第3話 熱があるんじゃないか

 ドサッ!


 玄関から大きな音が響いてくる。


 今度はなんだ!


 古谷三洋(ふるや みひろ)はお風呂場で、泥だらけだった子猫にかけていたシャワーを止める。


「どうした。大丈夫か」


 玄関に向かって声を掛けるが返事がない。バスタオルを敷いた脱衣カゴに、濡れた子猫を入れてもう一度声を掛ける。


「大丈夫なのか」


「ちょっと目まいがしただけだから」


 弱々しい返事が返ってくる。


 急いで玄関へと戻ると八島鈴(やしま れい)が赤い顔をして床に座り、うつむいて浅い呼吸を繰り返している。


 首筋には、ほんのりと汗の玉が浮いている。


「熱があるんじゃないか。雨になんかあたるからだ」


 彼女の額に手を伸ばす。


 熱い!!


 慌てて、彼女をお姫様抱っこする。少し気まずいとは思ったが、かまっていられるものか。彼女の体を抱えて運び、リビングのソファーに横たえる。


「救急車を呼ぼうか」


「少し休めば大丈夫だから。でもちょっと寒い」


 顔色が真っ青だ。


 どうすんだよ。頭が回らない。


「毛布を取ってくる」


 今度は階段を駆け上って自分の部屋に走る。が、今朝までくるまっていた自分の毛布しか見あたらない。


 ぐっ。家族の部屋を探している時間なんてないよな。


 えーい。緊急事態だ。気にするな。


 ベッドから毛布を剥ぎ取って戻ると、彼女はソファーの上で小さな寝息をたてていた。


 ふっー。


 顔色もさっきよりはましだ。一まず大事はないようだ。


 俺は自分の毛布に鼻をつけて匂いを嗅ぐ。


 別に臭くはないよな。


 その時、古谷三洋は自分の匂いに本人は鈍感になっているというミスをおかしていた。


 自分の毛布をそっと彼女にかけてあげて、起こさない様に静かにその場を離れる。


 つるりとした柔らかそうなほほ、ツヤツヤの髪。規則正しく寝息をたてている小さな口と胸元。スカートから伸びる細くてしなやかな生足。


 一瞬で目に焼きついた光景が頭から離れない。なにかしていないと落ち着かない。


 再び戻って子猫を拭いてあげ、家の中に放つ。玄関のドアを閉めたから逃げ出すことはないだろう。


 買い置きの風邪薬を探し、湯を沸かして蒸しタオルを作る。ジャージの上下を準備して彼女のもとに戻る。


「ごめん。汗を拭くぞ」


 返事がないが呼吸は苦しそうじゃない。眠っているだけだ。


 意を決して蒸しタオルを彼女の額にあてた。ほんのり浮いた汗をぬぐい取りながらほほへと移動する。


 ちっちゃい顔してんなー。まつ毛長いし。形の良い鼻とやわらかそうな唇。


 ついつい手が止まって見惚(みと)れてしまう。


 なにやってっかなー、僕。


 形のいいあごを押さえて首筋に蒸しタオルをあてている時に、彼女が目覚めた。気まずい。めっちゃ恥ずかしい。


「ごめんなさい。私、寝てた」


「言っとくが変なところを触ったりとかしてないからな。顔と首を拭いただけだ」


 彼女の顔が赤いのは熱のせいだよな。じゃないと僕にも立場というものがある。


「・・・」


 なにか言ってくれー。益々、気まずくなるじゃないか。


「ありがとう」


 ふー。助かった。


「ゆっくり休んでくれ。薬と着替えを置いとくから」


「うん」


 彼女はソファー脇に置いたジャージと風邪薬に目をやる。


「古谷くんって優しいんだね。それに頼りになる」


 彼女は毛布の端をつまんで顔を隠してしまう。くっ、愛(いと)おしすぎる。ガサツな妹とは大違いだな。


「僕、ちょっと体温計とスポーツドリンクと子猫のエサを買ってくるから。他になにか欲しいものがあったら言ってくれ」


「バニラアイスが食べたいかな」


 彼女は毛布からつぶなら瞳をのぞかせて答えた。


「わかった。買ってくる。僕のおごりな」


 彼女の瞳がやわらかく微笑んでいる。


 よし、大事はなさそうだ。僕は胸を撫でおろして買い物に出かけた。

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