第21話 ピンチはチャンス

 食堂での出来事を知らない八島鈴(やしま れい)は、ムスッとしながらキッチンでお弁当箱を洗っている古谷三洋(ふるや みひろ)の後ろに立つ。


「ねっ。古谷くん。怒っているの?」


 彼女は彼の肩に手を置いて、体を前に回して下から彼の顔を覗き込んだ。とたんに動揺する古谷くんの顔は一瞬で真っ赤だ。


「怒ってないけど・・・」


 返事に力がない。彼の目を見上げて告げる。


「私のメッセージ、ちゃんと受け取ってくれたかな」


 彼の目が泳いでいる。イケメンの困った顔はかわいい。ダメだとわかっていながら、グイグイと攻めたくなる。


 私だって年頃の女の子なのだ。ときめいてしまうことだってある。というか人生初のときめきに、気分が高揚して気持ちが抑えきれない。


 はふー。女子みたいにやわらかそうな彼の唇、引き寄せられそうだぞ。


 彼はプイっと顔をそむけて視線をそらす。ちょっぴりガッカリ。そのまま、唇を前に押し出してくれてもいいのに。後十センチ。たったそれだけのことなのに・・・。


 ふにゃー。私のファーストキスは魅力がないのだろうか。私のメッセージを古谷くんはちゃんとくんでくれたのだろうか。


 二人っきりだぞ、古谷三洋くん。私がここまで頑張っているのにモジモジしないで欲しい。


・・・・・・


 食堂での山根浩二(やまね こうじ)と星宮花蓮(ほしみや かれん)のやり取りで、豪快に爆死していく生徒たちの姿をあからさまに見てしまった僕。


 鋼鉄の心臓を持つお二人は難なくスルーしていたけど・・・。あんな事態になったら僕の心臓が耐えられるとは思えない。


 どんなことをしてでも八島鈴との同居生活は隠し通さなければ。僕の平穏でノンビリした学園ライフは過去最大の危機を迎えようとしている。


 山根と星宮先輩の口を封じるには八島鈴の協力が不可欠だ。だか、その原因を作り出したお弁当箱の文字。


『私を拾ってくれてありがとう。八島鈴』


 こんにゃろ。なぜ消えない。


 八島鈴に「怒っているの?」と問われれば猛烈に怒っている。が、下からジト目で見上げられた瞬間、僕の怒りは霧散する。


 八島さん、顔が近い。僕の二の腕がメチャメチャふかふかの物体にめり込んでるんだけど。可愛らしいピンクの唇がすぐそこに・・・。


 不意に星宮先輩が山根に放った言葉が頭の中を巡る。


『楽しんだ責任はちゃんと取ってくれるのよね』


 強制的に理性が復活する。彼女はどうしてああいう言葉を躊躇(ちゅうちょ)なく口にできるのだろうか。遊んでいるとしか思えんぞ。


 心臓が苦しい。僕は八島鈴から顔をそむけることしかできない。早くあのことを伝えなければいけないのに・・・。


・・・・・・


「あっ、あのー。八島さん」


 ようやく口を開いた古谷三洋に、八島鈴はタイミングをとりそこねる。


「うっ、うん。古谷くん」


「あっ、明日の放課後、時間とれるかな」


 これって、もしやデートの誘い!人生初のデートだぞ。八島鈴のハートはパッと華やいだ。


 が、明日は陸上部の助っ人で大会に出るための練習がある。だけど、このチャンスを逃すことなんてできっこない。足をひねったとでも言い張ろう。


「放課後、だいじょうぶだよ」


「良かった。僕と一緒にカラオケにいって欲しいんだけど」


 キター。ついにその時が。カラオケと言えば密室。高校生男女のラブラブスポット。周りの目を気にする必要がない。


 いきなりそこに誘われるとは思っていなかった。


 古谷三洋、髪の毛を切って爽やかイケメンにしたかいがある。自分に自信がついたのか。大胆になったぞ。作戦、大成功!顔がニヤけてしまう。


 勝負下着とか準備しなきゃ!ウッキャー、私ったら。はしたない。キスもまだ未経験なのに。


 それよりなにより、そろそろ『八島さん』ではなく『鈴』って呼んで欲しい。私も彼のことを『三洋』と愛情をこめて呼び捨てしたい。


「うん。もう、全然いく。ミピロ」


 んっ?興奮しすぎて答えがメチャクチャだ。『ミヒロ』が『ミピロ』に・・・。一瞬で顔が熱くなる。恥ずかしい。


 私は古谷くんの二の腕にくっついたまま彼から顔を逸らす。最後の言葉、聞いてないよね。


「それで・・・」


 古谷くんがなにか言いかけて口をモゴモゴさせる。


「それで・・・」


 私は彼の言葉を待つ。


「実は、友達の山根と星宮花蓮先輩も一緒なんだけど」


 ええー。二人っきりじゃないんだ。高まりにたかまった気持ちが・・・。


 どゆこと!山根くんと星宮花蓮先輩って、今、学園の注目の的。話題のお二人さんだよね。


 古谷くん。目立つのが苦手といいながら意外なところと接点を持っているんだ。びっくり。ちょっと驚いた。


 世にいう、ダブルデートかー。ちょっぴり残念だぞ。いや、かなり残念だぞ。私の妄想タイムを返しててくんないかなー。


「お弁当箱の底の文字を二人に見られちまったんだ」


 うっそ!私のささやかな悪戯が古谷くんをピンチに!私は頭を巡らす。ピンチはチャンスと言うではないか。


「ごめんなさい。私のしたことで古谷くんを面倒なことに巻き込んじゃったみたいだね」


 うつむいて謝ってみせながら、八島鈴は明日に向かってチャンスを作り出す作戦を練り始めるのだった。

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