13.電脳世界〈罪と罰〉21時〜

 僕と彼女は約束をしなくても会うのが習慣となりつつあった。

 それは僕たちの関係を強固なものとしているのは危険な仕事であることを実感させた。僕らは、殺しによってのみ繋がっていられるのだ。

 僕らはとりあえずホテルのロビーで会うことが習わしとなっていた。

 習慣になる、というのは状況的に良くない。というのも、習慣、つまり固定された行動規範というのは人の独創性を殺すからだ。僕らはその都度自分の考えで動かなければならない。僕らは日々変革をし続ける必要があるのだ。

 僕は計画的に行動する癖を付けるために、明日からはちゃんと集合場所を決めよう、と提案した。彼女もそれについては同意した。

「じゃあ明日から毎回ターミナルに集合しましょうか?」

「いや」と僕は言った。「場所はその都度変えよう。誰かから追われているとは思わないけど、場所はばらつかせた方がいい。そもそもログイン場所は統計を取られてしまうし」

 僕がそういうと、彼女は納得したようだった。小さく「そうね」と言った。小鳥が囀るように、そう言った。

「ところで君は、人のログの転送時間を覗くことはできる?」

 僕がそう尋ねると、彼女はキョトンとしながらも答えた。

「えぇ、できると思うけれど」

 僕は考えを巡らせた。例えば、彼女がその能力を使って相手のログの転送時間を見極めれば、上手くログが転送される前に情報を吐き出させることができるかもしれない。僕らは今まで誰かに尋ねる、ということを避けてきた。

 しかし、電脳世界でのことを尋ねるなら、その道の人間に尋ねるのが1番なはずだ。

「君はターゲットのログの転送時間を読み取る。それを僕に伝える。僕はそれ受け取ったら、転送される前に脅して情報を吐き出させる。吐き出したら撃つ」

 脅す、という自分の言葉に、僕は少なからず驚いた。僕はいつの間に、そのようなことをできる人間になってしまったのだろう?

 いや、最初から僕はこうだったのかもしれない。功利主義、と僕は心の中で唱えた。功利主義に基づいて生きるというのは、つまりはそういうことではなかったか。僕はただ忘れてしまっていたのだ。己の心に飼い慣らす、獣を。

 今日のターゲットは女だった。彼女はそれを聞いて、絵に描いたようにがっかりしていた。

 しかし、彼女の美しさはアンドロジナス的なところがある。なので、どちらにせよ彼女が誘う役割になるのだ。

 僕は彼女を励ます意味で、尋ねた。

「君の美しさがユニセックスであるかどうか試すチャンスじゃないか。違う?」

 彼女はムム...と考えた後、「それもそうね」と言った。よかった、これで安心だ。この状態を取り戻せば、彼女は男だろうが女だろうが悪魔だろうが、どんなものも魅了して見せるはずだ。

 彼女は今日、オリーブ色のセーターに、タイトな黒のパンツを身につけていた。男ではなく、女を誘うための策略なのかもしれない、と僕は思った。

 オリーブ色は本来地味なイメージを与えがちだが、彼女がそれを身につけると、とても瑞々しいもののように見えた。タイトなパンツは、彼女のスラっとした長い足を目立たせ、美しさをより完全なものにしていた。

「ところで、ターゲットの情報は?まだ女としか聞いていないけど」

 僕は改めて、送られた情報を開いた。僕はそこに書いてある、所在地など、諸々の情報を上から順に伝えた。

「それから」と僕は言った。「それから、ターゲットはレズビアンの気質があるみたいだ。これは都合が良い。男を誘うのと大差ない」

「その子の写真は?」

 僕は写真を送った。その子はわりに幼い顔立ちだったが、それは整った幼さだった。思春期特有の変化に汚されたようなものは感じられなかった。そこには、純粋な幼さ故の美しさがあった。それはまるで、ウィリアム・アドルフ・ブグローの「少女」を、そのまま少しばかり成長させたようなイメージだった。

