7.電脳世界〈荒んだ時代が産んだモノ〉21時〜

 ディックは、予定の時間通り来た。律儀な男なのだ。僕も時間に関してはルーズでいたくない性格なので、そういった部分が彼との仲をより強固なものとしているのかもしれない。思えば僕と彼はよく似た部分が多いのだ。性格、境遇、そんなところがだ。

 彼もまた、警察をしていた。僕と彼は仕事については干渉しないことをルールとしていたのであまり深くは知らないが、とにかく警察だということは知っていた。

 僕と彼はモノレールに乗った。モノレールは騒がしい乗客を静かに運んだ。ディックは、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読んでいた。ディックがディックの小説を読むというのは、なんだか不思議な感覚だったが、そもそもディックの作品が好きでその名前にしたのだから、何も不思議なことは無い。

 僕はというと、スコット・フィッツジェラルドの「グレートギャツビー」を読んでいた。グレートギャツビーという小説は書かれたからもう何年も経っていて、古典という単語がいよいよ相応しくなりつつある。しかし、それにしてもその文章の美しさというのは時間の摩擦に耐え、決して衰えていなかった。フィッツジェラルドの晩年は酒に溺れ、輝いた人生とは言えなかった。しかし、後世のアメリカ文学に残した影響は、多大なものだったはずだ。「ユリシーズ」にせよ、「失われた時を求めて」にせよ、「グレートギャツビー」にせよ、今でも読まれる名作というのはやはり、それ相応の力を持っているものなのだ。

 今日の会合に何か意味があると言われると、そうではなかった。僕たちは普段何事にも意味を持たせることが多かった。つまり、意味のない行為はしないという信念のもと関係を保つことが多かった。しかし、今日は違った。僕達は今日意味もなく会い、あてもなくモノレールに乗った。

 僕はあてのない旅というものに憧れがあった。それと、モノレールじゃなく電車の旅だ。財布と紙とペンだけを持って。その電車は未知の世界に迷い込むのだ。僕はそれを綴りたい。

「こんな風に、予定もないのに会うのは初めてだな」

 ディックが言った。

「たまにはいいかなって思うんだよ。僕達も大人になったってことなのかもしれない」

「そうだな。大人になると意味のないことが増える。いや、というよりは意味のないことにやっと気づくって感じなのかな。とにかく、仕事もなにもかも意味ないような気がするんだよ。物事はもっと単純に動くべきなんだと思うんだ。単純なものを複雑化することで、その過程を請け負う仕事が生まれて今の社会というのは成り立っているんだ。つまり、集合的無意味が今の社会なんだ」

 僕は、「まるでフロイトみたいだ」と言った。「いやユングだったかな?」

「そう、集合的無意識はユングだ。ユングの集合的無意識。ディックの集合的無意味。どうかな?」

「素晴らしいね。あらゆるものの単純化。無駄な排斥。アナーキズムとも取れるかもしれない」

「でもアナーキズムという言葉には、破壊的に、暴力的に、という意味が暗に含まれている。そういう意味では俺はアナーキストじゃないよ。俺はあくまで緩やかな改革を望む善良な羊だからね」

「皮を剥ぎ取ったら狼だろう?」

「そんなんじゃあないさ」と彼が言った。「狼だったら俺はアナーキストだよ。羊の皮をかぶった、山羊ってところかな」

「羊と山羊のなにが違う?」

「さあ?」


 僕達は流石に運賃が危ういということで、下りることにした。僕はそこそこに稼いでいたので(なぜなら僕はブレードガンナーなのだから)もう少し乗っていても良かったが、彼はそうじゃない。彼は所謂シューティングが得意で、それをこの世界における職業にしていた。現実世界のサバゲーというようなものだ。しかし、僕のようなアウトローに生きる人間よりは収入が低いはずである。

「今日は特に何かしたいわけじゃないんだ。だから、車窓から機械的な景観を眺めながら君と話せるモノレールに乗っていたわけだからさ。まぁ、話せるところならなんでもいいんだ。この世界は味覚までは操らないから、カフェってのがないのが盲点かもな。なぁ、談話スペースに行こう。そこなら話せる。アナーキズムとか、ディストピア文学とか、昨今の犯罪心理学についてとか、なんでもね」

 彼は僕を全体的にメランコリックを基調とした談話スペースに招待した。その談話スペースに着くと、僕の脳裏(正確には電脳世界にいる間は機械に侵されているので、僕の脳裏という表現が正しいかはわからない)を、何かがかすめた。

 

 そうか、ここはあの時僕が処理した女が根白にしていた談話スペースなのだ。何かの因果か、ディックはここに僕を招待したのだ。

「ここにきたことがあるのかい?」

 僕の様子を見てそう読み取ったのか、ディックが尋ねてきた。

「まぁ、仕事で話をしたんだ」

 嘘ではない。本当でもないが。

「仕事?まぁ、そういうこともあるか。でも今日は仕事の話はよそう。どちらかというと、仕事に役に立つかもしれない話について話そう」

「また得意のドイツ観念論について?」

「それもいいけど、今日は孫子について話したいなって思っていたんだよ」

「諸子百家の?」

「そう、諸子百家の」と彼が言った。「孫子ってのはね、実に素晴らしいものなんだよ。なんたって偉大なるビジネスマンはこぞってこいつを読んでる」

「素晴らしいのは知ってる。春秋戦国時代の本が未だに読まれるなんて、それなりの価値がなきゃなし得ないからね。ただ、どう言った具合に素晴らしいかは知らない」

「孫子はさ、戦略論だけどこの本で、いかに戦わずして勝つかを説いているんだ。乱世にそんなことを説くんだから、並の人間じゃないよ」

「なるほどね」と僕は言った。「でも戦争から遠ざかったこの国でも、未だに読まれるのはどうしてだろう?」

 ディックがニヤリと笑った。それを聞くのを待っていたんだ、とでも言うように。

「そこだよ。孫子の凄いところはね、これが戦争だけじゃなく実生活にだって十分役立つことが書かれているんだ。例えば、自分より強い相手とは戦うな、とかね」

「それが今の人にも役に立っている?」

「まさしく」と彼は言った。「乱世は人の心を乾かせたんだ。心が乾いた人間は往々にして素晴らしい著書を残すものなんだ。それこそフィッツジェラルドだってそうだろう?」

 確かに、と僕は思った。素晴らしいものを書いた人間は大抵心が乾いていて、ろくな死に方をしていない。芥川もそうだし、太宰もそうだし、三島由紀夫も、川端康成もそうだ。素晴らしい作家は、みんな何かに悩み自殺している。

「荒んだ時代が産んだ、輝かしい功績」と僕は呟いた。

「その通りだよ、オーウェル」ディックは満面の笑みで言った。

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