第41話 感動のラスト曲

 巨大なステージの中央で歌い踊る工藤瑞穂(くどう みずほ)。スポットライトを浴びて弾ける彼女の姿に目を奪われる古谷三洋(ふるや みひろ)だった。


 自分の家の隣りに暮らし、保育園の時から兄妹みたいに育った幼なじみ。家族と同じくらい身近だった存在が、ずっと遥か遠く感じられる。一年半前に、彼女に告白した日が遠い過去の幻のように思えてならない。


 彼女の声、動きに合わせて熱狂するファンの群れ。津波のように押し寄せる大声援を受けながら、工藤瑞穂は最後の一曲を残すところまで歌い終えた。


「すごい、瑞穂ちゃん!本当にアイドルになったんだねー。めっちゃ輝いている」


 左隣りで高揚した表情を浮かべて興奮する妹の古谷南(ふるや みなみ)。感動で潤んだ瞳も、発する声も三洋の心には届いていなかった。


 瑞穂のやつ。何で連絡の一つもくれないんだよ。独りで知らない街に転校していった瑞穂を、僕がどれほど心配していたことか。


 元気過ぎる幼なじみの姿にホッとした反面、取り残された感が半端ない。もう、僕のことなんか遠い過去の存在なんだろうと思ったら、心の中にポッカリと穴が開いた。


「三洋。大丈夫?」


 彼の右手がそっと包まれる。八島鈴(やしま れい)の柔らかい手の感触が、三洋の意識を引き戻す。


 もしここに彼女がいなければ、僕はどうにかなっていたかもしれない。過去のことと割り切ったはずなのに割り切れない。工藤瑞穂を目の前に見てヘタレな心が揺らぐ。


「鈴・・・」


 名前を呼んでみたものの、その後に続く言葉が何一つ思い浮かばない。こんな筈じゃない。今の僕には鈴がいる。頭ではちゃんと理解しているのに・・・。何でだよ。


「三洋。ムリしなくていいよ」


 優しく語る鈴の姿が慈愛に満ちた女神様に見える。


「ムリなんてするものか」


 甘えてしまいそうになる心を奮い起こす。


「私ね。そんな三洋だから好きになったの。あっちがダメだからこっち。そんな風に、コロコロと気持ちを切り替えられる人なんて信用できない」


「鈴・・・」


「しょうがないじゃない。三洋が瑞穂さんと過ごした時間は私と暮らした時間とは比べ物にならないくらい長いんだから。だからね。私は、これからばん回するんだ」


 鈴の手が僕の手をギュッと握ってくる。細い指先の何処にそんな力があるのかと思うくらい強い。顔を上げて、ステージに立つ工藤瑞穂を見る。


 大丈夫だ。うん。鈴のぬくもりの方がずっと身近に感じる。心に空いた穴の中に、鈴との思い出が流れ込んでくるのを感じる。


「鈴、心配しないで。僕は迷ったりしない。鈴が僕の総てだ」


 僕は彼女の手をしっかりと握り返したのだった。


「おっ、お兄ちゃん。マジ、お兄ちゃんなの?顔、赤くなっていないし。キザなこと言っているのにメチャ、カッコイイんだけど」


 妹が茶化してきても気にならない。いつもなら蒸気を吹き出すかと思うくらい恥ずかしいはずなのに・・・。鈴の前だと素直に語れる。


「まいったか、南。オドオドするのは卒業したんだよ」


 僕は左手の一指し指で南の額をチョンと押した。その時、会場いっぱいに工藤瑞穂の声が響きわたった。


「みんなー。盛り上がっている!じゃあ、最後に、新曲いくぞー」


「わおー!!!!」


 会場に集まったファンの声が唸りとなって、瑞穂の次の一声を待ち構える。


「この曲は・・・。瑞穂が、幼なじみで、初恋だった男の子の元を去って新しい世界に旅立つと決めた日、その時の想いを綴(つづ)ったものです。瑞穂が頑張っていることをちゃんと伝えるために作った曲。聞いてください。そして、感じてください」


 元気いっぱいの彼女の言葉に会場は静まり返った。古谷三洋はゴクリと唾を飲み込む。アイドル、工藤瑞穂の瞳が真っすぐ三洋にそそがれていたからだ。


「じぁ、みんな!いくよー」


 彼女の歌には三洋と彼女しか知らない時間や空間、その時々の細やかな心の動きが鮮明に描かれていた。アップテンポで陽気な曲なのに、せつなさが心にしみる。


「私は貴方が好き。誰よりも愛しているから、私は旅立つ。貴方が前を向いて進むために」


 工藤瑞穂は伸びやかな声で最後のサビを歌い終えた。感動に酔いしれるファンたち。静まり返る会場。


「うっそ・・・。おっ、お兄ちゃん・・・。この曲の幼なじみって・・・。お兄ちゃん・・・。だよね」


 古谷南は大きく瞳を見開き、口をパクパクさせながら途切れとぎれになんとか声を発した。周りの数人が彼女の声に気づいて古谷三洋の方を見る。工藤瑞穂は三洋の姿を見つめてマイクを握りしめた。


「三洋!大好きだよ」


 あ然とするファン一同。


「まじかよ。公開プロポーズじゃねーか」


 ファンの誰かの言葉を切っ掛けに、せきを切ったかのようにどよめきだす会場。大混乱の中、もみくちゃになりながら古谷三洋と八島鈴、古谷南の三人は会場を抜け出したのだった。


 スマホがポケットの中で振動しまくっている。取り出して画面を覗く。ニュースアプリの着信表示が次から次へとあらわれる。


『工藤瑞穂!コンサート中に愛の告白!!』


『幼なじみに熱唱プロポーズ!工藤瑞穂』


『新人アイドル。感動のラスト曲で愛を伝える』


「お兄ちゃん。これ・・・」


 同じようにアプリをめくっていた妹の南が、三洋と鈴に差し出したスマホの画面に映っていたものは。


『瑞穂ちゃんが思いを寄せる幼なじみのミヒロくんを探せ!』


 こうして、マスコミを巻き込む大波乱の幕が開かれたのだった。


 その頃、家に取り残された子猫のクロマルは柱に向かって独り、ゴリゴリと音を立てながら爪を研いでいた。野生の本能がクロマルを駆り立てている。

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