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アユに道案内をさせる。見る景色に被さる地理情報とカーナビのようなルートガイドが説明を受けたにも関わらず近未来を感じさせた。ターゲットは現在、静止しているとの事で急ぐことはないらしいが足早になる自分には気付いていた。

案内される事4、5分で着いたのは最下層から5階、壁がガラス張りでロンドンの時計塔みたいな建物が良く見える広間だった。

そこに人型生物がベンチに腰掛けていた。ボロボロではあるものの紺のコートを着込み、茶色のズボンに丈夫そうなブーツを履いている。肌は筋肉組織が薄く見えており顎からは皮膚が溶けたようにうすくぶら下がる。その容姿はかつてエジプトで見たミイラの姿を彷彿させる。幸いにも目が閉じられ私の動揺を静める時間が取れた。

「すまん、あの…」

その声を掛けた瞬間に目が薄く開けられた。

「あんたがここの住人?」

人の見た目はしていない。言葉もわからないのかもしれない。しかし彼(彼女かもしれない)に頼るしかない。私が言葉を掛けてしばらくすると目が完全に覚めたのか私と目が合うとその身体が飛び跳ねた。驚いたのだろう。

「あ、あなた、は」

酷く低く掠れた声を出した。

「言葉が分かるのか。良かった。俺の名前は対馬明衣。学者だ」

「はかせ、か」

「博士……になれるかも知れないね」

「よわ、名前は、知らないが、言うなればアウトサイダー」

『よわ』は『余は』か。

「あんたはアウトサイダーなんかじゃない。少なくとも霊長目ヒト上科に値する特徴を保持している」

彼の見た目はともかく今の発言は紛れも無い本心だ。

「怖く、ない、か」

「怖がる要素なんてない」

少し落ち着いてから幾つか質問をしてみると、途中考え込む事はあっても出来るだけ応えてくれた。彼は自分の事を男だと思っており、子供の記憶は無い。今まで住んでいた城の生活に飽きて地下世界を徘徊しているらしい。その城は無人で内部に存在する図書館にいたらしいが訳あって帰れないとのことだ。帰還予定時刻までは何時間かある為、付き合ってあげる事にした。

「で、では、行こう」

彼は猫背で大股ではあるものの直立二足歩行を行い、何かに引き寄せられる様に意外と長い手足を同時に動かした。

「ど、どこから来たんだ」

こちらを見ずに聞いてきた。

「八王子から。あんたは?」

「今、行く所」

「そっか、ごめん」

私は洞察出来なかった事を詫びたつもりだったが、本人には理解出来なかったらしく。首を傾げた。

「学校行ってない感じですね。そこら辺、直接聞いてみたらどうです」

アユが突然話しかけてきた。しかし、ここで答えるとまた首を傾げられる気がして無視した。確かに学校には行っていない。城に住んでいていまは図書館が住家。不思議な人だ。

彼は恐らく下に続くであろう落とし戸の隣でうずくまった。

「開けてくれ」

相変わらず聞き取りにくい声でそう言う。縁の小さな出っ張りを引いて戸を上げると梯子が出てきた。

「頼んでしまい…ごめんなさい」

「そこは感謝を言うべきだぜ」

「…ありがとう」

そう言うと穴に頭から入っていく。

「あ、そうやって降りるんだ」

完全に姿が見えなくなった所で言葉を吐いた。

「今の感謝は心から言ったのかな?」

すると頭の中に直接声が反響する。

「『感謝』の言葉を言ったまでですね。『中国語の部屋』でしょうか」

理想の返事が来た。中国語の分からない人を部屋に閉じ込め、中国語の辞書を渡す。そして中国語で脱出の仕方の書かれた紙を渡して訳させる。当然この人は脱出出来るだろう。しかし中国語を理解したのだろうか?この問題は大昔のジョン・サールという哲学者が出した思考実験だ。彼はこの問題で意識について説いた。ちなみに彼が言うには中国語をこの人は理解していないらしい。

「あの方は元人間とかじゃなくて本当に単なる化け物なのかも知れません。人間の真似をしているだけであの声も、彼にとっては鳴き声なのかも」

一理ある。

「でも理解の定義は曖昧だし、日本人のだいたいはなんとなくでアメリカの奴らと会話してるだろう」

「肯定します」

梯子の下はもっと下る階段になっていてその先には巨大な図書館の様になっていた。古めかしい本がびっしりと陳列し、机と椅子が幾つかある。謎の光を放つ赤い水晶が電球の様に壁や天井に散りばめられ、読書をするのに支障をきたさない程度の光度が保たれている。一瞥すると日本語の本しか見当たらないが様々なジャンルが一堂に会する。

