ブレード・ガンナー

青豆

1.電脳世界〈ログイン〉20時30分〜

 そこは、真っ白な壁に囲まれた無機質な部屋だった。あるいは、壁なんてないのかもしれない。なにせ全てが真っ白なので、遠近感というものが働かないのだ。

 僕は8時に仕事から帰ると、すぐにコンピュータを起動した。起動してから1秒ほどで、その真っ白の部屋にたどり着いた。

 真っ白な壁(あるいは空間なのかもしれないが、以降は便宜上〈壁〉と表現する)を眺めていると、やがて目の前に青いモニターが現れた。モニターには僕の全身が写っていて、何かスキャニングしているようだった。すると、何かが完了した合図なのか、女性的な声をもつAIが、僕の本名を述べた。

〈ユーザー認証....スキャンを完了しました。アカウント確認...アカウント名をおっしゃってください〉

「オーウェルだ」

〈オーウェル...登録番号をおっしゃってください〉

「1...9...8...4...」

 僕がそういうと、彼女は〈確認しています〉とだけ言った。

〈ログインを完了しました。前へ進んでください〉

「どうも」

 僕は前へ進んだ。すると、白い壁が消え、その代わりに目の前には電脳世界である「ユートピア」が現れた。ここは、「ユートピア」への入り口であり、「ユートピア」においての駅と併設している、中心的施設でもある。

〈心ゆくまでお楽しみください〉

 彼女は、そう告げて消えた。


 僕は、電脳世界において自分が住処としている15番地に行くために、まず駅の5番ターミナルまで向かった。

 この電脳世界は、全ての外観が近未来調にデザインされているので、上も下も右も左も、全てが巨大なパネルによる広告で、随分と騒がしい雰囲気だった。

 5番ターミナルは、モノレールの路線4本が交わるところであるため、とても混雑している。電脳世界とは言っても、現実の自分の五感を操っているので、すれ違う人の臭いなどは感じることができた。

 ターミナルですれ違う人は、皆疲れた顔をしていた。バーチャルの中くらい明るい顔をすればいいのに、と僕は思ったが、この時間なら大抵現実では仕事が終わった人間なので仕方がない。あるいは、僕だって彼らのような顔をしているのかもしれない。

 程なくして、15番池に着いた。僕は移動中本を読んでいたが(このような行動を電脳世界で行うと、現実というものがわからなくなってくることがある)、ほとんど読むことはできなかった。モノレールを降りて改札を通ると、やはりそこにもたくさんの人がいた。

 僕は、いつも泊まるホテルに向かった(家を買うことはできるが、現実での課金が必要で、滅多にそれを可能とする人はいない)。ホテルは、この世界での共通通貨「モア」を支払うことによって泊まることができる。「モア」というのは、「ユートピア」の由来である「トマス・モア」から取っている。

 この電脳世界には、様々な仕事(大概は、NPCとのゲーム対決や、ものを作ってそれを売ったりといった、ある種の娯楽の要素を含むものである)があり、それによって「モア」を稼ぐのだ。

 しかし、この世界では裏の仕事がある。それは、不正ユーザーのアカウントのBAN作業だ。この世界の運営(仮にそれを組織と呼ぶ)が不正ユーザーをBANするための権利を、銃という形でごく一部のユーザーに与え、秘密裏に暗殺稼業をさせるのだ。報酬は多額の現実の金と「モア」だ。しかし、あまりにも徹底した秘密主義を取られているが故に「ユートピア」を監視する公安でさえ、その存在を認知していない。なので、組織から公認された暗殺者達は、組織の管轄下にある公安により追われる身でもあるわけである。つまり、そのリスクが報酬が高額な理由でもあるのだ。

 そして、僕はその暗殺者の一員だ。選ばれたのは、僕が現実においてこの仕事を遂行するのにとても便利な立場にあったことに起因しているのではないかと思っている。

 僕は、ポケットに入れた銃を指で弄んだ。使う時以外は収縮してあり、バレることはない。もちろん組織から渡されたものなので、センサーにも反応がしない。実物を見られる以外では、絶対にその銃の存在はバレないのだ。僕は会話のログも公安に送られないようプログラミングされているし、そういう意味ではかなり「ユートピア」の法から逸脱した人間と言えた。

