第4話 3.抜き身と鞘(東日本女子個人選手権)

3.抜き身と鞘(東日本女子個人選手権)


 黒澤映画「椿三十郎」1962年(昭和37年)で、

 主人公の椿三十郎を評して、城代家老の奥方はこう言う。


 「あなたは、なんだかギラギラしすぎていますね。抜き身みたいに。」

 「まるで、鞘のない刀のような人。よく切れます。でも、本当にいい刀は鞘に入っているものですよ。」


 東日本女子個人選手権となれば、明治のOさん、中央のYさん、そして青学のOKさん。彼女たち三つ巴の戦いだと思っていました。

 慶応のWさんや国士舘のIさんは女子部員が一人であるため、防具練習、特に組み打ちの練習がほとんどできない(だろう)。また、日大は練習時間や場所の関係でやはり防具の時間が少ない。

 ところが、当日のプログラムを見た限りでは、中央のYさんはケガのためか出場されないらしく、明治のOさんと青学のOKさんとの決戦を主催者も想定して組んだようでした。


 結局、このお二方がやはり決勝戦で戦うということになったのですが、試合の直前まで、優勝は明治と、私は思っていたのです。

 というのは、明治のOさんは順当に勝ち上がって来ました。しかし、青学のOKさんは、特に㉓・㉗・㉙の試合で苦戦していたからです。苦戦とは、彼女の技量が足りないというのではなく、その戦うスタイル・態度が「横綱相撲」であるが故に、苦しい(体力を消耗する)戦いを強いられたということです。


 この方が2年生・3年生の時の全日本学生拳法選手権(全日・府立)における戦いぶりをYouTubeで見ると、また、今年の各大会での戦いぶりをこの目で見ても、一言で言えば、非常にどんくさい。

 つまり、相手が面突きで勝負を仕掛けてくれば面突きの連打で応え、組み打ちで攻められれば、決して逃げないで正面からこれに対抗する。

 どんくさいというのは、非常に真面目ということです。真正直な拳法というか、その性格に裏表がないというのがよくわかる。横綱でありながら、体を躱したり(相手の突進を避けたり)、小手先の技術でごまかしたりする白鵬とはちがう。かつての大横綱北の湖のように、「相手に胸を貸して」勝つ、真の横綱相撲といえるでしょう。


 一発(1分程度)で勝負が決まることが多い相撲と違い、日本拳法の場合2分とか3分間の戦いで、しかも一日に4・5回の戦いで勝ち登っていく。この数回の戦いすべてにおいて、相手(の拳法スタイル)に付き合うというのはかなり疲れます。

 ですから、ほとんどの人が自分の拳法スタイルで勝とうとする。明治のOさんや慶応のWさんにしても、組み打ちを仕掛けられても相手にしないで、なるべく自分の得意とする突きで勝負しようとする。

 ところが、青学のOKさんは、相手が組んでくれば、それが三級でも初段でも真正直に組み打ちで受けて立つ。これに耐えながら、なんとか面突きや蹴りで一本をもぎ取ろうとする。だから、彼女の戦いは非常に体力を消耗するはずなのです。

 

 決勝戦の数十分前、会場内を歩く明治と青学のお二人を、たまたま、別々にですが見ることができました。

 明治のOさんは、いつもそうなのでしょうが、疲れた様子もなく穏やかで落ち着いた様子。彼女の試合はAコートばかりで、警視庁の試合を追ってBコート主体で観戦していた私はあまりOさんの試合を見られなかったのですが、組み打ちで体力を消耗するということは、ほとんどなかったのではないだろうか。

 さて、対する青山学院大学OKさんといえば、前述したように苦戦続きで、いわばボロボロになって、やっとこさ決勝までたどり着いたという印象でした。ところが、斜め後方から一瞥しただけなのですが、私の前を通り過ぎた時の彼女に、なにか「ギラリ」とした凄みを感じたのです。熊というよりも虎、虎というよりも狼の気迫。シートン動物記の「狼王ロボ」を思い出しました。


 姿三四郎とアメリカのボクサーとの一騎打ちが始まる前、司会者は満場の観衆を前にこう叫びます。「山雨至らんとして風、楼に満つるの該」(黒澤映画「続・姿三四郎」)。

 激しい闘志という気迫(風)が充満し(吹きすさび)、強い雷雨をもたらす予兆を感じさせると言うのです。


 日本海海戦で、戦艦と戦艦がくっつきそうになるくらいの激しい戦いであったということを、参謀秋山真之が「舷々相摩す」と形容しました(連合艦隊解散の辞)が、まさに、それくらいの激しい戦いになるだろうという予感と期待は、この日、私が最も興奮した一瞬でした。


