28.電脳世界〈意味とは池の底にあるようなものである〉2時〜

 いつもの冴え渡る月のような表情は彼女の顔から消え失せ、そこには多少の困惑が見受けられた。六等星のような表情だった。いつもの光は、今はぼやけてしまっている。

 おそらく、予想外なことがあったのだろうと思った。彼女から光を奪うようなことがあったのだ。ブラックホールのようなものだ、と僕は思った。

「何かあったんだね?」

 僕はそう尋ねた。しかし、彼女は〈ユダ〉から情報を盗む程度で何かトラブルを起こすような人間だろうか? 彼女にとってそんなことは容易いはずなのだ。

「ええ、ちょっとね」

 ちょっと、と彼女は言った。しかし、その「ちょっと」が彼女から光を奪うとは到底思い難い。

「ちょっとというのは?」

 僕がそう尋ねると、彼女は目を逸らした。

「言いにくいことなのかな」

「ただ言葉を選んでいただけよ」と彼女が言った。「つまり....大した情報は得られなかった。もちろんあるだけ情報は盗んだけど、それは大したものじゃなかった、という意味だけど、それではないのよ。私は、彼らに能力を与えたのが誰かを逆探知しようと試みたの。ただあなたにそのことを相談せずに勝手に動いた。ごめんなさい。....で、結論なんだけど、それは無理だった。私はドアを開けようと思ったの。でも、。これははっきり言ってね、ありえないことなのよ。矛盾が生じるじゃない。ドアのない部屋なんて無いわよ。タコのないたこ焼きとかそういうレベルじゃないのよ」

「つまり、セキュリティが強固すぎるってことかな」

「違うわね。そもそも、送信されたという事実がないのよ。まるで、最初からそこにあるかのようにね」

 彼女は恐ろしいものを目にしたかのように、身震いした。彼女がそんな様子を見せるのは、おそらく初めてだった。もちろん、僕と彼女が出会ってからはそんなに経っていない。しかし、それが長い間...あるいは生まれて以来誰にも見せなかった様子だと言うことだけは僕にもわかった。それは、他人に見せず内側に潜めていたものでもなく、単純になのだ。そこに疑う余地はない。僕の直感がそう告げている。

「そのように見せかけることは可能なのかな?」

「少なくとも私には無理な話ね。ドアを隠すことなら、あるいはできるかもしれない。でも、完全にドアを無くすのは無理。そんなことしたら、部屋を出られなくなるもの。あぁ、つまり....ドアを作らなきゃ、情報を埋め込むのは無理という意味だけど」

「それが巧妙に隠されているに過ぎないという可能性は?」

「無い」と彼女は言い切った。「私がそんなの見逃すと思う? こういうことに関しては、私の目は千里眼と言っていいくらいよ。貴方だってわかっているでしょ?」

「わかっている」と僕は言った。確かに、それは僕が散々思い知ったことだった。彼女がこの手のことで見逃すことはない。

 それから暫し、静寂が訪れた。それは霊安室のような静かさだった。あるいは、遊び疲れて眠ってしまった子供のような静かさだった。そこにはあらゆる音がなかった。霊安室という表現から繋ぐなら、音が死に絶えたようだった。遊び疲れて眠ってしまった子供という表現から繋ぐなら、その音は子供と一緒に眠り込んでいるようだった。

 しかし、その静寂は永遠のものではなかった。当たり前だ。そういう意味では、霊安室のようなという表現はいささか間違っていることになる。それは一時的に失われたものに過ぎないのだから。

 静寂を破るのは、彼女の声だった。

「この意味を考えましょう」

「意味?」と僕は尋ねた。

「ドアがない、という事実が表す意味をよ」

「理由ではなく」

「そう、理由ではなく」

「何を意味するだろう?」

 何を意味するだろう? 僕は頭の中でもう一度再生した。何を意味するのだろう。物事には必ず意味と理由がある。時には意味は理由でもある。意味を探せば、あるいはその理由だって見つかるのかもしれない。意味は僕たちが最優先して求めるべきものなのだ、と思った。

 意味とは池の底にあるようなものだと、僕は思う。僕はその池に疑問を投げかける。疑問は池に沈んでいく。表面的には何も残らない。しかし、その疑問は池の底に沈んでいる。疑問は確実に池を埋めていく。その疑問を投げ続け、疑問が池を埋め尽くすようになって初めて、意味はそれに押し上げられ、表面に現れるのだ。つまり、僕はそれに対して疑問を抱き続け、その都度それを打ち消していくのだ。そうすれば、意味はやがて見つかる。

 しかし、それは有無を言わさぬ絶対性があるような気がした。ドアはない、ないものはないのだ、とでも言うような。

「それがあるいは答えなのかもしれないわね、つまり、この全体的な問題の、という意味だけど」

「意味を見つければ、全てが解決するかもしれない、という意味?」

「有り体に言えばね」

 あるいは、それだけ大きなものであるせいで、これだけ難解なものとなっているのかもしれない。

 まぁ、いつかはわかるだろう。何もそれは永遠の謎というわけではないはずだ。永遠なんてないのだ。

 なんだか、もうパズルのピースは揃っているような気がした。あとは組み立てるだけなのだ。もちろん、それに完成形があるならば、だが。

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