 ホテルのロビーは、外の何もかもが機械的な外とは違い、何世紀か前のヨーロッパといった雰囲気だった。キラキラと無責任に光を撒き散らすシャンデリアはどこか太陽にも通ずる雰囲気を醸し出していたし、赤をベースとした床のカーペットは、少しばかり成金的な感じを彷彿とさせた。

 僕は、係に話しかけた。ホテルなどは、殆ど全て組織の管轄下にあるので、全ての業務がAIによって行われていた。

「オーウェル。部屋を1つ」

 僕がそう言うと、係の者は「登録番号を押してください」と言って、目の前にモニターを表示させた。

 僕は素早く1984と押した。

「では、684号室にお泊まりください。ドアの前に立てば自動で開きます」

「ありがとう」

 僕はたとえAI相手でも、感謝の言葉は忘れないようにしていた。そうしなければ、現実で感謝することを忘れてしまうような気がするのだ。

 エレベーターを待っていると、いつもこのホテルを利用している友人が話しかけてきた。

「やあ、オーウェル。君は今日どこの部屋?」

「6、8、4だ」

 彼の名前はディックと言って、僕の電脳世界における数少ない友人だ。僕はオーウェルで、彼はディック。同じ系統の小説..所謂ディストピア文学を好む者同士として、僕たちは意気投合したのだった。

「僕は、722だ。部屋に荷物を置いたらそっちに行っていいかい?」

 僕は少し迷った。これから暗殺の仕事に出ようと思っていたからだ。彼が居ては業務が滞るし、そもそもバレてはいけないのだ。

 近頃は、暗殺者を刈り取るために、現実の警察に電脳世界を専門に活動する課が出来たのだ。そういう理由から昔よりもずっと暗殺は難しくなってしまった今、いかに無駄を排斥するかが、殺しに重要になってくるような気がした。

「いや、今日は別の人とこれから会う約束があるんだ」

「へえ、ガールフレンドかい?」

「そんなんじゃないさ...とにかく、僕はもう荷物を置いたらここを発つし、今日は遠慮しておくよ」

 そう言うと彼は納得したようだった。

「じゃあ今日は俺もこっちの仕事をするよ。じゃあまたな」

「うん、また」


 僕は部屋に荷物を置いた後、事前に知らされていた、不正ユーザーと噂されていた人物が根城としているところへ向かった。

 そこは、ジュークボックス(もちろん中身は音楽がインプットされたデータベースが埋め込まれたものに過ぎない)があり、お洒落な机と椅子とがある談話スペースだった。

 薄暗い照明は、人々の顔に淡く翳りを与えていて、全体としてメランコリックなイメージに包まれていた。

 そこに、数人の男女がそれぞれの席に座り、談話をしていた。僕はそこで、自分がターゲットの情報を受け取るのを忘れていたことに気がついた。嫌な出だしだ。

 僕はすかさず、腕につけられた端末から、自分の視覚情報を組織へと送った。

 そして僕は脳内情報のデータ化...転送をして、頭の中で組織に連絡した。

〈誰がその犯人だ?〉

 僕がそう念じると、

〈右の席に座った、赤いドレスの女だ〉

 と、脳内で音声が再生された。

 こんなところで堂々と銃を撃てば僕が暗殺者であることがバレるので、僕はこの女と二人きりになることを試みた。

「こんにちは、綺麗なドレスだね」

 そういうと、女は少し頬を赤くして答えた。

「ありがとう、あなたも素敵な服よ。そうとうやりこんだわね?」

 僕は、「そんなことないよ」とだけ答えた。それから僕は、できるだけ不自然にならぬように彼女を誘うことを試みた。しかし、実際こういう場は人を誘うために用意されているという節がある。例えばBARでセックスの申し込みをしたって別に対して不自然じゃないのと同じだ。なので僕は彼女を褒め、あくまで感じの良さそうな男を演じることにした。

