4.現実世界〈武器としての僕〉12時〜

 僕は今日も、事務の女の子の入れるコーヒーを飲んだ。やはり彼女のコーヒーはとても美味しかった。僕の彼女への好意がそうさせているのかもしれないとも思ったが、僕は自分の感情に対してひどく鈍感だ。僕は彼女をどう思っているのだろう?

 彼女が女性としてとても魅力的なのはわかっている。美人で、笑顔が素敵で、入れるコーヒーが美味い。

 1時過ぎになって、僕らは上司に集められた。すると、僕らは目隠しと耳栓をさせられて、どこかに連れられた。途中何度か乗り物を変えられた。おそらく、車で行けるところなのか、それとも飛行機が必要なのか、あるいは船かを想像させないためなのだろうと思った。もしかしたら2度目に乗り換えた車は、距離的な感覚を麻痺させるため、一度来た道を引き返したかもしれない。とにかく、着いた先がどこなのかは、まったく見当がつかなかった。

 目隠しをされていても微かに感じる光の粒子から、周囲の大方の状況はわかる。恐ろしく静かで、冷たく、暗い場所だ。目隠しを取ると、隣にミイラやクリスタルスカルがあった、などということになっても不思議じゃない。

 3度目に乗り換えた車を降りた。何時間経ったかはわからない。時間の感覚が著しく僕の中から欠如していた。

 やがて、耳栓を外された。

「もう外していい」

 男の声が聞こえた。僕たちは目隠しを外した。

 連れられた先は、巨大な武器庫だった。そこにあったのは、この国が本来持ってはいけないくらいの装備だった。持ってはいけないと判断したのは、それは自衛のための武器ではなく、積極的に人を殺すための武器だったからだ。中には、スペツナズが使用していたモデルのAKもあった。

 つまり、この武器が隠された場所を明かすわけにはいかなかったから、あそこまで周りくどいやり方でここまで連れてきたわけだ。

「君たちにはこれらを身につけてもらう」

 全身を黒で固めた男がそう言った。

「なぜこんなにも厳重な装備が必要なのでしょう?」

 僕は素直に疑問を口にした。僕たちの捜査に、ここまでの武器は必要ないはずだ。なにしろ、ただの電脳世界での犯罪者を執行するだけなのだから。銃撃戦になることはないような気がする。

「そもそも暗殺によって完全に存在を消すことなど可能だろうか、と我々は考えた。そして、かなり大きな組織がバックにあると我々は結論づけた。ならば銃撃戦も想定される。敵がアサルトライフルを撃ちまくるのに、こちらはピストルなんてお粗末な話だろう?」

 僕は背筋を凍らせた。撃ち合いだって?そんなのは電脳世界で十分だ。

 しかし、今僕たちに武器を持たせようとしている人間は真剣な顔だった。

 黒づくめの男が、僕に銃を渡した。実際の銃はとても重かった。これから先にある、死の重さだ。やはり人間はこんなものを生み出すべきではなかったのだと、つくづく思った。僕は思うに、人間は銃を持ち出してから狂い出したのではないか。

「捜査の際には、基本的にベレッタを使え。だが、犯人が潜むところに乗り込む際はこの小銃を持っていくんだ」

 彼は僕らにベレッタと、そのホルダーを渡した。そして、そのほかの自動小銃と弾薬が入ったケースを車に詰め込ませた。

 僕らに選択の余地はなかった。


 僕たちは来た時と同様に目隠しをして、それから耳栓をした。今思ったことだが、移動中身体の浮遊感は感じなかったので、飛行機は乗ってないのかもしれない。

 署に着く頃には6時になっていた。車を降りると、外は肌寒かった。冷気が体を這っていくのを感じた。1時にここをでたので、片道2時間ちょっとの移動時間だったということになる。

 このまま帰っても良かったが、事務の女の子に一度会いたいと思った。何故だかはわからない。きっと、寒さのせいだろう。寒さが僕に女の子の温もりを求めさせているのだ。

 署にはまだ事務の女の子が残っていた。

「武器を持たされたんですか?」

 彼女が訪ねた。

「そうだよ」と僕は答えた。

「私、武器は嫌い」

「好きな人なんていないさ」

「いいえ、いるんですよ。じゃなきゃ世の中にこんなに武器は溢れないもの」

「でも」と彼女は言った。「でも、武器が必要なのね」

 僕はそれに対してなにも答えなかった。僕は、軽々しく意見するべきじゃないのだと思った。彼女の武器に対する観念は、何かしらの過去の出来事によるものだと言うことが感じ取られたからだ。

「昔、私の祖父は警察だったらしいんです。でも捜査の時に犯人に撃たれて殉職しました。その頃はドローンに対しての安全性に疑問が抱かれていて、まだ人が操作することも少なかった時代です。もう少しで定年という時に起こった事件でした。犯人は、自称革命家でした。当時はドローンやユートピアが施行されて少ししか経っていなかったから、そういう左寄りの考え方をする人がざらにいたそうです。また、武器がそんなに出回っているとを警察は知らなかったんです。つまり、革命家に対しての危機感が薄れていたのと、警察が武器の輸入を捕捉していなかったから起こった事件でした。私は、この話を聞いて武器を憎むようになったんです。武器が一体なにをもたらすのかしら?ねえ、人をそこなうだけじゃない、あんなもの」

 僕は黙ってその話を聞いていた。彼女になんて言っていいかわからなかった。

「わかるよ、でもどうやら武器が必要らしいんだ。まいったことにさ」

「ええ、だから仕方がない。ねぇ、その武器を正しく利用すると誓ってくれますか?」

「誓うよ」

 彼女は、満足そうに笑った。

「じゃああなたの心を担保に、私に預けてください」

 彼女はそう言って人差し指を僕の口元に当てた。


 それから僕たちは、彼女の家に行った。彼女はそれなりにオシャレな格好に着替えた。僕らは、これから食事をすることにしたのだった。僕はスーツのままだったが、スーツなら問題ないだろう。