 結果は、OKさんが2/0で勝利しました。

 今年6月の第32回 東日本学生個人選手権大会における中央のYさんの如く、今度は青学のOKさんが「明治に明治の拳法をさせない」で勝ったのです。

 6月の大会でYさんは、蹴りをするフリや頭から胴めがけて突っ込んだりして明治のOさんのリズムと攻撃スタイルを崩し、Oさんに自分の拳法を全くさせませんでした。武蔵の言う「枕をおさゆる」(岩波文庫「五輪書」P.84)です。

 ところが今回、青学のOKさんは、そういうことはやらず、ただただ前進してOさんを圧倒しました。前進によって、Oさんの華麗な円運動や間合いの外から長駆疾駆して飛び込んで突いてくる、彼女の得意とする騎兵的な攻撃を封じてしまった。

 OKさんは組み打ちで押さえ込んだのでもないし、中央のYさんのような様々な牽制で相手を「うろめかした」(「五輪書」P.101)のはない。前進と気迫によって「けんをふむ」(「五輪書」P.89)ことで、Oさんの拳法をさせなかったのです。


 私が驚いたのは、青学OKさんの体力です。

 ㉓(対東洋Sさん)や㉙(対明治Kさん)との戦いで、彼女たちの組み打ち攻撃を真正直に受け止めて戦ったOKさんは、かなりの体力の消耗をしたはずです。両方の戦いは、共に2/1での勝利でしたから、きわどかったのです。それでもなお、彼女は決勝戦で自分の拳法スタイルを貫いた。

 拳法の巧拙(うまいへた)・駆け引きの巧妙さ・拳法スタイルの切れ等々、優れた日本拳法というものには、いろいろな面があるでしょうが、どんな相手にも胸を貸すが如く、相手の拳法を受け止めて前へ出て戦うというOKさん固有のスタイルは、横綱級といえるでしょう。


 軽佻浮薄に流されず、小手先の技術を弄せず、時流に流されず、ただひたすら自分の拳法をし、自分の本性を追求する。

 実際、部員や防具練習の機会の少なさを補うために、防具を担いであちらこちらの大学巡りをし、移動中の電車の中では吊革につかまらずに足腰の鍛錬をする(と、彼女の同期の男性が青学のブログに書いている)。

様々な問題や障壁を放置せず、自分の頭と器量、そして行動力で解決していく。授業や私的交際の自己管理、他校との交渉・外交能力を、真面目に一つ一つこなす。


 外交能力とは、たとえば、他校では警視庁の人が練習に来ると、そのブログで「本日、警視庁から○○さんがお見えになりました。お忙しい中、ありがとうございました。」と、単に書くだけです。

 ところがOKさんの場合、青学に練習に来た警視庁のおっさんを引っ張り出して「府立へのカウントダウン」写真撮影に参加させてしまう。物腰はマイルドでも、心は強引で強情っぱりなのかもしれません。芯が強いというか交渉力があるというか、商社マン向きです。



「青山学院大学日本拳法部」という型・枠に敢えて収まろうとせず、自分自身の(拳法)スタイルを(自分に)求めて、様々な大学(の日本拳法部)へ武者修行に出かける。

つまり、この人は「道を求めて止まざるは水なり」の如く、既製(出来合)の型にはまらない真の自分の形を求めて、やがて「騎牛帰家」するまで流れ続けるのかもしれません。



 全ての問題を解決し、公務員の口を辞し、何処へか去って行こうとする椿三十郎は、若侍たちにこう言います。

「おい、おまえたちもおとなしく鞘に入っていろよ」

「公務員という枠に収まっていれば、食いっぱぐれはねえんだ」という、なかば侮蔑した言い方ですが、それも一つの生き方です。


 ギラついた抜き身のように積極果敢で勇猛な心を持ちながらも「形より出でて形より出でよ」と、律や礼は蔑ろにしない。椿三十郎とちがい、鞘に入ろうと思えばいつでも入れる器量を持つ人なのですから、若いうちは精一杯ギラついていればいいのです。

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