3.電脳世界〈ブレード・ガンナー〉20時10分〜

 僕は今日も仕事をしようかと思っていた。一人殺すだけでかなりの金がもらえるこの仕事は、それなりのリスクがあってもやめがたい仕事だった。世間からは暗殺者と呼ばれている(というのも公安が我々のことを暗殺者と呼んでいて、その結果我々の存在は世間に暗殺者として知られるようになったのだ)が僕は自分のこの職業のことを仮にこう名付けている。「ブレード・ガンナー」。

 今日のターゲットは男だった。僕は少々不安になった。というのも、女性相手なら誘い文句なんていくらでもあるのだが、男と二人きりになるシチュエーションを作るというのは中々難しいのだ。これまでは会話をしながらなんとなく人気のないところに導いて殺したのだが、毎回そうはいかないし、今回の男はデータを読み取る限りあまり人と積極的に話すような人物ではないように思えた。そもそもこの電脳世界で不正にアカウントを作るような人間は並の知識量ではないのだ。偏見だが、そのような人物はあまり人とは喋らない。

 要は誰かの目に止まらない、あるいは個人で運営された店の監視カメラに映らない、公安やその施設の監視カメラに映らない、という条件を満たせばいいのだが、それは至難の技と言えたし、リスクも大きすぎた。

 人の目に見つかれば公安に通報されてしまうし、個人の店の監視カメラに映っても通報されてしまう。そして、公安は運営の管轄下にありながら過度な秘密主義のせいで暗殺者が公認のものであると知らないという始末だ。

 やれやれ、と僕は思った。

 僕はデータをもう一度見た。僕は、データに記載された通りのホテルに来た。奴は、このホテルに潜伏しているらしい。

 ホテルというのは中々に面倒な場所だ。第一に、僕はその彼と接近することがとても難しい。部屋に入っていくことはもちろんできないし、部屋の前で待ち構えるというのも不自然だ。そしてなにより、雰囲気を借りた誘いができない。

 ここは公認のホテルなので監視カメラを気にしなくていい点のみが救いだった。しかし廊下は人が通っているので廊下では殺せないし、ロビーも無理だ。トイレも、そこそこに人が来る。なら、殺すのに適した場所は.....ダメだ、考えれば考えるほど、ここは人を殺すのに向いていない。僕は、彼の部屋の前を彷徨きながら考えた。今は偶然人がいないので、彼が部屋から出てきてくれないものかと僕は思った。しかし、彼は出てこなかった。

 考え抜いた結果僕は、部屋に入るしか方法はないと結論づけた。

 僕は周りに人がいないことをもう一度確かめて、ドアに耳を当てた。歩く音が近くで聞こえ、その音は次第に奥の方へと遠ざかっていった。今だ、今しかない。

 僕は静かにドアを開けた。僕は彼に存在を気づかれ、通報されることのないよう息を潜めた。この世界で公安に通報するのなんて、僕が引き金を引くよりたやすい。少し念じればいいのだから。自分の呼吸を最大限少なくすると、自分の鼓動が聞こえた。僕はその鼓動で彼にバレるのではないかと思ったが、実際はそんな訳はなかった。僕はそんなことを思うほどに、緊張していたようだった。

 僕はポケットから静かに銃を出して、電源を入れた。今思えば、先に電源を入れておけばよかったのだ。僕はこんなに不注意な人間だったのかと、僕は少しばかり落ち込んだ。

 彼は何かを探していて、僕に気づいていない。しかし、こちらを向けば一瞬で気づくという状況に変わりはない。

 銃のゲージが1から2へと変わった。あと数秒耐えてくれ、と僕は切に願った。

 彼が、ふと立ち上がった。やばい、そう思った瞬間にゲージが溜まった。

 彼が振り返った。

「あ ー」

 僕は引き金を引いた。銃は彼の脳天をしっかりと捉えて、彼の核の部分を消しとばした。

 安心して、僕は時計を確認した。11時だった。明日も仕事があるので、僕はもう現実世界へと戻ろうと思った。こんなギリギリの仕事なぜやっているのだろうと疑問をもたないうちに下界に出るのが吉なはずである。僕は部屋を出た。すると、部屋を出た先に一人の女性が立っていた。

「そこ、あなたの部屋?」

 僕は瞬時に、今危険な状態であることを察知した。なんだって今日はこんな危機にばかり直面しているのだろう?

