4章 芳野の仕事

   

 中学まではまともに通っていた。高校は入学一週間で辞めてしまった。最初に殺したのは担任の教師だった。

 理由は語る程のことでもない。ただの防衛行動で、人一倍人殺しの才能があって、人より常識のタガが外れやすかった。それだけだ。ナイフを首に刺したら死ぬとわかっていても、深々と突き刺すことへの抵抗感がなかった。

 たったそれだけなのだ。

 それを誰かが攻める権利も、否定する権利もないと芳野は思っている。全ては自己責任で、自らの選択と行動の結果、今の自分がいると考えている。

 だからこれからの依頼を達成することが報復行動という側面を持つのだとは、芳野はこれっぽっちも考えていなかった。傍からみたら、そう映るだろうなあ。という考えもなかった。毎晩悪夢にうなされることも、薬漬けにされた後遺症で薬が効きにくい体質になった為、睡眠薬も飲めない事も、全て自己責任であり、他者の所為ではない。

 目的地は廃ビルに挟まれた二階立ての小さな建物で、味気ないコンクリートの外壁にはヒビから生えたツタが絡みついていた。この場所は芳野の腕を切り落とした組織の本部である。今日は月に一度の総会の日であり、この建物には今、幹部クラスの人間が勢揃いしているという訳であった。

 入口は二つ。一つは通常玄関で守衛が二人。もう一つの通用口は通常玄関の真後ろにある。

 芳野が選んだのは、通常玄関からの強行突破だった。

「フツー、裏から行って確実に、じゃないの?」

 侮蔑の表情を隠すことなくぶつけてくる。芳野の答えは単純明快だった。

「全員やらなきゃいけないし。片っぱしから潰すほうが楽」

「うーん。まあ、先に表玄関を潰しておいた方が逃げづらいかぁ。外に露見して応援呼ばれるくらいなら……そうね。なんとかしましょ──芳野?」

 朝川が結論を出す頃、芳野は駆けだしていた。

 前傾姿勢で疾走。守衛の男たちが驚いている間にはもう、目の前だった。

 腰をひねり、遠心力を利用したラリアットをお見舞いする。首元に直撃。鈍い音がして、男の首が真後ろに折れた。もう一人の方を向く。男が拳銃を構える。芳野の眉間を狙って引き金を引く──はずの指が無くなっていた。

「なはっ?」

 男が不思議に思った時には、体が地面に転がっていた。芳野ではない。彼女も拳を握りしめたまま、目を見開いている。

 朝川が隠れていた茂みから出てきた。ストローを幾つも並べた様な、民族楽器のようなものを持っている。

「……吹き矢?」

「みたいなものかな。なかに筒状の小さな刃物を仕込んである。名付けてハモニカ砲」

「はあ」

 指を失った男の首元に、小さな金属片が刺さっている。中身が空洞になっているらしく、空気が血液と共に漏れ出して、泡になっていた。

 ──ああはなりたくないものだ。

 守衛たちの体を踏み越えて、ドアを蹴り開ける。傘置き場から適当に頑丈そうな傘を引っこ抜いた。

 二、三度振り回して見る。悪くない。それを持ち進む。八津坂から聞いた部屋の構造であれば、幹部クラスが揃っている部屋のはずだった。深呼吸を一回。そして、思いっきり扉を蹴り開けた。

 準備していたのか、数人の男たちが並び、こちらへ銃口を向けていた。一斉に銃弾を放つ。真横へ飛び、デスクを遮蔽物にするようにして回避。銃撃の鳴り止む一瞬を狙い、力任せに傘を投げつけた。端にいた男の目に刺さる。本当は威嚇のつもりだった。絶叫。相手側に動揺が広がる。芳野は駆けた。跳躍して刺さった傘をそのまま押し込んだ。目玉を突き破り脳に刺さり泡を吹き鈍い声を出しながら絶命。その姿に慌てふためく隣の男に、死体から奪い取った銃を口に突き入れ打ち込んでやる。貫通、壁に弾丸がめり込む。よだれと血液で橋が作られる。眼鏡をかけた男の胸を狙うが、はずれ。腕に当たる。そこで弾切れとなったので、投てき。相手が防ぐモーションをした隙をついて、がら空きになった顔面に正拳突き。鼻っ柱が潰れ、眼鏡のガラスが割れて目玉に突き刺さる。黒い液体が涙のように零れた。頭を刈り上げた男が銃弾を放つ。芳野の頬をかすり、後方の防弾ガラスにひびを入れる。頬に流れる血の熱を感じる。レインコートのフードがめくれて、顔が明らかになる。

