2.現実世界〈現実に生きる人としての僕〉9時〜
例えば僕らが自らの損得についてだけ考えて生きたとして、その世界はどれだけの期間保つだろう。僕は、そんなことを考えながら仕事場へと向かった。
そんなことを考えていると頭がキリキリと痛んだ。
駅に着いた時、僕は電脳世界での癖で、モアの残高を確認しようとしてしまった。前日に電脳世界を身を置くと、どうも現実での感覚が麻痺するようだった。
僕は、カードで改札を通り、電車に乗った。電車で本を読んだ。僕は電脳世界において移動時間は本を読むように心がけているが、ページさえ覚えておけば現実世界とリンクさせることができる。
僕が今読んでいるのは、クリスティの「オリエント急行の殺人」だ。僕は、ディストピア文学が好きだが、クリスティの描くミステリもまた好きなのだ。結局のところ、僕は本全般が好きなのだろうな、と思った。
電車に乗ってから3本目の駅で僕は降りた。僕と同時にたくさんの人も降りた。黒いスーツを着た人たちがゾロゾロと歩くのは、まるでアリの行進のようだった。
アリの大群に流されながらも、僕は目的地へと向かった。仕事場についた。警察署だ。
何を隠そう、僕は警察官なのだ。そして、先日電脳世界専門の課に配属された。僕はもしかしたら前世でかなり徳を積んだのかもしれない。警察の動向を知ることは、電脳世界においてのビジネスの役に立つ。
署に入ると、コーヒーの匂いがした。
「おはよう。僕にもコーヒーをくれる?」
僕は、事務をしている女の子に声をかけた。
「おはようございます。ミルク入れますか? 砂糖は?」
「ブラックでお願いするよ」
「わかりました」
彼女はそういうと、コーヒーを入れる作業にとりかかった。僕の評価だと、彼女にインスタントコーヒーを入れさせればまず間違いない。そんなの気のせいだとも思うが、あるいはインスタントコーヒーにも入れ方のセオリーがあるのかもしれない。
自分のデスクについて、僕はパソコンをつけた。この時代、刑事だってほとんどデスクワークで、実際に出動することはあまりない。そういった危険な仕事は全てドローンに任せるようになって、僕たち人間のあり方は大きく変わったのだ。
10時になって、上司が現れた。硬い表情をして、そこに立っていた。
「今日からこの課に配属になったのが、君たちだな。まず君たちに問いたい。我々は何故、電脳世界の暗殺者を取り締まるような真似をすると思う?」
僕は、隣の席の人物の顔をチラリとみた。おそらく、彼も僕と同じで他の誰かが答えるのを待っているのだろう。しかし、依然として誰も答えなかった。誰もわかってはいないのだ。
僕は彼が答えを教えてくれるのかと期待していたが、彼は何も言わなかった。ただ、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。まるで、僕たちのことを軽蔑するかのように。
僕たちがしばらく何も言えないでいた。ただ上司を見ているだけだった。すると、上司はいきなり、リボルバーをポケットから出した。
「君たちにもこいつを渡す。そして、君達の端末には発砲許可証を送っておいた」
彼の直属の部下が、僕たちの分のそれをアタッシュケースに入れて持ってきた。なんだか、そのアタッシュケースを持ってくる様子は、麻薬の密売人みたいだな、と僕は思った。
僕たち全員は銃を受け取った。バーチャルじゃない、本当の銃だ。今時警官が銃を持つことなどはまずないので、僕は幾分興奮していた。これで僕は人を殺す権利(もちろん必要な場面でということだ)を手に入れたわけだ。僕は、そう思うと不思議な気持ちになった。僕が今前に向かって銃を構えトリガーを引けば、上司は死ぬのだ。ということは、僕が今ポケットの中で密かに指をかけているトリガーは、命1つ分の重さということになる。確かにそれは、少し力を入れたくらいでは引けない重さだったが、同時に命を奪うことができるにしては、とても軽いと感じた。
僕はトリガーから指を離し、業務に取り掛かることにした。僕は、パソコンに向かい、暗殺者に関してのデータを集めることにした。何しろ母数が少ない存在なので、警察はまずそこから作業を始めなければならないのだ。
しかし僕はこの作業をしていると、酷い虚無感に襲われるのだ。なぜこんなことを僕がやらなければならないのか。
昼になり僕が少しうとうとしてしまった時、事務の女の子がコーヒーを入れてくれた。
「朝ブラックだったので、今回もブラックにしましたよ」
彼女は、柔らかい笑みを浮かべながら僕にそう言った。彼女の髪から、シャンプーの匂いがした。
「ありがとう。ちょうど良かったよ」
彼女のこういう気が効くところが、僕は好きだった。それに、彼女はとても美人だった。肩らへんで揃えられた髪はとても綺麗だったし、大きな目はこちらが吸い取られそうなほどだった。
彼女の身体の線を、僕は悟られないように目でなぞった。スーツの上からでは完全にはわからないが、おそらく無駄な肉は1つとしてないだろう。思うに、完璧な美しさとは一切の無駄の排斥なのではないか。
僕はコーヒーをすすって、業務を進めた。
7時になり、僕は帰ることにした。今から帰れば、電車を乗り大体8時過ぎに家に着く。
僕は、帰り際に事務の女の子に「お疲れ様」と声をかけた。彼女もまた、「お疲れ様です」と言った。
駅に行き、一目散に僕は改札を通った。ホームでは疲れた顔の人達で溢れかえっていた。
しかしまあ、どこに行こうが結局は同じ光景を見るのだ。
やれやれ、と僕は思いながら、電車に乗った。
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