第3話 2.手を翻せば雲となり、手を翻せば雨

2.手を翻せば雲となり、手を翻せば雨


月に叢雲花に風(つきにむらくもはなにかぜ)とか、好事魔多しと申します。

 大学卒業後40年ぶりに、二階の観客席ではなく一階の試合会場をうろつき、各校の選手やマネージャー、監督やOBたちを眺める時間を独り、のんびりと楽しんでおりました。

 「あれが○○○のマネージャーか。彼女が1年の頃ブログに掲載されていた写真と違い、4年生の今は随分おとなになったというか、貫禄がついたな」なんて、全く関係ない学校の、一度も話したこともなければこれからも話すことなどない人であっても、旧知のように思えてしまうから面白いものです。


 しかし、そんな幸せな気分でいるときこそ、災難がやってくるもの。

 なんと15メートル先に、東洋大学日本拳法部OB会会長がこちらに向かって歩いてくるのを発見したのです。ここであったが百年目。30年間、溜まりに溜まったOB会費を請求されでもしたら一大事。

 ゼロ戦のパイロットで、米国の戦闘機乗りたちからは撃墜王と懼れられ且つ賞賛された故坂井三郎氏は、「ゼロ戦の操縦技術以上に、いかに敵機を先に発見するかが勝負の極意である」と仰っておられました。8,000~10,000メートル先の敵機を発見するや、即座にその下方や上方、或いは後ろに回り込み、そこから奇襲して一撃で仕留めるのが最善の戦い方であり、組んずほぐれつの空中戦など、見た目は派手でカッコいいかもしれないが、戦い方としては下策なのだそうです。


 さて、敵はどうやらまだ私に気づいていないらしい。私は即座に大会のプログラムで顔の左半分を隠し、十時の方向からこちらに接近する敵を左前方に見ながら、人混みに紛れて二時の方向へと足早に歩く。

 そして、会場入り口の柱の陰に身を寄せて、敵の死角に入ります。


 ところが、「ああ、危なかった」と胸をなで下ろしていると、

 「おい、平栗じゃないか。」という不気味な声が後ろからかかる。

 さすが昭和45年に全日本で優勝(軽量級)した当時、この方の強さの一つは目の良さにあったと言われていたほど。なんと、私が会長を発見する前に、既に私を見つけていたようです。


 会長は、まるで優しい慈父が愛する子供を抱きかかえるが如く、私の側に寄り添い「久しぶりだな、いま何をしているんだ」と、愛情あふれる目と温かい言葉でご下問されます。

 「いやー、プログラム読んでたんです。」

 「ばか、なんの仕事をしているんだと聞いとるんだ。」

 「はあ、無職です。ま、プー太郎と言う奴ですな。」

 その瞬間、アーラ不思議。私にピタリと寄り添っていた会長は1メートルも離れた所に立っているではないか。しかも、その顔が青ざめて見えるのは、会場の照明のせいだろうか。


 なるほど、これがOB会長の強さの秘密「キング・クリムゾン」という時間を飛ばすスタンドか。 → 「ジョジョの奇妙な冒険56巻」

キング・グリムソンでは、この世の時間は消し飛び、人は時間の中で動いた足跡を覚えていない。「空の雲はちぎれ飛んだことに気づかず、消えた炎は消えた瞬間を認識しない。」時間の消し飛んだ世界では、動きは全て無意味となる。OB会長はこのスタンドによって日本拳法が強くなり、全日本で優勝されたのです。


 「なに! で、今どこに住んでるんだ。」

 「まあ、ホームレスですから、どこでも我が住まい。暫くは月と影とを伴いて、行楽須く春に及ぶべし、というところですな。いまは冬ですけど。」 

 その瞬間、今度は5メートルも向こうに会長のお姿が見えるのですが、もはや顔面蒼白。こんな貧乏人に声なんかかけるんじゃなかった、という慚愧の念が顔ににじみ出ています。

