6.現実世界〈偽物〉8時〜

 今日、僕はいつもより早く署に来ていた。僕は今日、したいことがあった。それはつまり、電脳世界というものについて調べることなのだが、それをするにはどうにも時間がかかりそうなので、いつもより早く来たわけである。

 僕はパトカーに乗り込むと、ハンドルの横にあるボタンを押してホログラムを纏った。ホログラムを纏ったパトカーは、何をどう見ても普通のスポーツカーだった。女の子を食事にだって誘えるし、カーセックスも出来る。

 僕は今日、電脳世界の創設者である、ハリスン氏に会う予定だった。警察で、電脳世界でのことを捜査していると言えばすぐにアポが取れた。


 目的地はかなり遠く、車でもかなりの時間がかかった。距離的にはもちろん遠いし、目的地は山の上にあるので、それを登るのもまた骨が折れた。

 山を登る途中、街を見下ろせる地点があった。街は小さく、まるでジオラマのようだった。その中に人間がいて、一人一人生活送っているというのはとても奇妙な感覚だった。

 動物もチラホラといた。何度も車の前を通り過ぎるので、その度に僕は肝を冷やした。どうして動物はこうも車の前に飛び出すのだろう。しかし、身を投げるという意味では今の人間も同じなのかもしれない。死の形に自殺というのが当たり前のように存在するようになったのは、一体いつからなのだろう。

 僕は一度目の前で電車に身を投げる少女を見たことがあるが、その時はあまりの呆気なさに僕は呆然としたのだった。その瞬間一つの命が目の前で終わったのに、僕の心はそこまで動かなかった。それは、自殺というのが当たり前のように僕たちの生活になじみ始めているからなのかもしれない。

 そんなことを考えていると、やがて目的地に着いた。門は閉まっているが、その隣にカメラがあるのを僕は確認した。僕がそちらを見ると、すぐに門は開いた。

 車で入ってもいいものか迷ったが、駐車場が中にあったので、僕は車のまま入った。

 とてつもなく大きい邸宅を尻目に、僕は車を止めた。そこに止めてある車は、僕のような人間でも当たり前のように知っている高級車ばかりだった。もちろん、ホログラムじゃない。

 車を降りると、自然から放たれる緑の生命の匂いがした。電脳世界でもこの感覚は再現できないし、現実でも都市生活を送っていればこんな自然には触れることができない。僕は目一杯その見えざるエネルギーを吸って、僕の中にある淀んだものを吐いた。きっとマイナスイオンとやらがなんとかしてくれるはずである。

 やがて使用人のような者が迎えに来た。先程カメラに写っていたので、あちらも気づいたのだろう。その使用人はいかにも几帳面そうで、仕事のみが生きがいであるような男のように見えた。身に付けた手袋からは、この世界で何年も仕事をしているという自信が溢れ、太陽の光を反射する眼鏡からは僕という人間を品定めする慎重さが伺えた。

「警察の方ですね。どうぞ、主人がお待ちです」

「どうもすみません」

 僕はそう言って、彼に着いていった。彼の足取りはやはり自信に満ち溢れていた。主人ではなくとも、ここは私のテリトリーなのだとでも言うように。

 建物の中に入ると、内装はいよいよ金持ちのそれだった。しかしそれは何もかもが煌びやか、というわけではない。部屋の内装はどちらかというと、機械的なものだった。しかし、エレガントさというものもまた失わないように、機械的なデザインと西洋のデザインの折衷といった感じだった。

「素敵なデザインです。全てがだ。今は内装をホロで繕うことが多いですが、これは全て実体がある。僕はここまで手の込んだ内装を今まで見たことがありません」

 僕がそういうと、使用人の男は微笑んで言った。

「ホロはあまり好まない方なのです。何しろユートピアというホロの究極系のようなものを作ったものですから、せめて残りの人生は本物に捧げたいだとか」

「尊敬します」

 僕は本気でそう思った。本物かどうかというのはとても大事なことなのだ。今の時代は、偽物が多すぎる。それはモノにせよ、言葉にせよ、心にせよだ。

 僕はポケットに入れた銃を、その上から触った。こいつは本物だ。

「それではこちらの応接室でお待ち下さい。ハリスン様は今森で鳥を撃っているのです」

 僕はあまりに典型的な金持ちの趣味だなと思った。思うに鳥を撃つようになることは、セレブの称号を受けたことに等しいのではないか。

 30分ほどすると、紺色のスーツを着た男が応接室に入ってきた。その男は見かけから歳をとっていることがわかったが、胸の筋肉はしっかりとしていたし、背筋はシャンとしていた。僕は、この人がハリスン氏だなと思った。

「本日はありがとうございます、ハリスン氏。連絡した時に申しましたが、僕は警察です。ユートピアにおいて今暗殺が行われているのはご存知ですか?僕はそれについて調べています」

「知っているよ、なにしろ僕はユートピアを作ったんだ。そのくらいの情報はもちろんきているし、対策も考えていたところなんだ。僕としても警察と話ができる機会ができてよかった」

