3章 芳野と弥代生とレインコート



「あなたは八津坂のなんなの」

 振り向かず歩く。芳野の答えは投げやりだった。

「こっちが聞きたい」

 けれども朝川はひるまない。ドラマに出てくるようなお姫様みたいな格好の癖に、性格は正反対だな。と芳野は評した。

「どこで知り合ったの」

「さっきが初対面」

「冗談言わないで頂戴」

 沈黙。真実なので仕方ない。

「黙らないでくれる」

「……うるさいな」

 朝川は面倒くさいやつだった。八津坂邸を出てからというもの、ずっと質問攻めだ。コミュニケーションとしての質問ではなく、敵の情報を探るような問いかけで、頭が痛くなってきた。口をガムテープで塞いでしまいたい。なかば本気でそう考えた。けれど、そこに逃げようという思考回路は働かない。

 なんであれ、どういう形であれ、依頼を受けたのだ。依頼とされれば無下に断ったり無視したりすることにためらいを覚えてしまう。その生真面目な性分が、厄介事まで引きうけてしまう原因であると、芳野はまだ気づいていない。

 地下鉄に乗り三駅。そこから緩やかな勾配を下り、ビル街を抜けた先に、目的の建物がある。さっさと行って、さっさと片付けるつもりだった。

 駅を出たところで目についたドラッグストア。目の端に引っかかる、特価と書かれたフキダシ。置かれていたのは安っぽいビニールコート。

「何見ているの」朝川が横で尋ねる。感覚のない手で触っていた芳野は、値札に書かれた商品名を読み上げる。

「雨の日も安心! バッチリ防げるレインコート」

「うわー。いかにも安っぽい」

 半透明の分厚いビニールで出来ていて、売れ残りの在庫処分というのがはっきりと伝わってくる。なにより色が良くない。幼稚園児の被る帽子の様な黄色だ。

 だがいいかと、値段を確認し、すぐに奥のレジに持っていってしまう。

「え、買うの」

「ん」

 袋は断る。灰色の手を見て店員が一瞬ぎょっと眼を開いたが、体が覚えていたのか、手際良く対応して、値札も切ってくれた。

「ねえ、何に使うの。天気予報雨だったかしら」

 着込みながら芳野は答える。

「いんや」

 理由は口が裂けても云うつもりはなかった。

 ──血を浴びるのが生理的に受け付けなくなった。そんな殺し屋、笑われるだけだからだ。

 ボタンを止めながら歩く芳野を眺めながら、朝川は思い出したかのように尋ねる。

「ねえあなた。そういえば、得物は?」

 芳野がモノを持っているところから連想したのだろう。無言でいると面倒そうなので淡々と答えることにした。

「昔はナイフ」

「そうじゃなくて。今持ってるのかってこと」

 忘れていた。

「……持ってない」

「忘れたってこと? 私は借さないわよ」

「誰が。現地調達する」

 出まかせを云ってしまったが、案外に悪くない案に思えた。暴力を生業とする連中の拠点に行くのだ。向こうに武器がないはずはない。

 ──冷静に考えればすぐ、馬鹿な考えだと気付くだろう。

 この頃の芳野は行き当たりばったり。というよりも自暴自棄な側面が強かった。なるようになる。そう本人は考えていたようだが、それは楽観というより、諦観に近い考えに近だった。

 そんなことを知ってか知らずか。朝川は肩をすくめる。

「あなた無茶苦茶ね」

 と呆れた顔になった。

 自分でもそう思う。

 もちろん、芳野は口に出さなかった。

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