「・・・しかし、ホームレスには見えないが。」

「クラーク・ケントはトイレで着替えてスーパーマンに変身する。私は公衆便所で着替えて、裏に隠した自転車に乗って空き缶やペットボトルを拾いに行くんです。」


 これを聞いて気絶寸前のOB会長は、日本拳法で鍛えた精神力でなんとか言葉を絞り出し、間合いを詰めようと模索します。

 「・・・そうか。・・・まあ・・・たまには・・・クラブの練習にでも・・・顔を出したらどうだ・・・。」

 「しかし先輩、OBがホームレスというんじゃ、青少年たちのやる気が失せてしまうんじゃないんですか。妻なし家なし金もなし、ですから。」と申し上げると、

 「うーむ、それもそうだな。」なんて、腕組みをして渋い顔。もはや拳の打ち合いでは絶体絶命。こうとなれば、今度は組み打ちで逃げにかかるしかない。

 「そういえば、おまえの一つ下の小山(こやま)が埼玉の深谷で飲み屋をやっていて、同期の安本がよく行ってるらしいぞ。おまえも行ってみたらどうだ。」

 そこで私は、待ってましたとばかりに、

「先輩、ごっつぁんして下さい。」と、得意の膝蹴り(ごっつぁん攻撃)で応戦。


 10年前の「東洋大学日本拳法部創部50周年」の二次会では、私が1年の時の4年生であった松本先輩にこれを仕掛けたところ、「ばかやろう、誰がおまえなんかに。」と、(言葉で)直面突きを食らいましたが、さて今回は、

「うーん、そういうことは小山と相談してくれ。」と、うまく体を躱(かわ)されてしまいました。


 さすが全日本優勝者にしてOB会長。

 勝機と見れば15メートル先からでも急接近。だが、吉事ならぬ凶事となれば、「君子危うきに近寄らず」「知者は惑わず勇者は懼れず」、恥も外聞も忘れ、誹謗も中傷も懼れずに退却する。まこと兵法の理に適った対応であります。

 「手を翻せば雲となり、手を翻せば雨」

 人の世の無常、人生の機微・処世の妙を、この歳にして、改めて学ばせて頂きました。


 で、最後はいつもの切り札「あー、そうだ! ちょっと、うち(東洋大学のブース)へ行ってくる」なんて仰りながら、木枯らし紋次郎の如く、会長は私の前から消え去ったのであります。


 ところが、数分経つと、遠くの方から「じゃ、俺は帰るから、後は・・・。」なんて言葉を残し、今度はそそくさと会場から立ち去ってしまいました。

 震災があると、一応、被災地に顔だけ出しておくという、どこかの国の首相のようなものです。


 いったい、東洋大学というのは情熱がないというか地味というか陰気というか、今ひとつ盛り上がらない。熱くなるとか、執着するとか、一発ぶち上げようぜ、なんてノリがない。何事も淡々とやる、というのが東洋が旨とする質実剛健というもののようです。


 世の中には、棺桶に片足突っ込んでいるくらいの御大が、そのご高齢にもかかわらず、足繁く大学の練習に通い、真っ白な道着を着用して指導をされているところもある。他の大学が合同練習に来たりすると、自身で防具まで着用して稽古をつけてあげるくらい、旺盛なサービス精神を発揮する。公式試合ともなれば、会場で若い選手たちと一緒になって何度も円陣を組んで大声を上げている。

 武蔵は「良き頭領とは、人の使いどころをわきまえ、人のやる気を起こさせ、気を以て組織の励みをつけ勢いを増す」と述べています。トップにある人が、ただ担がれるだけの神輿(みこし)にならず、神輿自身が下の者を盛り上げる働きかけをするようでなければ、組織は活性化しないのかもしれません。

 まあ、OB会費を滞納している者が何をか言わんやですが。


 今大会における新人戦では、円陣を組み大声を上げ、気勢・気迫・元気だけで、試合前すでに他校を圧倒する学校や、その半分の人数でありながらも、これを跳ね飛ばさんとする日大などが、周囲に強い印象を与えていました。宮本武蔵の言うように「大きな声」を出して敵を圧倒するというのは、とりわけ新人戦レベルでは、拳法の技術以上に大きな武器となるのではないでしょうか。

 私は、社会人になってから、道場や試合会場でのバカでかい声(を出した)という経験が大きな励みとなりました。会社や取引先との折衝の時、心の中でバカでかい声で叫ぶことで、けっこうファイトが湧いてくる。

 社会人になったら絶対にできないような馬鹿げたことを学生のうちにやっておくといいと思います。だいたい、人を思いっきりぶん殴って褒められるなんて、日本拳法の世界だけです。それと同じで、とんでもない大声を出して自身に気合いを入れることができる場なんて、今の世の中、どこにもないでしょうから、今のうちに精々「バカになって」声を張り上げておくべきでしょう。(40年前には、日曜日の上野公園のど真ん中で、声が潰れるまで大声を出していても、うるさいなんて言われませんでしたが、いまは警察署長の許可がないとダメとかいわれるんでしょうか。)

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