「ねえ、突然こんなことを言うのもなんだけど、僕と二人で遊びに行かない?実は今友人に予定をドタキャンされてしまって暇なんだよ」

 彼女は、右上の時計を見ながら少し迷った様子を見せた。まるで、時計の針にはこの世界の秘密が閉じ込められているのだとでも言うように。

 彼女は、「1時間程度なら」と答えた。

 僕は、「ありがとう」と言った。


 談話スペースを出て、僕たちは公園へと向かった。四方にビルが立地していて、上にはモノレールが通っている公園というのは、なんだかとても不思議な感じがした。それはまるで、卵のパックの中にひとつだけ紛れたピンポン玉のようだった。

 しかし、その公園は立地のわりに静かだった。まるで公園一帯が僕を暗殺するために息を潜めているのかと思うくらい...とは言っても、今暗殺を試みているのは僕なのだから、そんなのは幻想に違いない。公園に暗殺者は一人で十分だ。

 僕は、人目に触れない茂みを探した。探すのに苦労するかと思われたが、それは案外すぐに見つかった。ちょうど、ポルノビデオなら青姦をしているような茂みだった。

「ここはバーチャルだけれど、生い茂った草木はとても美しい、そう思わない?」

 僕がそう聞くと、彼女は微笑んだ。

「ええ、実にそう思うわ。....ねぇ、聞いていい?あなたはどうしてこの電脳世界で遊ぶようになったの?誰かに誘われた?」

 僕は、少し考えた。

「それはひとことじゃ説明できないな。僕の意志でとも言えるし、あるいは運命とも言えるんだ。そして、そのどちらかに絞ることはできない」

 僕がそういうと、彼女もまた考えた。

「あなたって、いつもそんな風に物事を考えているの?」

「そうだよ」

「意志とか運命について?」

「そうとも言えるな」

「どうして絞ることができないの?」

「つまりね、意志というファクターと運命というファクターは僕の中に確かに内在しているけれど、それらは本来平行に流れるもので、混じり合うことは絶対にないものなんだ。ここまではわかるね? 確かな事実と、それを否定する絶対的な命題が同時に存在する場合、どちらもあるいは正解なのだと留保するしかないんだ」

 そう僕が説明すると、彼女は「イシ、ウンメイ、ファクター、リュウホ……」と繰り返した。

「とにかく、あなたが変わった人だってことはわかったわ」彼女はそう言った。「ねえ、ところでどうして私なんかをわざわざ誘ったか、本当の理由を教えてくれない?」

「さっき言ったよ。とても綺麗なドレスだ」

「でもそれだけじゃないでしょう?」

 彼女は真実を見透かしたように、綺麗な瞳をしていた。僕はその綺麗な瞳に敬意を払って、真実を告げることにした。

「実を言うと、僕は君を殺しにきたんだ」

 僕がそういうと、彼女は鼻で笑った。

「やっぱりそうだったんだ。実を言うと、なんとなくわかっていたことなの。ねえ、あなたはおそらくそのポケットに銃を隠しているのでしょう? 私が騒いだらどうする?」

 彼女は微笑みを残しながら、そう言った。しかし、その声には諦めが持つある種の力強さを感じた。どうにでもなれ、という強さだ。

 しかし僕は少し彼女と会話をして、彼女が騒がないことを確信していた。

「君はそんな愚かなことをしないよ。騒いだところで僕は銃を撃つし、君にメリットはない」

「ねぇ、私たちもう少しまともな出会い方してたら、良いお友達になれたと思うの」

「僕もそう思うよ」

 そう答えると、彼女は満足したように笑った。

 僕は、彼女の眉間に銃口を当てて、トリガーを引いた。撃ち込まれた彼女は、身体ごと砂のようにパラパラと粉状に崩れて、やがて消えた。

 僕は彼女を撃った時、これが本当に自分がやるべきことなのかどうかと考えた。

 答えはわからなかった。

 好もうが好むまいが、わからないことは増えていく。

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