26.現実世界〈追跡者〉9時〜

 私はスミス&ウェッソンの拳銃の重みをポケットに感じながら、我が主人の鳥撃ちを見守っていた。彼は長年使い込んだ散弾銃で手際良く鳥を撃っている。そこには一寸の慈悲もない。

 私は身につけた手袋を引っ張って、指先に生まれた空間を是正した。引き締まった手袋は私の仕事に対する決意を表す手段であり、それが緩むことは許されない。それは私が仕事をする上で自らを律する為の規範の一つだった。

 我が主人であるハリスンは、散弾銃を台に置いた。周りにいる他の使用人がその銃を持って、下がった。彼らはそれをメンテナンスし、その間ハリスンはもう一方の愛銃を使う。彼は上下二連の銃を愛用していて、2発撃つと次の弾を装填した。二回続く銃声と装填の音は一つのリズムのルーチンとなっていた。バン、バン、カチャカチャ...と。

 彼は用意していた弾薬を一箱撃ち終えると、その銃を台に置いた。周りの人間が次の弾薬の箱を差し出すと、「いや、もういい」と言った。

「もう良いのですか?」と私は驚いて尋ねた。彼は普段ならもう少したくさん撃つ。

「ここに来たのは、家だと広すぎてあまり落ち着かないからなんだ。外は空気が良い」

 彼の言い方には、なんだか含みがあるように感じた。様子もなんだか、落ち着かないように見受けられた。

「何か話があるのですか?」

 私がそう尋ねると、彼は「君には敵わない。お見通しだ」と言った。確かに、私は彼の考えることがおおむね予想できた。それは、共有した時間によって織りなされるものであり、私以外の人間ができることではなかった。

 思えば、私は15の時からハリスンに仕えている。30になった今、私は15年彼に支払ったことになる。そして、これからも支払い続けるのだろう。

 それでいいのだ、と私は思う。私は彼に多くを与えられたし、多くを与えた。人はそのようなものを、良好な関係と呼ぶのだ。

「話というのは?」

 私はそう尋ねた。すると彼は、周囲の人間に席を外すよう促した。私以外には話しにくい内容らしかった。

 彼は、私以外の周囲の人間がいなくなったのを確認してから話し始めた。

「話というのは、だ」

「そうでしょう、そう思いました。というと、何か私に仕事が求められるような状況になったということでしょうか?」

「そういうことだ」と彼は言った。そして、散弾銃を取って、それを手で撫でた。

「少々事態によからぬことが起き始めた。これは例え話だが...銃はちゃんとメンテナンスをしなければ、煤が溜まり続ける。だから、定期的にそれを拭き取らなければならない」

「つまり、今は事態が良くない状況にある。あなたの表現を借りるのであれば、煤が溜まっている。ならば、それは拭き取って、もとのに戻さなければいけない」

 私は、自分が解釈したことを、なるべくわかりやすいような言葉に変換した。それは、外国語を翻訳して母国語に直す作業に似ていた。もちろん、私にはそんなことをした経験はないが。

「君は理解が早くて助かる。そう、クリアな状態に戻す必要がある。少々僕の僕の計画より早く事が進んでいるからね」

「そして、それは私たちを良くないところは運び込むかもしれない」

「かもしれないではない。ほぼ確実に僕たちに破滅をもたらす」

「ほぼ」と私は言った。何故そこを完全に言い切るような真似はしなかったのか、私は気になった。

「この世に絶対なんてことはない。そこには必ず反対の可能性がごく僅かな量でも含まれている。絶対性を信じれば、足元をすくわれかねない」

「懐疑的に生きることが重要というわけですね」

「そういうわけだ」

 私がそういうと、彼は「そんなことはどうだっていいんだ」と言った。いつのまにか話がずれていたようだった。

「つまり、その煤を拭き取る作業を君にやってもらいたい」

 私は彼の右腕として、15年間仕事をしてきた。大事な仕事で且つ彼自身が動くのは適切じゃない場合、動くのが私なのは当然だった。今までも決して穏便とは言えないことを、私はこなした。今回だって例外ではないはずだ。

「ええ、それはもちろんやらせていただきます。しかし、その煤というのは?」

「つまり、彼らは今僕が仕組んだのより、早く先に進もうとしている。僕の作った道より先に行こうとしているわけだ。それは良いことではない。その先に道があるかどうかだってわからないんだ。できれば僕の使ったプロットの通りに彼らを動かしたい。君には彼らを止める役割を担ってほしい」

「具体的には何をすればいいのですか?」

 私がそう尋ねると、彼は真面目な表情で言った。

「経産省にアクセスがあった。ある企業のセキュリティプログラムを経産省が確認したら、そこにバックドア型のトロイの木馬が仕込まれていた。しかも、完璧なやつだ。そして、それによって経産省の握る情報が公開された。それはすぐに閉じられたが、仕込んだ犯人はすぐに情報を掴んだんだろう。おそらく、委託した企業を知られた。僕のプロットでもいずれそこに隠されたものを知ってもらうことになっていたが、今ではない。君はそこに行き、流れを止めて欲しい」

「大仕事になりそうです」

「あるいは」と彼が言った。

 私は、ポケットのスミス&ウェッソンの拳銃を握った。こいつを撃つ羽目にならなければいいが、と思った。私の手帳に、発砲という予定は書き込まれていないのだ。

「彼らはかなりタフだ。気をつけた方がいい」

 ハリスンは、至って真面目な顔でそう言った。

「君は有能だ。僕の財産で君の才能を育んでいたつもりだ。心配もあまりしていない。だが、。わかるだろう?」

「わかると思います」と私は言った。

 私は冷徹な追跡者だ、と心の中で呟いた。そして、ストッパーだ。流れを止められるのは、私だけなのだ。

 春の川のように、勢いよく流れる物事は、私によってバランスがもたらされる。無事に済めばいいが......私はそのように考えた。

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