17.電脳世界〈アイリス〉22時〜
白い壁から聞こえる無機質な声に招かれ、私はログインした。
私は電脳世界に入ると、まずすることがある。それは、自分の腕をつねることだ。うん、痛い。
痛みとは、存在の証明だ。私はこうすることで、自分という存在についての意識を保っている。そうしなければ、私は私を忘れてしまうような気がした。
私は彼と今日も約束していた。昨日私たちが突き止めた、例のコミュニティについて調べるためだ。
しかし、私は彼と何時にどこへ行くと約束したのだっただろうか。私は彼と未だ連絡を交換していない。何故か彼とは、そんなものを介さずにも会いたい時に会えるような気がした。まるで、私と彼は一般の糸で繋がっているような、そんな感じだ。
ただ、それは共倒れを意味していることを、私は理解していた。彼が転べば私が転ぶ。しかし、それはある種の信頼を生むものでもあった。
ホテルでいいか、と私は思った。彼だって迷ったらそこに行くはずだ。
実際ホテルに行くと、そこには彼がいた。彼はポケットに手を突っ込んでいた。自分では気付いていないのかもしれないが、あれは彼の癖だった。おそらくポケットに入れてある、収縮させた銃をいじっているのだ。
「私なりに、〈ユダ〉について調べてきたの」
私はそう言いながら、自分でまとめた資料を送信した。
「君なりに、というのは?」
彼は私がどうやって情報を得たのか知りたいようだったが、私としてはそれを話すのは憚られた。というのも、私だってそんなに良い仕事の仕方はしていないからだ。だから、知られたくない。知らない方が幸せなことも、世の中にはたくさんある。
「〈ユダ〉というのはどうやら、表向きには彼らが建てたユートピア内のゲーム会社らしいの。29番池にあるらしいんだけど。表向き、というのはそれがペーパーカンパニーだからね。ゲーム会社が表の顔だけど、実際は全く使っていない。その会社名義で時々ゲームが出るけど、それも他から買収したものなの。ゲーム会社の仮面を借りて、裏ではアブナイ事してるってわけよ」
彼は私の話を聞きながら、情報の細部を見ていた。あまりにじっくり見ているので、本当に私の話を聞いているのか不安になったが、時折私が口にしたことを反復するように言葉にしていたので、聞いているという事は確認できた。
「税理士がいる」
彼はそう呟いた。
「そう、そこなのよ。税理士がいるの。彼らが形から作りたいタイプながけかもしれないけど、それにしてもそういう細かいところの力の入れ方が尋常じゃない。オフィス。表向きはゲームを開発していると見せかけるための買収。税理士。資金が余程潤沢にあるとしか思えない。こうなるとモアだけじゃなくて現実の通貨だって動いているでしょうね」
「それはきっと彼らが何かの偽装とか、色々な違法行為で少なからず金を稼いでいるからだろう。稼いだ金は全部経費に使っているのかもしれないこれは僕の憶測だけど、彼らの目的はユートピアを壊すことなんじゃないかな」
それは私も考えていたことだった。私の場合、ログの改竄やその他の偽装を行うのは、自分の利益や保身のためだが、彼らは違ったからだ。そこには、大きな差がある。彼らが偽装を行うのは、資金を少しずつでも蓄え、やがて仕掛ける爆弾のためなのではないか、と私は思った。
「ねぇ、今から行ってみない?」
私がそういうと、彼は2秒ほど考えて、「行こう」と言った。
29番池に着き、私達はその会社を探した。
程なくして、目当ての会社が見つかった。建物はしっかりした外観で、随分金がかけられているように見えた。
「なんて言い訳して入るの?」
私はそれについては考えていなかった。普通に考えて、彼らが簡単に入れてくれるわけがない。
「全く考えていなかったわ...どうしたものかしら」
私は頭の中で考えを巡らせたが、上手くそれはまとまらなかった。
「君が〈ユダ〉の組織の仲間に入るのはどうだろう?もちろん仮に入るわけだけど、もしかしたら〈ブレード・ガンナー〉についての情報はそこから引き出せるかもしれない」
