第13話 八島さんの旦那になる男は幸せもんだ
トントンと野菜を刻む音。微かに漂うベーコンが焼ける香り。
一階の台所で忙(せわ)しく奏(かな)でられる音を聞きながら古谷三洋(ふるや みひろ)布団に中でまどろんでいた。
んっ?
母さん、帰ってきたのか?
パタパタとスリッパで階段を登ってくる音に耳を傾ける。
「古谷くん、起きて。朝だよ」
かけられた声の方を向いて目を開く。眠りを貪っていた目に飛び込んでくる顔。
「やっ、八島さん」
眠気がぶっ飛ぶ。心臓がドクンと跳ねる。
八島鈴(やしま れい)の美しい顔が、朝のカーテン越しの柔らかい光を受けて輝いている。
「朝ご飯。冷めちゃうよ」
制服にエプロン姿の八島鈴がにっこりとほほ笑んだ。
そっか、八島さんが僕の家にいるんだ。
一晩明けて、昨日までのことが夢のように思える。
学園の神聖ヒロインと呼ばれ、僕なんかが近づく事さえ許されなかったような美少女が目の前に立っている。
僕は八島鈴と暮らしているんだという、事実に実感が追いつかない。
ヒュー。
一階で笛付きのケトルが音を立て始めた。
「はやく着替えてきてね。下で待っている」
八島鈴は短めのスカートをひるがえして、パタパタと階段を降りていった。
部屋の中にシャンプーの香りと微かな甘い香りが広がっていく。彼女の長い髪がふわりと広がった光景が目に焼きついている。
「なんか現実感がないんだよな」
僕はモゾモゾと起き出してパジャマを脱ぎ、制服に着替えた。
・・・・・・
炊き立てのご飯に、昨日食べたたくあんの残り。端が少しカリカリになったベーコンと半熟目玉焼き。湯気をたてる野菜の具沢山おみそ汁。旅館の朝食みたいに完璧に仕上がっている。
「朝からちゃんとした食事がとれるなんてビックリだな」
八島鈴は古谷三洋(ふるや みひろ)の第一声と、食卓に並ぶ料理に満足した。
「冷蔵庫の中、なんにもないんだもん。昨日、買っておいた」
住まわせてもらっている以上、これくらいは当然だとも思うが、本当は彼の喜ぶ顔が見たかった。
「八島さんって、見た目から想像できないくらい家庭的なんだな」
「古谷くん。見た目は余計じゃない。褒めるならちゃんと褒めて欲しい」
髪を切った古谷くんは、すっかり爽やかイケメンくんに変身している。でも、ちょっと頼りない。性格までは変わらない。
・・・・・・
古谷三洋はぷくっとふくれる彼女の姿がかわいらしいと思った。が、面と向かって褒めるのも気恥ずかしい。
彼は目を逸らして、ご飯をかっ込む。
「うまい。最高だ!」
「こらっ、古谷くん。ちゃんと手を合わせて『いただきます』が先でしょ」
「うっ。八島さん。母さんみたいだぞ」
今度はポッとほほを赤らめる八島鈴。笑ったり、ふくれたり、顔を赤らめたり。コロコロと顔を変えるのは今時の女子高生らしい。どの顔もとてもキュートだ。
二人で向かい合い、ちゃんと『いただきます』を言って食事を再開する。
椀の中でみそ汁のおみそが湯気と一緒にフワフワと動いている。
メッチャうまそうだと古谷三洋は思う。これぞ和食の定番。朝飯はやっぱり和食に限る。
が、彼は面倒なので独り暮らしを始めてから、朝はずっとバターロール。トーストするのも煩わしいと思っていた。
口をつけて一口すする。香ばしい香りが鼻を抜けていく。
「プロ並みだな。八島さんの旦那になる男は幸せもんだ」
つい口をついて出た言葉に八島鈴が反応する。
「いっそ、結婚しちゃおっか」
「えっ」
「冗談。日本の法律では男子は十八歳迄結婚できないよ」
古谷三洋の動揺を知る由もなく、もう一匹の同居者が僕の足元でミルクをピチャピチャとなめていた。
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