「ここの本は…流石に無いか」

遺跡に関する書物は見当たらなかった。しかし、本自体は新しいものがあるようで、私が偶然手に取った小説本は2000年発行だった(これ以上新しい日付けの本は無い)。

さて、さっきの生物に目を向けると忙しなく麻袋に本を詰めていた。覗いてみると私には一切縁のない科学系のものや礼儀作法についての本ばかりだ。

「勉強熱心なんだね」

「知りたい事は、まだ、たくさん、ある」

今更のような気がするが彼がどうやって言語を習得したのか気になるので質問すると、幼少期に誰かから話し方、本の読み方を教わったとの事だ。

「用は、済んだ。行こう」

来た道を戻るとさっきの梯子の裏に扉があった。梯子が出入口などおかしいと思っていたので尋ねると鍵が掛かっているのだと言う。ドアノブを捻ると確かに鍵が掛かっているようでビクともしない。

梯子を登りきった時に私は不意に名前を聞いた。『アウトサイダー』と名乗ったものの、そう呼ぶ事に抵抗があったからだ。初めはアウトサイダーでいいと彼は言ったがやがて俯きつつ応えた。

「黒須飛鳥。余の名称」

「ありがとう、教えてくれて。では飛鳥と呼んでもいいかい?」

「う、うん。好きなようにしてくれ。でも、ごめんなさい。誰から聞いたのかは、思い出せない。だから、正確な名前ではないのかもしれないのだ」

「やめてよ、ごめんなんて。申し訳ない気持ちを伝えるのは結構だがもうこちらは何もかも受け入れるつもりなんだ。飛鳥には今の感謝を受け入れて欲しかったな。感謝こそ人間の持つ最大の美だからね」

「美、か。何が、素晴らしいんだ」

「感情。と言った所かな。人間しか持たない素晴らしい特性だと思う。あくまで個人の考えだよ」

「職業は学者と言ったな。何を研究している」

「歴史だね。興味を惹く時と場所の研究だよ。今は勿論ここに興味がある」

そう、『今は』だ。昨年までは第二次世界大戦の史跡を回っていた。本格的に現在の研究に取り組むようになったのはここの存在を知ってからの事だ。

遠くの建物に四人程の人影がある。手を振って大声で呼ぶとこちらにすぐ気付いて何かを言っている。何だか聞こえにくいが表情から必死な事はわかる。そこでアユから通信が入った。

「匍匐生物です。注意してください」

「やけにスムーズに来たと思ったらこれかよ。そろそろ出ると思ったんだ」

「誰と、話している」

「あんたには見えない妖精だよ」

「そうか、わかった」

匍匐生物は居場所を知っていたかのように目の前に飛び出してくる。

銃を向けるが黄色い猫目で凝視するだけだ。

「嘘だろ。逃げんじゃねーのかよ」

「逃げるべきは我々では?」

背中を向けて全力疾走。アユに狭い路地を教えて貰い、私の後から彼が続く。しかし上手く撒けるのはフィクションの世界だけで障害物を置いても無視して突進してくる。上方に逃げて橋の上に来たが希望な無かった。途中で切れていたのだ。

「平敦盛かな。まさか人生でこんな経験するとは思わなかったぜ」

「あかは、よく喋るな。楽しい奴と、会えて嬉しいぞ」

恐ろしい形相で迫り来る匍匐生物に銃口を向けるとすかさず引き金を絞る。しかし銃の無い平和な国の国民だからだろう。私は無様にも射撃の衝撃を吸収出来ず倒れてしまった。その時彼は直ぐ横にいたが発砲音で驚いてしまい、目を見開いてたっていた。

「俺、死ぬの?」

アユに言ったつもりだが、返事をしたのは紺色の飛鳥だった。

「死ぬな」

何か無いか辺りを見回すと丁度真下に巨大な池、プールが見える。

「アユ、行けるかい?」

「そのデバイスは防水使用ですのでどうぞご自由に」

期待した答えではないが一か八かだ。

「黒須。飛ぶぞ」

匍匐生物はあと10メートルといった所で飛ぶ。というより落ちた。背後に迫る荒々しい吐息に怯えていなければこんなに早い決断は出来なかったろう。

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