「女?」

 とぼやく男の顎にアッパーカット。顎が砕ける音がする。男が手に握っていた銃がから弾が発射される。一発は芳野をかすめる。そこで脇腹に一撃を加える。もう一発の弾丸は蛍光灯に当たる。日の射さない部屋が一気に暗くなる。倒れた男の顔を、芳野は思い切り踏みつけた。

 そこで一息。体の鈍りを実感しつつ、肩と首をくるくる回す。

「おっそろし。まるで狂戦士ね」

 扉の前で、朝川が両の手をで体を抱きしめて、そんな感想をこぼした。

 暗くなった部屋の中、ひびの入った窓ガラスに映る自身の姿を見つけた。血みどろ池の中心。レインコートは赤く染まり、頬からは一筋の血が流れている。表情はヒビのせいでうかがうことができないが、ひどい顔をしているのだろうという想像はできた。

「あと何人だ?」

「あと二人。……これだけ騒いだのだから、すぐ来るわよ。八津坂をガッカリさせないでよね」

「三人だろ? 通用口に一人守衛がいるはずだ」

「ああ、そうね。ちょっと待ってて」

 朝川はそう云うと、曲がり角まで進み、何かを放り投げた。それからフリルのついた上着のポケットに手を入れる。その直後、曲がり角がフラッシュを焚いたように明るくなり、近くで何かが崩れる音がした。

「これで塞いだわ」

 おっそろしいのはお前のほうだ。芳野はそう思ったが、口に出すことはしなかった。面倒なのはキライだから。

 二階へ続く階段から足音が反響してきた。朝川は呑気そうに「がんばんなさいよ」と云って通常玄関のほうへ歩いて行ってしまった。

 芳野は少し考えて、先ほどの部屋に戻ることにした。

 扉をふさぎ、机の影に隠れる。足音が近づいてくる。壁一枚の位置に気配を感じる。足音の数は二つ。

「おい、こっちかな」

「かもな。しっかし誰だ、こんな真昼間から……」

「しかしこれじゃ俺たち、給料泥棒扱いされちまうぜ」

「いや、実際その通りだろう。まさか正面突破とはな……せめて犯人だけでもしめちまわねえと……」

 その声を聞いて、背筋が寒くなった。ないはずの腕に痛みを感じる。空虚な感覚。しかし、まぎれもなくそれは彼女の心を締め付けている。

 気がつけば、扉を蹴飛ばしていた。驚く登山バックを背負った男に扉がのしかかる。それを踏み台にして、もう一人──金属バットをもった屈強な男に拳を叩きつけた。

 が、それはすんでのところでバットに防がれる。しびれる肩の付け根。地面を蹴って、廊下の入口側へと後退。二人から距離をとる。

 今でも夢に見るのだ。見間違うはずがなかった。

「あっ」

 男たちも気づいたらしい。幽霊を見るような眼で、芳野を見つめる。

「性懲りもなく!」

 先に復帰したのは金属バット。助走をつけて、力任せの縦振り。芳野、バックしてこれを回避。床にひびが入り威力を痛感。もし当たったら──鮮明な過去の情景がフラッシュバック。それを振り払うように、無為に突撃。しかし気づく。これでは直情的すぎる。瞬間、何か鋭い痛みが右太ももに走った。

 銃弾だ。登山バックの男が射撃したのだ。それにも気づかないなんて──舌打ち。貫通したらしく、床に弾丸が埋め込まれる。痛みを無視して、無理やり後方へ回避。距離を取ろうとしたところを、金属バットの一撃が飛来した。右腕を持ち上げて防ぐ。バキィと、腕の内部、何か芯のようなものが折れたのを感じる。二の腕より先が命令を受け付けなくなる。

「くっ」ついでに舌打ち。

 右腕は役立たず。獲物のリーチが違いすぎる。間合いに入ろうとすれば銃撃があって、間合いに入れたとしてもバットの一撃が飛んでくる。遮蔽物も少なく、防ぐ手段もない。勝つ手段があるとすれば──。