「そう言ってもらえて僕としても話が始めやすいです。それでは、率直に聞きます。暗殺者は何故ユートピア前から居たにも関わらず問題が解決されていないのでしょうか?暗殺者はおそらくそんなに沢山いるわけではありません。ここまで足跡が無いと、何かカラクリがあるのではないかと疑ってしまいます。もちろんユーザーを殺す方法こそカラクリですが、それ以外のカラクリが何かあるのではないかというのが、僕の考えです」

「つまり、ユートピア製作段階で運営によって何かプログラミングされた存在なのではないかと君は疑っているのかな?」

「お見通しですか」

「目を見ればわかる」

 彼はそう言って、親指のくびれた部分を摘んだ。それが彼の癖らしかった。

「しかし、それは僕からはなんとも言えない。なにしろ、僕はユートピア創設者として多額の金を稼いだが、実際はただユートピアの土台を、つまりは0から1にする作業をしただけで、それ以外はほとんど別の企業に委託したんだ。何か特別なことを施されたのが君たちの言う"暗殺者"なら、僕はその段階では関与していないから知り得ないんだ」

「その企業とはどこですか?公式では発表されてない情報のようですが」

「それを言うことはできない」

 それは確固たる物言いだった。意志という物の上に、さらに何個もの意志を積み重ねたような。

 彼からそれ以上の情報を聞き出すことは無理なようにも思えた。しかし、ここまで来た手前もう帰るというのはあまりにも徒労ではないか。

「君について少し調べたんだ」

 彼は机に置いてあった書類を持ってそう言った。

「君はユートピアを施行した年に生まれたんだね。両親は二人とも事故で亡くしている。その他にも住所、経歴、いろいろなことを調べた。悪くは思わないで欲しいんだ。君という人間をここに招き入れるためには、信頼が必要だからね。例えば君が過激派とかだったら、入れるわけにはいかないだろう?」

「わかります。大丈夫です」

 僕は自分の身元を知られたって、別に平気だった。相手にはユートピアについてのことを話して欲しいと言っているのに、僕のことは秘密です、なんていうのは通用しない。両親が死んでいることも、僕は割り切っているのだ。

 僕の両親は、僕の記憶の限り仲の良い夫婦だった。もちろん僕のことも愛してくれた。事故は夫婦水入らずでドライブに出かけた時の出来事だった。僕は当時祖母に預けられていて、助かったのだった。

 僕たちはしばし沈黙を味わった。時間が空気に溶解するのを感じた。失われた時間が、溶けているのだ。それはハリスン氏の失った時間だった。事実、ハリスン氏はユートピアの制作に多大な時間をかけ、それと引き換えに膨大な金を手に入れたのだ。しかし、今となってはその金も、鳥を撃つ銃を買うくらいにしか使い道がないのではないか。それが、"失われた時間"と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。僕はそう思うと、彼が哀れに感じた。

 やがて沈黙に耐えきれなかったのか、ハリスン氏が口を開いた。

「君はホロをよく使うか?」

「ホロ?」

「つまり、ホログラムのことだよ」

「ホログラムはよく使います。とくに、パトカーを偽装するためによく使いますね。時に警察という立場は捜査において邪魔なんですよ」

「ホロについてどう思う?」

「ホロについてですか?便利だとは思いますが、実際それを人類は発明すべきだったかと聞かれるなら、ノーと答えると思いますね。実際、今は偽物が多すぎます。家はほとんど内装ホロですし」

「本物かどうかは大事だと思うかな?」

「大事でしょう」

「私が、君たちに問いたいのはその"本物"だ。もしかたら、本物なんて無いのかもしれない。君たちが追いかけてるのは、あるいは実体のないなのかもしれないということだよ」

 僕がそれに対して口を開こうとすると、「もしもの話だ」と彼が言った。

 しかし、僕にはそれがただ「もしも」の話をしただけのようには思えなかった。僕が追っかけているものには、がない。そのとおりなのかもしれない。


 帰る時、空はもう薄くオレンジ色に染まっていた。僕はそんな空を見ていると、何億年も前の人間も同じような空を見ていたのかな、などと考えた。それとも、そんな昔にはもっと空は澄んでいただろうか。もしかしたら、白く小さく見える月は、今よりも大きかったかもしれない。結局のところ、僕がそれについて推量したところで、わかりはしないのだ。しかし、今よりも美しかったのだろうとは思う。

 僕は車のボンネットに座り、しばし空を眺めていた。尻にエンジンの振動を感じた。エンジンもまた、生きているのだ。ここの世界ではあらゆるものが生きていて、あらゆるものが死んでいく。その流れは止められない。それは僕らがナイル川の流れを止められないのと同じことなのだ。

 僕はボンネットから降りて、車に乗り込んだ。また来た時と同じように帰るのには辟易した。

 僕は車の中で音楽を聴いた。300年は昔のロックバンドだ。そのミュージシャン(僕は彼の名前は知らない。あるいはだれも知らないのかもしれない)は、愛とか平和について歌っていた。おそらく、第二次世界大戦が終わった後の歌なのだろう。もしかしたら、ベトナム戦争かもしれない。結局のところ、ベトナム戦争も朝鮮戦争も構造を見れば世界大戦と呼んでも良い気がするが、大戦という言葉には何か明確な定義でもあるのだろうか。僕にはわからない。

 僕にはわからないことがたくさんあるのだ、改めて思った。なぜなら僕は、何故こんなことを捜査しているのかすらわかっていないのだから。

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