やはりそうするしかないのか、と私は思った。確かに私なら彼ら以上の能力があるし、仲間に入ると言えば歓迎されるはずだ。要は私の気持ちの問題であった。それが仮の仲間であっても、少なからず私の能力は良くない方向に利用される。それをどう判断するか。
「でも」と私は言った。それは自分自身に対して言ったものだった。
「選択肢なんてないのよね」
そう、選択肢なんてない。賽は投げられたのだ。後には引けない。私達は前に進み続けなきゃいけない。時間のように、前へ前へと。
彼はずっと黙っていた。おそらく、私をこんなことに巻き込んだことを後悔しているのだろう。
「そんな顔をしないで?私、望んでこうしてるのよ」
「それでも、結局君に任せっぱなしだ。僕は何もしていない。ただ引き金を引いてきただけだ」
「それも、誰しもができることじゃないわよ」
「僕は偶然権利があるだけだ」
「選ばれたから権利があるんでしょう?」
「選ばれた」彼はそう呟いた。「なんで選ばれたんだろう?」
私は暫し考えた。何故選ばれたのだろう? 彼には特別な雰囲気がある。つまり、彼にはなんらかの殺人の才能があった。しかし、それが具体的に何を指すのかはわからなかった。抽象的な才能なんだ、と私は思った。
抽象的な才能とは、物事を構成する要素の全てに満遍なく才能を持っていることだ。しかし、それはあまりに漠然としていて、その細部は掴めないのが定石だった。
「上手く言えないけど、あなたじゃなきゃできないことなんだと思うの。強く心を持たないと、できないことよ」
彼は黙って頷いた。
「任せてすまないと思っているよ」
「今に始まったことじゃないわよ」
「だね」
私は会社に入り、受付をしている女性に話しかけた。
「ここの人とビジネスの話をしにきたんだけど、通してくれる?」
「はぁ...名前を伺ってよろしいですか?」
私は、「アイリス」と言った。
「アイリス様ですね、今上に伝えてきます」
彼女は奥に入っていった。私はその間、時計を見たり、あるいはこの前読んだ歴史の本について考えたりしていた。歴史が教えてくれること。
やがて彼女と、もう1人男性が来た。私のような怪しい人物に対して、上の人間を連れてくるというのは、少なからず私にも同じようなオーラがあるのかもしれない。
「アイリスさん、ビジネスとはなんでしょう?」
私は一呼吸置いて、言った。
「世間を偽って経営するのは大変?」
彼らの目つきが変わった。私はその目つきに宿った警戒の色と、殺意を読み取った。あれは何かしら人をそこなうことをした経験がある人の目だった。
「何者ですか?」
「あぁ、私はあなたの敵じゃない。私はあなた方みたいな反ユートピア組織に加わりたいの」
「あなた、ログ取られるのわかってるんですか?」
「ログ?」私はそう言って、私のログを開示した。
「私はログの改竄をする術を持っている」
彼らは明らかに動揺していた。私がログの改竄能力を持っていだからだろう。しかし、私はあることに気付いた。彼ら自身のログについては気にしていない。
「そういうあなたはログどうしているの?」
そういうと、彼らもログの開示をしてきた。
「私達もログの改竄をする術を持っている」
私の中で何かが揺らいだ。そんなわけがない。あれは私くらいしかできない芸当なはずだった。
「どうやって身につけたのかしら」
「与えられたのです」
「与えられた?」
「そうです」
「誰に?」
「誰かどうかは問題ではないんです。私達はとにかく、誰かから、その能力を与えられたのです」
彼は確固たる意志の反映された、物言いをした。
私が今相手にしているのは、あるいはとんでもないものなのかもしれない、と思った。しかし、それが何者なのかは想像がつかなかった。得体の知れぬ何かが裏で動いているのを、私は察知した。
私は虚空を見つめる猫のように、ただ立ちすくんでいた。
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