18.現実世界〈サンドイッチ・ハリボテ〉11時〜

 僕は今日、朝からずっと作業をしていた。パソコンの光が、僕の目に乾きを与える。僕はどうやら、瞬きするのも忘れるほど集中していたらしかった。

 事務の女の子が入れたコーヒーは、もう冷めてしまっていた。ぬるいというよりは、冷たい。思うのだが、温かいものが冷めてしまった場合の冷たさと、最初から冷たい場合の冷たさは、その本質が違うのではないか。前者の方が、幾分人を不快にさせるような気がした。

 しかし、彼女の入れたコーヒーは冷めてもあまり不快な感じはしなかった。そこには彼女のインスタントコーヒーの深みのようなものが残っていたし、冷たい中に微かな熱を感じた。

 画面には、ある程度書類が出来上がっていた。僕がここ数日で調べた事を上に提出する用にまとめたものだ。ハリスン氏が土台を作り、後は色々な企業に委託して作ったこと。僕らが追う者は、とても数が少ない可能性があるということ。それは統計によって裏付けられたものであるということ。まとめてみると、僕はそこそこに濃密な仕事をしていたのだな、と感じた。

 スレッドを書き込み、その返信から情報を経たという経緯は曖昧にして書いた。"然るべき手段で情報を得た..."

 然るべき手段が常に正しい道筋であるとは限らない。社会規範から逸れた手段のこともあれば、倫理的な規範から逸れることもある。それが最適解であり、然るべき手段とされるケースが時にはあるのである。コーヒーに然るべき入れ方があるように。


 書類はある程度完成に近づいていたし、僕は昼食を取ろうかと考えた。僕はバッグからコンビニのサンドイッチと、ペットボトルのお茶、持参の文庫本を出した。

 サンドイッチはたまごが挟まったものと、ハムと野菜が挟まったものの二つがあった。お茶は最もネームバリューのある大手の会社のものだった。そして、文庫本は「こころ」だった。

 サンドイッチは値段の割に美味しかった。パンは柔らかくたまごやら野菜やらハムやらを挟み、ちょうど良い歯応えを実現していた。たまごはマヨネーズがあえてあって、微かな酸っぱさがとてもマッチしていた。野菜はみずみずしく、心地よい音を立てた。野菜だけでは実現し得ない味のバリエーションをハムで補っていた。まるで、計算されたようなサンドイッチだ、と僕は思った。

 僕は二回サンドイッチをかじると、本のページを1ページめくった。僕がサンドイッチを少しずつ減らしているのと並行して、「先生」は悩んでいた。僕がハムのほうに手をつける頃、「先生」はKを出し抜いてお嬢さんを手に入れるべく計画を進めようとしていた。

 お茶を流し込み、食事は終わったのだ、と体の奥に伝える。お茶にはそういう力がある。回転寿司で食べ終わったら、なんとなくお茶を飲み始めるのと同じだ。

 僕はパソコンに向き直り、作業を再開しようと試みた。しかし、書類はほぼ出来上がっていた。これを完成させてから上に提出しても、今日中に読まれるわけではない。そうなると、帰宅まで空白の時間が出来てしまう。それはあまり喜ばしくないことだった。

 空白は心を蝕む。何もしないと、僕は少なからず自分を取り囲む出来事について思案しなくてはならなくなる。僕はできるだけ、仕事を介さずにそのことについて考えたくなかった。特に武器の出所について考えるのが嫌だった。僕は彼女に少なからず影響されているのかもしれない。

 あえて、書類を書くことに関して、推敲しているように演じた。僕は時々コピーを取り、端末へと移した統計を見ながら、「うーん」と唸ったりもしてみた。これでは給料泥棒なんじゃないか、と思った。国民が収める税が、僕の仕事をする演技に払われていると考えると、多少胸が痛んだ。

 途中彼女がコーヒーを入れてくれた。僕はそれをすすりながら、相変わらず演技を続けた。時々文字を打ちながらも。

 その間、嫌ではあるものの、僕を取り囲む様々なことについて思案を重ねた。もちろん、武器についても。

 一体武器はどこから手に入れたのだろう? あそこまで厳重に、武器の貯蔵された場所を知られないようにしたのだから、何か後ろめたい事実があるのではないか、と僕は思った。単純にこの国にあってはならない武器が有る為、という理由だけではないはずだ。

 やはり、国の管轄下には無い何かが、その武器を調達したとしか思えない。武器の中にはスペツナズが使ったモデルのAKがあった。

 よくよく考えれば、そこにあった武器は、いずれも共産主義国の中で大量に出回った武器だったような気がした。ということは、ロシアから流れてきたのだろうか。もしかしたら、中国のコピー武器かもしれないが、僕にはそこらの見分けはつかない。

 なんとなく書類に、「共産主義国?」と書き、それから消した。後ろを振り向いて、誰かに見られていなかったか確認した。警察という組織に対して、こういった疑問を抱くことはあまり良いことじゃない。誰しもが己の正義を信じていて、それによって成り立つ職業なのだ。


 そのようにして仕事のペースを極限まで落として、僕は1日を終えた。書類は1日かけて作ったものと同じくらいの質で、午後をまるまるサボったとは到底思いがたい出来だった。

 僕が仕事が終わり、近くのコンビニに寄ると、そこには彼女がいた。彼女は酒を選んでいた。発泡酒と、それからスコッチウィスキー。カゴには他にも、チーズ等酒に合いそうな食べ物が入っていた。

「お疲れ様」

 僕は後ろから声をかけた。すると、彼女は驚いて振り返った。

「あら、お疲れ様。買い物?」

「まぁ、そうだね。別に何か買いたくて来たわけじゃないんだけど。コンビニってのはそういうものだと思わない?」

「たしかにコンビニに行くのに、目的はいらないかもね」

 彼女は、安物のワインをカゴに入れながら言った。それは僕が知る限り辛口のワインだった。それは甘口じゃないよ、と教えようかと思ったが、もしかしたら辛口を飲みたい気分なのかもしれない。そもそも、人が選んだ酒に口出しするというのは、失礼に値しないのだろうか?

 彼女は会計を済ませた。僕は結局何も買わないまま、店を出た。

「今日はどうする?」

 つまり、今日私の家に来る? という意味だ。

「いや、今日は遠慮しておこう。家に帰ってやりたいこともある」

「そう、わかった」

「ねぇ」と彼女が言った。

「何?」

「あまり一人で深くまで探ってはダメよ。上手く言えないけれど、この件は私たちが考えているよりも大きな存在が動いている気がするの」

 彼女がそのように考えていたことに対して、僕はあまり驚きはしなかった。僕だって武器の出所に関して、同じような意見を持ち合わせているのだ。

「あなたも同じように考えていたのね」

 彼女は僕の表情を読み取って、そう言った。

「なんだか、全てが嘘くさい。僕の周りで起きる全ての出来事がみたいだ」

 自分でハリボテ、と言って気づいた。僕が感じていた事は、簡単に言い表すとそういう事だったのだ。彼女の前では、自分の心の内がすんなりと言葉という形を持って出せた。

「ハリボテでも、それは時に本物より危険よ。私達が追っているのは、実態なんてないのかもしれない。実態がない分、私達に攻撃の手立てはないかもしれない」

 実態なんてないかもしれない。どこかで聞いた言葉だ。

 しかし、僕はそれがどこで聞いた言葉なのか思い出せなかった。言葉が僕の頭の中でぐるぐると回っていた。

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