 彼女はそれの美術的な価値を測るように、眺めていた。

 彼女は、「綺麗な子」と言った。

「私もレズビアンな気質が少しあるけど、こういう子好きよ」

 僕はそれを聞いて、複雑な気持ちになった。僕らはこれから、その子を殺すために接近するのだから。

「ねぇ、僕らは今からその子を殺しに行く。君の決意が揺らぐようなら、今日のところは僕1人でやるよ。なにしろ、今日は脅して情報を得る、ということもするつもりだった。それは先送りにして、今日のところは殺すだけという選択肢だって取れる」

 僕がそういうと、彼女はため息をついて言った。やれやれ、といった感じで。

「あのね、私だって生半可な気持ちでこの仕事を手伝っているわけじゃない。私はターゲットに恋愛的な感情を抱いたりはしないわよ」

「それに」と彼女が言った。「それに、今はとりあえずあなたの事しか見ていないのよ。これってほんとよ」

 彼女は、馬鹿にしないでよ、といった感じでそう言った。彼女はそれなりに覚悟を持って仕事に挑んでいたらしかった。

 考えてみれば当たり前のことだった。僕らがやっていることは、ある種のテロなのだ。それがたとえ組織に認められたものであったとしても。


 ターゲットはホテルに泊まっていた。それもまず問題だが、もう一つ見逃せない問題があった。ターゲットは、友人と2人で泊まっていたのだ。

 僕は職業上の権限として、それがいちじるしく任務に支障をきたす場合に限り、関係ない人間を処理してもいいことになっていた。今回はそれに該当されるはずだ。

 しかし、僕の善良な心がそれを許さなかった。功利主義を掲げていたとしても、僕は道徳的に道を踏み外さないことを功利主義の前提として掲げていたのだ。それはいつか僕が彼女に向かって話したことではないか。

 僕らはそのことを追加情報で知った後、随分悩まされた。

「さて、どうしようか?関係ない人を僕は殺したくない。それじゃあまるで-」

「罪と罰のよう?」

「それだ」と僕は言った。

 本来するはずのない第二の殺人による罪の意識。僕はそれに耐え切れる自信がなかった。

 ならどうすべきか、と僕は考えた。どうにかして、その友人を外に出さなくてはならない。

「芝居をするしかないわね」と彼女が言った。

「君が?」

「まさか」と彼女が言った。「あなたがよ」


「まず、あなたは私に銃を預ける。あなたがノックをする。すると、ターゲットかその友人どちらかが出てくる。ターゲットがでたら..ええと、その友人の名前なんといったかしら?」

「ハンク」

「そう、そのハンクさんに用があるのですが..と言って、外に出させる。私がその間にターゲットを撃つ。あなたはハンクさんと一緒にいたから、アリバイがある。どう?」

「ここは公式のホテルだけど、監視カメラに映ったことに関して、組織が操作できるのは僕が映り込んでいた場合だけだ。そうプログラムされているらしいから」

「あなた、私を誰だと思っているの?」

 彼女は僕に、ただのホテルの部屋の前のムービーを見せた。

「これを、私が部屋に入り込んでいる間だけ、上手く監視カメラに差し込む。これなら、あなたが友人を誘ったから、戻るまでの空白の時間に殺されたという状況が出来上がる。完全な密室なわけよ」

 彼女の立てた計画は完璧だった。何故彼女はこんなにも冷静なのだろう?

