受付の女の子に負けず劣らずの狼狽を見せた。

「何の話だろう」

「僕らはもうその情報を、確定された事実として掴んでいます。無駄な誤魔化しはやめましょう」

 彼はため息をついた。それから虚空を眺めて、もう一度ため息。

「ええ、わかりました。そうです、ユートピアを作ったのは私達です。それがどうしたんですか?」

 僕は頭の中で、わかりやすい言葉を選び、説明するためのセンテンスを作り上げた。それは作文を書いてる時の感覚に似ていた。

「〈暗殺者〉についてです。〈暗殺者〉は、あなた方がプログラムしたものですか?」

 彼は一瞬目が泳いだがやがて諦めたらしく、浅いため息をついた。

プログラムしていません。つまり、その〈暗殺者〉は元からプログラムされていました」

「それは、あなた達よりも先に委託された会社があり、そこがプログラムしたということでしょうか?」

「いいえ、違います」

 彼は確定した事実としてそう言った。そこには疑いなどなく、絶対的な言い方だった。

「つまり、土台が提出された時点で〈暗殺者〉という機能は作られていました」

 まさか、そんなわけはない。ハリスン氏は、その段階では関与していないと言っていた。この社長の言い分を信じるなら、ハリスン氏は嘘をついていたことになる。

「にわかには信じがたいことです」

「しかし紛れもない事実です。その際与えられた『土台』のコピーを差し上げます。ただ、捜査以外で使用はしないでください。ユートピアは秘密主義で成り立っている組織ですから」

 僕は「わかっています」と言って、そのコピーを端末に受け取った。

 ハリスン氏は嘘をついていた。その意味とは何だろう? 僕は一生懸命頭の中で考えを整理したが、それはうまくまとまらなかった。一度形になっても、それはすぐに崩れてしまうのだ。まるで、つなぎがないハンバーグのようなものだ、と僕は思った。

 ハリスン氏の嘘。そして、追跡者。影は確実にその実態を僕に見せ始めている。

 それは僕には受け入れ難いもののような気がした。その正体が何であろうと。

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