16.現実世界〈見た目で判断すべきではない〉12時〜

 ハリスン氏の邸宅を昨日見たせいで僕の建築物に対しての感覚は麻痺していたが、それにしてもそこは立派な家だった。あそこまで立派とは言いがたいが、どう考えても普通に会社勤めの人間が建てれるような家ではなかった。

 僕は今一度与えられた情報に書かれた住所とと現住所を照らし合わせ、間違いがないことを確認した。

 僕はインターホンを押した。すると数秒後、「はい...」と、いかにも不健康そう声で、応答があった。

「すみません、警察のものです。申請していたはずです」

 僕がそう言うと、ドアが自動で開いた。入れ、ということだろうか。

 僕は「失礼します」と言って、家に入った。

 家に入ってまず気になったのは、その暗さだった。ここでは、あらゆる外の光というのが遮断されていた。奥の方に見えるコンピュータから漏れる光だけが、唯一の明るさだった。まさか、この広い家の中全てがこうも暗いのだろうか。

「あまり顔を見られたくないんです」

 僕は驚いて、思わず振り向いた。おそらくその声は背後から発せられた。

 よく見ると、僕の背後には誰かが立っていた。あまりに暗いので、気づかなかったのだ。

「見られたくない?」

 僕は多少怯みつつも、そう尋ねた。しかし尋ねた後で、これは尋ねるべきじゃなかったかもしれない、と後悔した。

「顔にコンプレックスがあるんですよ。目は小さいし、そばかすがあるんです。唇はガサガサだし、髪はクルクルなんです」

 僕はなんと言っていいかわからず、やんわりと流した。本人だって語りたくはないだろう。

「ええと、本日はお忙しいところすみません。その、申請した書類は目を通して下さいましたか?」

「ええ、見ました。見ましたとも。つまり、ユートピアに関する統計がご覧になりたい、と」

「ええ、そうです」

「こっちです。暗いですけど、保安灯を付けますから足元くらいは見えると思います。あ、でも気をつけて下さいね」

 僕はそれを聞いて、少なからず安心した。保安灯を付けてくれることにもそうだが、彼がそんなに嫌がっている様子も見受けられなかったからだ。

 昨日のハリスン氏の様子を見ても、ユートピアに関わる人間はあまり警察のことをよく思っていないのかもしれない、と僕は思っていた。しかし、全員がそういうわけではないのだと確認することができた。

 彼は僕を奥の部屋に招待した。先程はコンピュータの光しか見えなかったが、保安灯の僅かな光のおかげで部屋のある程度が明るみになった。

 そこはコンピュータ以外は、基本的に書庫として利用されていた。今時資料は大抵タブレットかなんかに入れるので、紙の資料というのは中々珍しかった。

 彼は書庫の中からファイルを一つ取り、それを僕の方に差し出した。

「事前にファイリングしておいたんです。これは日毎のユーザーがアカウントを消した数の統計です。ただ、あなたが求めているのは〈暗殺者〉に消されたユーザーの数でしょう。次のページを見てください。そっちは、後から調べた結果違法な可能性があると判断されたユーザーです。そして三枚目。三枚目が、それらを照らし合わせたものです。それを見れば、どれだけの違法ユーザーが消されたかどうかわかるかと思います」

 彼は僕が暗闇の中から感じ取ったイメージよりもずっと仕事が早かった。人は見た目で判断すべきじゃない、とはよく言ったものだが、彼はその典型なのだろう。

 人のイメージというのは日々更新されていく。いや、日々というのは違うかもしれない。それは秒刻みで更新されていくものだ。徐々に変わっていくものではない。それはグラデーションなど無い、唐突で純粋なまでの変化なのだ。

 ファイリングされたデータによれば、不審なアカウントの消去が行われた数は、1日に一回あるかないか、程度だった。やはり、彼らは

「しかし、改めて見ると、〈暗殺者〉という組織のあり方のようなものが見えてきますね。おそらく少数精鋭でやっているのでしょう。噂だけが一人歩きして、その実〈暗殺者〉自体はごく少ない。いや、この情報を見る限りでは組織ではなく、個人でやっていることさえ疑われます。そういう情報を管理する立場にありながら、それに長い間気づかないとは」

 彼はしょぼくれた雰囲気を醸し出しながらそう言ったが、内容は的を得ていた。彼は頭が切れる、と僕は思った。

 僕は仕事において、こういった一部の人間がそれについての権限を握っている場合、その人物は無能であるケースが多いと思っていた。何故ならその人物に求められるのは、給料に見合った働きではなく、いざという時のための形式的な責任者としての立場だからだ。多大な金を受け取り、崩壊の際は率先して切り捨てられるのが、彼らの役割なのだ。

 しかしこの男は違った。彼は、そんな形式的な役割に留めておいて良い人材ではなかった。

「僕は〈暗殺者〉は極めて少ない数の人数で組織されたものという線で捜査していましたが、今回の情報でそれを確信できました。ありがとうございます」


 僕はそれからもう一度礼を言って、家を出た。帰りの新幹線までは、あと2時間程あった。僕はそこらへんにあった書店に入り、文庫本を一冊買って、それを駅の中の椅子に座り、読んだ。

 10ページほど読んで、僕は本を閉じた。どうしても、捜査のことが頭にちらついた。

 僕は一体何を追っているのだろう。いつかハリスン氏が言った。

 僕が呆然と虚空を見つめていたからか、通りゆく人が僕のことを稀有なものを見つめる目で見てきた。まるで、ツチノコを見つけた時のような目つきだった。

 電光掲示板がもうそろそろ新幹線に乗り込める時間であることを告げた。僕はホームへと上がった。

 僕の前にも何人か、新幹線の清掃が終わりドアが開くのを待つ人達がいた。これからこの新幹線は、彼らを各地へと運んでいくのだ。この鉄の塊は無責任にも、僕たちを日常へと帰す。半ば使命感で乗った客は、好もうが好むまいが、日常へと連れて行かれるのだ。

 新幹線のドアが開いた。僕を含め、多くの人間がそれに乗り込んだ。

 車窓から見えるプラットホームは、酷く閑散としたように感じた。希望を何処かへ置き忘れてしまった人々の魂が、渦巻いてるように見えた。

 新幹線は発車すると、すぐにその最高スピードへと達した。景色は高速で流れていった。静かに、しかし確実に。

 僕は先程買った文庫本を開いて、それを読んだ。眠気に襲われ倒錯する感覚の中で、僕はいろいろなことを考えた。その中には、僕の現状を打破する鍵のようなものもチラついていた。しかし、その感覚は混沌としていて、細部が掴めなかった。

 だが、その鍵が何なのか、僕には少しだけ分かったような気がした。あるいは、理解なんて必要ないのかもしれない。僕は遠くない未来で、そこにたどり着けるような気がした。それが僕の因果なのだ、と。

 本を閉じて、僕は本格的に眠った。

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