 一瞬、彼女は僕の銃が目当てなのではないか、という疑惑が頭をよぎった。何故なら、彼女は警察署の事務の女の子なのだ。僕から銃を奪うことが目的でも、おかしくはない。

 しかし、それも低い可能性の話ではあった。彼女は随分僕に協力をしていた。仮にそれが捜査だとしても、許されるべきことではない。彼女はなのだから。

 僕は銃に電源を入れ、それを彼女に渡した。

「狙う、引き金を引く、それだけ」

「簡単なのね」

「簡単だからこそ、注意しなきゃいけない。簡単に命を奪ってしまうんだ、武器は」

「それは忠告?」

「経験則」と僕は言った。


 彼女を廊下の曲がり角に隠し、僕は部屋の目の前に立った。

 僕は深呼吸をして、それからノックをした。三回の、正式なやつだ。

 ターゲットが応答した。僕は怪しまれないよう微笑みを浮かべながら、言った。

「ハンクさんに用があるのですが、そちらにいらっしゃいますか?」

「え?あぁ、いますよ」

 彼女は奥から、友人の方を連れてきた。

「僕に用?なんですか?」

「すみません、こちらでは話しにくいので、私についてきていただけませんか?」

「はぁ....」と彼は渋々僕についてきた。僕と彼がが部屋から遠ざかると、入れ違いで彼女が部屋へと入った。

 僕は彼女が作業をしている間、適当な話をこしらえた。借金がどうだとか、不良債権がどうだか、とかそんな話を。

 しかし、その話もいつまで続けられるかわからない。というより、もうそれは限界に近かかった。僕は金融業に携わったことなどないのだ。

 時間的には、彼女はもう仕事を終えていておかしくはない。

「あの、もうそろそろいいですよね?」

 彼はあからさまに僕の話を嫌がっていた。限界だ。それに、もう開放しても大丈夫なはずだ。

「ええ、もう大丈夫です。ありがとうございました」

「僕は部屋に戻ります」

「送りますよ」

 僕がそういうと、彼は眉をひそめたが、別段不思議にも思わなかったのか、そのまま部屋へと戻った。

 シナリオ通りなら、彼がドアを開けると、部屋からはもうターゲットは消えている。監視カメラには何も写っていない。

 しかし、彼がドアを開けると、その奥にはまだ彼女とターゲットがいた。それは疑いようもない事実だった。

 よく見ると、彼女は一生懸命銃の引き金を何回も引いていた。しかし、銃口からは何も発射されていない。

 彼女が僕の方を向いて、「銃弾が出ないのよ」と震えた声で言った。

「今はこの部屋の空間を歪めた。内側からは開けられない。ログアウトもできない。監視カメラも、あなたが部屋に行き呼び出すところから、全て上書きし直した」

 彼女はこの状況でも、全ての証拠を隠滅していた。

 彼女は僕に銃を渡した。

「ターゲットを殺して」

 僕は頷いて、引き金を引いた。ターゲットは砂のように消えてしまった。

 後ろでは、その様子を放心状態で友人が見ていた。

「あなた、わかっているわよね?この人はもう生かしておかない。殺さなきゃいけない」

 彼女の言葉が僕の中で、鉛のように重々しく響いた。

 彼女はそのために監視カメラを上書きし直したのだ。

 例え彼女が部屋に入るところが映っていなくても、僕たちが戻った後に友人の方が消えれば、疑われるのは僕だからだ。彼を殺すには、僕たちが接近した事実ごと消さなければならなかった。それをただちに彼女は判断したのだ。

 僕たちのアリバイは、もはや崩れた。いや、この男を処理しなければ、崩れてしまう。

「やるしかないのか...」

 僕は銃口を向けた。彼は怯えた顔をしていた。

 引き金を引いた。部屋には、僕たちだけが残った。

 僕の手は、今度こそ本当に血で汚れてしまった。結果本当に僕は、「罪と罰」のようになってしまった。

「仕方なかったのよ」

 彼女がそう言った。

「あなたしかその銃を扱えないなんて、私たちは知らなかったんだもの」

 彼女は落ち着き払った言動とは裏腹に、震えていた。

「なぁ、どうして空間を歪めたり、監視カメラを丸ごと上書きできたのに、最初から使わなかったんだ?それを使ってれば、最初から危険を犯さなくてもよかったのに」

「ここまで大掛かりな偽装行為はとても危険なの。ここまでのプログラムを組むと、もしかしたら公安に捕捉されるかもしれない。今回は、おそらく大丈夫だと思うけど、何回もできることじゃない」

 やれやれ、と僕は思った。この結果は、どうやっても避けれなかったのだ。

「ごめん、疲れた。明日は、ターミナルに待ち合わせよう」

「ええ、さようなら」

 今日の収穫。僕にしかこの銃は扱えない。手を汚すのは、僕だけ。

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