「もちろん」

「でも、さっき違う男性が入ったわよ」

「見間違いじゃないかな?」

「私はそんな見間違いしないわよ」

「ねえ」と彼女は言った。「あなた、暗殺者でしょう?」

 僕は、ポケットにある銃のトリガーを指にかけた。今殺せば、ログが転送される前に存在ごと消せる。

「心配しないで?ログは10分おきに消しておくようにプログラムしたの」

「プログラム?」

 ありえない。彼女の言葉を信用するのなら、僕は今とてつもない人間を相手していることになる。そんなログを抹消するようなプログラムを仕込めたら、この世界は破綻するはずだ。なので、そういったことに対するセキュリティは完璧なはずなのだ。しかし、この女性はそのセキュリティを破ったというのか。

「信用できないな」

 僕は、銃を彼女に向けた。

「1分やる。1分で僕に証明しろ。できなければ撃つ。じゃないと自分の身が危ういからね」

 僕は彼女のログが転送されるかわからないので、必要最低限の時間を与えることにした。しかし、これにしたって1分の間に転送されないという確証はないのだ。これは賭けだ。

 彼女は端末で何かをしていた。そして、「これを見て」と言った。

 すると、僕の端末の音が鳴った。

「あなたにメッセージを送ったの。これは、私のログの開示。どう?まっさらでしょ?」

 確かにまっさらだった。彼女のログは、5分前にエレベーターガールに階数を告げるところからいきなり始まっていた。ログの始まりとしてはそれは不自然だった。チェックインにしても、ログは残る。確かに、これはログを消さなければできない芸当だということは確認できた。しかし、まだ危険が去ったわけじゃない。

「確かに、ログを抹消できるのはわかったよ。でも、君が僕を通報しないという証拠は?」

 彼女はあからさまにため息をついた。

「私がそんなことをするように見えるの?私、馬鹿ではないのよ。公安が来たらあなたは私を撃つじゃないの。そんな真似しないわよ」

 彼女の言い分はもっともなように思えた。僕は便宜的に彼女を信用することにした。

「君のいうことはわかったよ。だけど、怪しい真似したら撃つぜ」

「わかった。じゃあ1つ聞きたいことがあるんだけどいい?なんで暗殺者なんてやっているの?」

「その呼び方は好きじゃないな」

「じゃあなんて呼んだらいいの?」

 僕は自信を持ってこう言った。

「ブレード・ガンナー」

 僕がそういうと彼女は笑った。彼女の笑顔はとても素敵だった(それがアバターの笑顔で、造られたものだとしてもそれはとても素敵だった)。

「その呼び方も大概じゃないかしら?」

「そうかな?」

 そうなのかもしれない。だけど僕はこの言葉の響きが好きだった。かなり昔のSF映画の「ブレード・ランナー」に擬えてそう呼んでいるわけだが、僕はその映画が好きだった。レプリカントを殺す主人公なんて、まさに僕じゃないかと思う。

「ねえ、部屋に入って話さない?」

「でもここは僕の部屋じゃないんだ」

「ちょっと待って」彼女はそう言って、手をドアに当てた。

「今あなたの部屋に変えた。どう?私の能力」

「素晴らしいね」と僕は言った。「でも、そこまでのことができるなら、君は僕の銃から身を守るプログラムくらい組めるんじゃないのか?」

 僕がそういうと、彼女は少し残念そうな顔をした。

「その部分に関しては、最高峰のバリアが張られているのよ。理論上解けない暗号なんてものはないけれど、それはあくまで理論上なの。あそこまで複雑に混み合ったプログラムを組み替えるのは私には無理ね。私にできるのはログの消去や、部屋の持ち主を変えることくらいなのよ」

 ログに関するプログラムは破れるのに、と思ったが、この世界での所謂死を司るプログラムならそのくらいの防御が施されていてもおかしくはないか、と思った。

「さぁ、入りましょうよ。私、もしあなた方に会ったら聞きたかったことがあるの」

 廊下の電灯の光が、彼女が纏う光に吸い取られ、やがて色彩を失ったように見えた。


 部屋に入ると、彼女が先にベッドに腰かけた。僕は、テレビの横にある椅子に座ることにした。

 ベッドに座り、あたりを見回す彼女を見ていると、なんだかコールガールを呼んでセックスをする時のことを思い出した。いつもなら、ベッドに座ったコールガールが口に含んだ精液を吐き出しているところだ。

