第20話 世の中わからないものだらけ

 午後の授業を終えて、帰宅部の古谷三洋(ふるや みひろ)は早々に家へと帰る。落ち着かない一日を過ごして疲れ切っている。


 公園で拾った子猫、クロマルを見つけてホッとする。ニャー、ニャーと体を寄せてくる真っ黒な姿に癒やされる。


 両手で抱えあげてほおずりする。柔らかい毛がなんとも心地よい。


「よう。クロマル。お前はいいなー。周りに気遣いせず、好き勝手に生きられるってのはどんな感じだ?」


 ミャー。


「八島さんはまだ帰っていないのか?」


 ミャー。


 まあ、答えるわけがないか。猫だもんな。無理もない。


 僕は黒猫のクロマルを床に放つ。


 ミャー。


 クロマルは僕の顔を見上げて、一声鳴いてから廊下へと走り去る。


 家の中を見まわしてみるが、八島鈴(やしま れい)の姿はどこにもない。断り切れずに部活にでも連れ出されたのだろうか。


 人気者は辛い。カゼで熱を出して休んだ後でも、おかまいなしで誘われる。休む暇もないのだろうか。


 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能。学園の神聖ヒロイン役を演じ続けるってのは神経使うよなー。たった一日、注目されただけで心をガッツリと削られた。


 キッチンのシンクに残った朝食のお皿とお弁当箱を洗う。身に着けたエプロンから、八島鈴の甘い残り香がほのかに漂ってくる。


 それにしても、あのお弁当には驚かされた。八島鈴、キャラが違っていないか。学園でのシュッとした彼女と、ラブラブ過ぎるとろけ気味の弁当。イメージがまるで重ならない。


 彼女はいったい僕のことをどう考えているのだろうか。雨上がりの公園での出会いから、今に至る流れを思い出してみる。


 むちゃくちゃだよな。完全に、なし崩し的に押し切られてスタートした同居生活。予定も計画もあったもんじゃない。


 いくらクラスメイトとはいえ、まともに会話したこともない男子の家に、とつぜん押しかけてくるのは無防備すぎるぞ。


 前々から僕のことが気になっていたとか。


 考えた途端に顔が熱くなる。


 いやいや、それはないだろう。


 ほぼ、ボッチとも言える僕と彼女はつり合いもしない。


 それなのに・・・。


 僕だって男子の端くれ。襲われでもしたらと考えないのだろうか。


 男子とすら思われていないのか?


 まあ、神聖すぎて手を出すなんて考えもしないが・・・。


 信頼されている?


 単なるヘタレ認定?


 サッパリわからん。答えが出ない。


 古谷三洋は悶々とした気持ちで悩み続けるのだった。


「ただいまー」


 玄関から八島鈴の元気な声が聞こえてくる。


 帰ってきた!


 廊下をパタパタとスリッパで走る音が響いてくる。


 学校では慌てて走るような女子では断じてないのだが・・・。


 クラスでの彼女と家での彼女。どうもイメージが違うんだよな。


 キッチンにつながるリビングのドアがバタンと開かれた。


「ねっ、知っている。古谷くん。大事件だよ!生徒会長の星宮花蓮(ほしみや かれん)先輩とクラスメイトの山根浩二(やまね こうじ)くんが、できちゃっているらしい」


 そうだった。噂は学校中に広まったのか。こっちはこっちで七不思議。世の中わからないものだらけだぞ。が、それ以上の大問題が。


 ほぼボッチの僕が、独りでお弁当を食べると考えるのはしかたないけど・・・。


 話題の山根浩二と星宮先輩に見られたんだぞ。『LOVE』だけならまだしも、その下のメッセージまで。


 お弁当の作成者が丸わかりだ。


 うかつなのは僕かもしれないが八島鈴、悪戯が過ぎる。


 僕は振り向きもせず、お弁当箱を洗う。お弁当箱の底に書かれた文字が消えない。


『私を拾ってくれてありがとう。八島鈴』


 しっかりとフルネームで記されているそれ。自爆だよな・・・。トホホな気分だ。


 僕は山根と星宮先輩の言葉を思い出す。


「古谷!お前、本当に風邪だったのか?八島さんも昨日は休みだったぞ」


 くっ、山根のやつ。八島さんの休みもチェックしていたか。デブのくせして細かいやつだ。


「ふーん。学園の神聖ヒロインも隅に置けないわね。コウちゃん、私も負けられないなー。やっぱり愛妻弁当は基本だよね。うん。私も、コウちゃんのお弁当を作るから」


 星宮先輩の知的な瞳が、メガネの奥でキラリと光る。


「花蓮、ちゃかすな。古谷、後で納得のいく答えを聞かせてもらうぞ」


「他人のことよりも私のことはどうするつもりかな。楽しんだ責任はちゃんと取ってくれるのよね。コウちゃん」


 星宮先輩はニヤニヤしながら意味深な横やりを入れる。美人のニヤケ顔ってけっこう怖いかも。


 って、山根!楽しんだのか?お前、責任を取らなきゃいけない楽しみって・・・。マジかよ。デブ・・・、妄想するだろが!


 うほっ。周囲から呻き声が聞こえてくる。食堂の男子の何人かが死んだぞ。断末魔の怨念の渦が・・・。生きた心地がしないぞ。


「いいなずけって認めているのだから問題ない」


 途端にポッーと顔を赤らめる星宮花蓮先輩。


 鉄の心臓か?開き直る山根の強気の答え。これって学園のマドンナの方が、山根に惚れているって構図だよな。そんなバカな・・・。


「俺の方は置いといて。で、どうなんだ。古谷」


 ぐぐっと山根が僕の方に身を乗り出してくる。


「なんの話かな?」


「とぼけきれるとでも思っているのか!」


「・・・」


 星宮先輩の言動いかんでは話をうやむやにできると期待したがムリらしい。山根は思いのほか頑固だ。


「わかった。正直に話す。だが、そっちの話も教えてもらうぞ」


「ああ、お互い隠し事はなしだ」


 いつの間にか好物のラーメンを食べ終えた山根は、シュークリームをムシャムシャと口に運ぶ。


 山根の口の端についたクリームに星宮先輩の手が伸びる。彼女はまわりを気にすることなく、平然とそれをすくい取って自分の口に入れた。


 山根は星宮先輩を睨みつける。彼は口を開こうとしたが、諦め顔で言葉を飲み込んだ。


「私も聞きたいなー。そうだ。明日、四人でカラオケに行こうよ。ねっ、楽しいよ。秘密の話もできるし」


 こうして僕は八島鈴を、カラオケに誘い出さざるをえない状況に陥(おちい)ったのだった。

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