「なあ姉ちゃん。どうしてこんなことをするんだ」

 金属バットの男が構えを崩さずに尋ねる。芳野は答えない。

「復讐か、それとも金か。よく見りゃいい義手じゃねえか、そんなものを手に入れてまで、何がしたいんだ」

 芳野は答えない。

「せっかく殺し屋なんて糞みたいな仕事から抜け出せる機会だったんだ。どうしてだ?」

 それはきっと、単純な疑問だったのだろう。だが芳野にとってそれは、愚問というに他ならない。

「だったら」

 体を前傾姿勢に。目を男の顔に向ける。

「なぜお前たちは人を殺す」

 逆に尋ねられたことに男は動揺し、空に目を向けた。少し考え、こう答える。

「やっぱり……依頼されたからだな」

「そういうことだ」

 芳野は再び走り出す。男たちの反応が遅れる。しかし近づいてしまってはバットの餌食。横なぎに振るわれるバット。それを芳野はスライディングで回避し、地面を強く蹴り飛ばす。そのまま、惨劇のあった部屋に再び転がり込んだ。

 血の匂いが鼻につき、嫌が応にも思い起こされる記憶。今度はそれを自分が起こしている。目を瞑る。そして、歯を食いしばる。

 それでいいんだ。それが、日常光景になればいい。悲劇は、惨劇で塗りつぶしてしまえばいい。

 芳野は着込んでいたレインコートを脱ぎ捨てた。

 当たり前の光景。当たり前の死体。それを一つ掴んで、突進する。銃弾は貫通して体に当たるが、肉壁一枚かぶせてしまえば、威力は半減される。肉に食い込む激痛をこらえて進撃を続ける。

 金属バットの一撃が右側から飛来する。これを芳野は、死体を踏み台にすることで回避した。

「何!」

 死体の上半身と下半身がねじ曲がる。フルスイングの後で、無防備になった金属バットの男。芳野は空中で身をひねり、鉛玉を眼の中に突っ込んだ。先ほど芳野の体に食い込んだそれ。バットの男は力なく膝から倒れる。

 ひるんだ登山バッグの男が銃を投げつける。そしてバッグから素早くの小型のチェーンソーを取り出し、スイッチを入れる。激しいモーター音に紛れながら、激しい駆動音が獣の叫び声のように響き渡る。

 ──浮かび上がる光景。焼きついた切断面の映像。振り払う。ひるまず正面へ跳躍し、振りかざされるチェーンソーに真正面から跳びこむ。腰をひねり、拳を振るった。だが遠い。芳野の右肩を刃物が襲う!

 肩に刃物が食い込み、義腕と肩の付け根から、つぅっと血が流れる。幻痛と実際の痛みに顔をゆがませ、呻く。しかし、その瞳はジッと、拳の先を睨んでいた。

 ──届かないはずの拳が、男の顔にめり込んでいる。顔を潰された男は白目をむいて、ゆっくりと倒れこんだ。

 標的残数、これでゼロ。

 芳野も次いで倒れ込む。肩を静かに上下させている。そして自分の左腕を見るなり、我慢できなくなったという風に──笑い出した。大声で、顔いっぱいに笑顔を広げて。

 音を聞き、駆けつけた朝川が、その様子を見て顔をゆがませた。

「なに、気でもふれたの……うわ、なにそれ!」

「はは、知らん、伸びた」

 左腕の肘から下が、二倍の長さになっていた。内蔵された強力なバネの反発と、少量の火薬を使って打ち出されたのだ。

 緒方光太郎の趣味であることは、疑いようもない。

 笑いながら芳野は、自分の頬に熱いものがつたっていることに気がついた。伸びた手でそれを掬ってみたが、感触はない。ただ、無色透明な液体だった。

「やっぱり、狂ってるわ。おっそろし」

 朝川は侮蔑の言葉を投げかける。

 己の作った地獄の中で、芳野は泣き笑う。それが達成感や喜悦から来るものなのか、それとも失った仲間たちを思った哀しみによるものなのか、当人ですら区別は付いていない。

 ただ、ひとつだけわかることがある。

 私はきっと、これからも、こんな事を繰り返して生きていくのだろう。

 ずっと、ずっと。私が誰かに殺される日まで、ずーっと。

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