「で、聞きたかったことって?」

 そう聞くと、彼女が笑った。彼女が笑うと、僕の頭の中から過去の娼婦は吹き飛んだ。彼女は彼女であり、娼婦は娼婦なのだ。それにここじゃセックスはできないし、この世界じゃ誰しもインポテンツなのだから。

「それはね、どうしてこんな仕事をしているのかってことなの。きっと、一部の人にのみ仕事が依頼されるんでしょう?断る人はいないのかしら」

 僕はそう聞いて確かに不思議なことだと思った。なにしろこの国の公安は、暗殺者というものの本当のことを知らないせいで、バレればただちに殺されてしまうのだ。それを引き受けている僕は異常なのではないかと思った。もちろん引き受けるであろう人を選別はしているはずだが、全員が受けるだろうか?

「きっと、受けなければ組織が消してるんじゃないかな。じゃなきゃこんな職業は成り立たないもの」

「そうなのかしらね。ねぇ、どうしてあなたが選ばれたの?」

「どうしてだろう」と僕は言った。「でも、きっと功利主義なきらいがあるからだろうね」

「功利主義」と彼女は繰り返した。

「ジェレミー・ベンサムを読んだことはある?」

「無いけど、どんなことを言った人かは知っているわよ。最大多数の最大幸福、でしょう?」

「そうだよ。でも、功利主義に基づくと仮に誰かを殺すことによって起こるマイナスなことより、殺すことによって起こるプラスなことが多い場合、殺人は正当化されてしまう。君はどう思う?」

 彼女は、少し考えて言った。

「それが、あなたの存在に対する答えでもあるのね?」

「そういうことだよ」と僕は言った。

 彼女は目を瞑り、考えていた。考えている彼女は何か美術品のような気品があった。まるで、私はこのように「考えている女」という題で彫刻されてから2000年も経っているのよ、とでも言うような。綺麗に膨らんだ胸は作者の嗜好によってそうさせられた、創造されたものとしての胸に見えたし、それを含めた全体像はサモトラケのニケのように雄大だった。

 やがて、彼女は目を開いて言った。

「犠牲はある種必要なのだと思うわ。しかし、それは道徳からあまりにも逸脱しているということがない場合に限る」と彼女は言った。

「つまり、貴方は不正ユーザーを狩っているのだから、相手を自業自得と取ることもできるし、道徳から逸脱しているとは言えない。違う?」

「君は頭が良いんだね」

「ありがとう」彼女が微笑んで言った。

「貴方は正義とかを信じるの?」

「正義?」

「つまり、功利主義に基づいた行動をしていたとしても、そこに正しさというものは加味されているの?」

「どうだろう。でも、間違っていると思うことはしないだろうな」

 そう僕が言うと、彼女はベッドから立ち上がり、僕の横に椅子を持ってきて座った。

「私ね、昔いじめられていたの」

 彼女はまるで、どこか違う国の違う人間の過去について語るように言った。それはあまりにも客観的な言い方だった。

「周りのみんなはゲームとか漫画とかが好きだったけど、私は昔からプログラミングとかc言語とかそういう類に興味があったのよ。だから、みんなが遊んでるのを尻目にパソコンをいじってたんだけど、それが気に食わなかったんでしょうね」

「子供は残酷なんだよ。いや、あるいは人間がかな。人間は平均から逸脱した人を排除するものなんだ」

 彼女は、僕がそう答えるのをわかっていたかのようにうなづいた。

「あなた、フーコーを読むの?」

「少しだけ読んだことがあるだけ」

 実際、僕はフーコーの「狂気の歴史」を流し読みしたくらいだった。マックス・ウェーバーにしても、ルソーにしても、ミルにしても、僕は浅くしか知らない。

「でも、私の話を聞いてすぐにフーコーから引用できる人ってそういないわよ」

「僕のこの答えに対して、フーコーだと気づく人もいないだろう?」

 僕がそう言うと、しばし静寂が辺りを支配した。秒針が時を刻む音だけが聞こえた。

「ねぇ」と突然彼女が言った。「あなたとお友達になりたいわ。明日も会える?」

「会えると思う」

「じゃあ会いましょう。その時にまたフーコーの話を聞かせてね」

 彼女は、そう言って部屋を出た。あまりにも突然のことだったので、僕はしばしそこであたりの静寂の音を聞いていた。サモトラケのニケのような彼女は、その翼ですぐに去ってしまったようだった。

 僕は、ログアウトした。

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