「いいフレンチの店を知ってるんだ」

「良いワインもありますか?」

「あるよ。ねぇ、個人的に会う時は敬語はよそう」

「わかった。ねぇ、私ワインって好きだけど、甘いワインが好きなのよ」

「へえ?」

「上質なワインに甘いのってあるのかしら?」

「貴腐ワインってのがあるよ」

「それはその店にある?」

「あるよ」

 彼女は「素敵」と言った。

 僕としては、ワインは辛口に限るし、甘いワインを飲むならぶどうジュースを飲めばいいという考えだったが、ここは彼女に合わせることにした。酒についての自分の考え程度をを譲れない人間になんの価値があるというのか。

 僕らはタクシーに乗り込んで、その店へと向かった。その店はホテルの最上階にあり、ドレスコードを突破しなければいけない。彼女も僕もそれについては問題なさそうだったので、僕はホテルのエレベーターのボタンを押した。

「こういう店に行くのって久しぶりだから緊張しちゃうな」

「大丈夫だよ。みんなきちんとした服を着ていて、ピアノがあって、それからみんなが将来有望そうな表情の仮面をかぶっているだけだよ。内面的なものなんて、その辺の居酒屋と対して変わらないんだ」

 彼女は「そうね」と言った。少なくとも見かけ上は、緊張はほぐれたようだった。

 そこに入るとまず、暗めの照明が目に入った。わざとらしいくらいに、ムードのある店だった。前に来た時はこんな雰囲気だっただろうか。あるいは彼女といることが、僕の目にそう映させているのかもしれない。

 彼女は、まるで勤勉な女学生といった感じでメニューを見ていた。あるいは、メニューにある金額を念力で数字を書き換えようとしているようにも見えた。

「そんなに睨んでも安くはならないよ」

 僕がそういうと、彼女は頬を赤らめた。

「わかっているけど、こんなに高いもの普段食べないから...」

「今日は僕が全部払うから好きなだけ食べなよ」

 そう言っても彼女は遠慮していたが、僕が奢るという確固たる意思を示すと、彼女は諦めたようだった。

 僕たちはとりあえず適当なコースの料理を選んだ。こういうのは、よほど知識が無い限りあまり自分で選ばないのに限る。選ぶのは貴腐ワインだけ。

 しばらくすると、彼女が声を上げた。

 どうしたのかとど思い彼女の方を見ると、そこには小さな虫が一匹いた。こんなところに虫が出るなんて珍しいなと思った。そして同時に、その虫が僕達の元に現れてくれてよかったと思った。金を持つ人間は、こういうことに対して面倒くさいやつが多いのだ。

「虫だね、苦手なの?」

 僕が聞くと、彼女は震えた声で答えた。

「私はあらゆるものの中で虫が一番嫌いなの。争い事も嫌いだけど、正直虫に触るくらいだったら共産主義を掲げてマルキシズム万歳とか言いながら、大嫌いな武器を持って資本家の豪邸に突撃した方がマシよ」

 そんなふうに話していると、ワインと料理が届いた。ワインに疎い僕でも知っている産地だった。ボルドー、と書かれていた。

 料理は魚がベースだった。白ワインには魚とよくいうので、つまりそういうことなのだろう。

 思うに日本食と洋食の大きな違いはソースではないだろうか。日本はだいたい醤油で済ます(これには多少の語弊があるかもしれないが、事実醤油で済ますことは多いはずだ)が、洋食は料理のよっていちいちソースを変える。日本食は醤油という絶対的で安定的な、完全なるソースがあるという利点があり、洋食にはその料理にソースを合わせるという繊細さという利点があるのだろう、と僕は思った。

 彼女はワインを一口飲んで、満足そうに言った。

「こんなに美味しいワイン初めて。今まで甘いワイン飲もうとしたら、コンビニにある500円くらいのやつばかりだったから。こんなに気品のある甘さは初めて、なんだかぶどうの香りが鼻にスッとくるみたい」

「ねぇ、シャンパンを頼もう。こういう所の良いグラスを使うとね、気泡もやっぱり違うんだよ。綺麗なんだ、とてもね」

 彼女は「素敵」と言った。



 食事が終わり、ある程度談話したあとで、僕たちはホテルへと入った。ホテルに入って彼女はすぐに僕のズボンを脱がせた。彼女の指は、日陰の地面のように冷たかった。

 それほど時間はなかったので、僕は彼女の中に入れると判断したら、すぐに本番へと移行した。セックス中、僕の頭の中では、ホルストの組曲「惑星」の中の、「木星」がかかっていた。途中、彼女は笑いながら「がっつきすぎじゃない?」と言った。確かにそうなのかもしれない。

 セックスが終わったあと、彼女はコンドームを抜き取って、それを縛って捨てた。ボトッという音がゴミ箱の中で聞こえた。

 少しばかり余韻に浸ってから、僕は時計を見て言った。

「ごめん、このあと人と会う予定があるんだ」

 そう言うと、彼女は笑って言った。

「やることやったら帰るのね」

「ごめん」

「いや、気にしないで。そう言うところも好きよ。予定があるのね? じゃあこんなところで素っ裸になってコンドームの落ちる音を聴いてる場合じゃないわよ」

 僕は「ありがとう」と言って、財布から金を出して、ベッドに置いた。

 外はもう真っ暗で、完全な闇が辺りを支配していた。僕は、もう一度「木星」を脳内再生して、帰路についた。

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